第55話 ゼロから作るクラス1のスタジアム(5)
「何これ……、すごく詳しく書かれてる!」
ヴァージンが息を飲み込むのが早いか、アルデモードはメモに手を当てて、説明を始めた。
「まず、ヴァージンが世界のライバルとレースをするところは、国際陸上機構が主催できる、クラス1と呼ばれる競技場。そうなると、アメジスタのスタジアムもクラス1を目指さなきゃいけないんだ。意外と、厳しい基準があるみたいなんだ」
「私も、ある程度の基準はあると思ってた。でも、私が気にしていたのはレーンの数だったり、トラックの踏み心地だったりそういうものだったけど、アルの書いたものを見る限り、それ以上に必要になりそう……」
「そう。職員の方にも聞いたんだけど、基準が細かく決められてるんだよ。例えば……」
そう言うと、アルデモードはメモの下のほうを指差した。「練習場」と書かれていた。
「サブトラックは、ヴァージンも何十回も走っていると思うけど、まずそのサブトラック自体が一つの競技場になってないといけないみたいなんだ。しかも、大会が開かれるメインスタジアムに隣接している形で」
「今日のネルスでも、他のところでも、サブトラックが8レーンあるところが多かったような気がする」
「レーンだけじゃないみたい。走り幅跳びとかの練習も、レースの前にやってたりするよね。投擲種目のサークルとかも含めて、少なくとも一つ以上は必要らしいんだ。もし、練習がメインスタジアムでしかできないとなると、芝生を傷つけて、サッカーの試合がそこでできなくなるからね」
アルデモードは、かすかに笑った。サッカーのことも意識している、とヴァージンは言いかけるも、アルデモードの笑みにつられて笑ってしまった。
「あと、僕が驚いたのは、雨天用のトラックね。使ったことあるでしょ」
「何度か使った。50mくらいの、主にスタート練習のトラック」
「やっぱり使ってたんだね。そういうような、ヴァージンが無意識のうちに使っている施設が揃っていないと、クラス1に認められないんだ。だからこそ、400mトラックの外側にいくつも施設が増えていくんだ」
サッカーの試合で、陸上競技場を間借りすることもあるアルデモードも、スタジアムの細部については完全に初心者として学んでいるようだった。逆に、13年近くの間、そのクラス1のスタジアムで走り続けたヴァージンにとっても、アルデモードの説明が新鮮でならなかった。
(その場所で戦うアスリートとして知ってなきゃいけないのに……、私もどこまでがクラス1になるために必要なものなのか、改めて思い知らされているような気がする……)
ヴァージンは、アルデモードの説明を時折うなずきながら聞いていた。公認マラソンコースのことや、スタジアム内部の夜間照明、そもそもクラス1とクラス2の違いは何かなど、メモを下から上に追って説明した。
「で、僕が伝えられる範囲はここまで。さすがに、メインスタジアムのトラックやフィールドまで僕が説明したらいけないからね。君がずっと見てきた通りの設備が揃ったものが、クラス1になるんだ」
「ありがとう、アル。……なんか、説明聞くだけでもイメージが湧いてきたような気がする」
そう言うと、ヴァージンはファイエルから届いた、グリンシュタインの陸上競技場の図面に手を伸ばした。アルデモードが説明したものと比べれば、観客席の数は1000人入るかどうかという狭いサイズで、近くに練習用のサブトラックもない。おそらく、荒れ果てたスタジアムを掃除したところで、床の材質すら基準を満たしていないように思えた。
「ファイエルさんから頂いたこれなんだけどね……、いまイメージしているものを全部入れると、たぶん全体の広さが3倍以上になりそうな気がする。でも、アメジスタのために、そこで私は妥協しない」
「本当に、クラス1のスタジアムに生まれ変わるような案を出すんだね、ヴァージン」
「勿論。アメジスタで国際大会……、いや、世界競技会クラスの大会とか開きたいもの。そのためなら、私は『アメジスタ・ドリーム』の全額を投じたっていいくらい」
そう言うと、ヴァージンは図面のはるか下のほうに、図面と同じサイズのトラックを9レーン、最初に描いた。その中にハンマー投げや砲丸投げ用のサークルを二つと、棒高跳び用などに使う短めのレーン2本、トラックのコーナーにやり投げのサークルを置き、トラック外側の直線の両側に走り幅跳び用のレーンを2本ずつ置いた。
「意外と、トラックの外側を広く取っているところが多いから……、このくらいの幅でいいかな……」
