第55話 ゼロから作るクラス1のスタジアム(2)
ヴァージンは、アメジスタからの封筒を手に家に戻るなり、アルデモードの前でそれを開いた。
「アル、たぶん私たちが待ち望んでた知らせが来たと思うの。一緒に読んでみる?」
「待ち望んでた知らせって……、もしかして新しいスタジアムのこと?」
「きっと。何となく、紙が2枚くらい入っているから、議会を通らなかった知らせじゃないと思う」
そう言って、ヴァージンは封筒を開き、中から紙を取り出し、アルデモードに見せながら読んだ。
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ヴァージン・グランフィールド様
遠い異国の地で、次々と世界記録を出しつつ、俺たちのアメジスタの力を見せていることと思います。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日はグランフィールドの一番の夢と言っていい、アメジスタのスタジアムのことで動きがあったので、オメガにある家まで手紙を送ります(住所は文化省から聞きました)。
まず、前にお会いした時、俺が国会議員になってアメジスタ人一人ひとりが夢を叶えられ、希望を持てる国にしたいと言いましたが、その後の選挙で無事に当選し、今は5年任期の2年目に入りました。
その間、俺はグリンシュタインの外れにあるスタジアムに何度も足を運