膝に手を当てて中腰になったアルデモードが、ヴァージンの描くスタジアムのデザインをじっと見つめている。ヴァージンはアルデモードに少しだけ目線を合わせて、再びペンに神経を集中した。
(あとは、スタンドの中……。さっきアルが言ってた、室内練習場もつけないといけないから……)
メインスタンドの右側には、ややカーブした雨天練習用のレーンを設け、左側には更衣室を置いた。さらに、ゴール付近の2階と3階にはメディア用のブースやインタビュー用の部屋を作り、同じ階には各国のVIPを招くことができるように貴賓席も置いた。
「客席の数も、たしか15000人以上と決められていたけど、客席はどうするのさ」
「客席は、16000ぐらいにしようかなと思ってる。ネルスのスタンド、たぶん3万人近く入れそうだったけど、逆にそこまで大きいとスタンドが4階とか5階とかできて……、私たちの姿が遠くになってしまいそう。本当は、アメジスタ人が全員入れればいいんだけど……、それも無理だと思うから、できれば来てくれる人みんなに、近いところで勝負の瞬間を見て欲しいから、あえて人数だけは規格ギリギリにしようと思ってる」
「僕も……、本音はそうかもしれない。遠くの席にいる人がかわいそうだと思うし……。でも、もしスタジアムが満員で入れなかったら、それこそかわいそうな思いをさせないかい?」
「それは間違いない……。もし入れなかったら、見ることもできないわけだし」
そう言って、ヴァージンは図面に「スタンドは4階まで作る」という文字を書き、それまで書いてあった外周の線を少しだけ奥に伸ばした。それから、遊歩道を挟んだ反対側の、これも現在荒れ地になっている場所にサブスタジアムを新たに作ることにした。こちらは8レーンのトラックに、走り幅跳び用と棒高跳び用のレーンがそれぞれ一つ、バックスタンド側に投擲場を一つ作ることにした。
「できた……。アルがこのスタジアムを使うとしたら、これで大丈夫?」
「大丈夫だと思う。僕が今まで君を応援しに行ったときとほとんど同じだし……、むしろ選手のこともお客さんのことも考えた作りのように見えるよ」
そう言うと、アルデモードはヴァージンの描いた図面をテーブルに置いて、小さく手を叩いた。
「私も、建築の専門家じゃないから、あまり下手なことは言えないけど、自分で描いててこう思う。このトラックだったら、最高の力が出せるかもしれないって」
「君がそう思うなら、それはアメジスタが誇れる未来のスタジアムになると思うよ」
アルデモードは、ヴァージンにうなずいた。それから、ゆっくりとアルデモードの部屋に向かい、そこから一枚の紙を持ってきたのだった。そこには、明らかにトラックが描かれていた。
「もしかして……、アルも図面描いてたんだ」
「僕は、さすがに君のやるべきことを取ったりはしないさ。ほら、僕が描いたのは……」
ヴァージンがよく見ると、トラックの中には薄い線でサッカーコートが描かれていた。
「アメジスタ代表が、オメガ代表を迎えて試合してもいいくらいの、サッカーコート。でも、僕がデザインすると、やっぱり陸上のトラックが付いてきちゃう……」
「そういうところ、結構多いんじゃない?陸上競技場でサッカーをするのって」
「でも、僕は嫌だな。サッカーはサッカーで、また夢を与える聖地を作りたい。できるなら、サッカー専用のスタジアムを、同じ公園のどこかに置きたいんだ」
ヴァージンは、アルデモードから手渡された「サッカー専用のスタジアム」の図面をじっと見た。スタンドの形も、そこに必要とされる施設も、ヴァージンの描いたものとはほとんど違っていた。
一通り目を通して、ヴァージンはアルデモードにうなずいた。
「私も、アルの言う通りだと思う。同じようなサイズの施設って言われるかもしれないけど、サッカーはサッカーで別のスタジアムを作ったほうがいいと思う」
「じゃあ……、僕たちの案を、一緒にアメジスタの国会に送ってみよう。でも、僕のはあくまで『参考』と書いて送ることにするよ」
「私たちのデザインが、採用されるといいね、アル」
「勿論さ」
アルデモードは、全てが終わったように大きく伸びをした。それから思い出したように、ヴァージンに振り向いた。
「なんか、こうやって陸上競技場の図面を見ていると、僕も走りたくなってきたような気がする……。いつか、勝負したいと思ってたんだけどね」
アルデモードが突然切り出した、「勝負」という言葉。ヴァージンにはそれが何であるか、すぐに分かった。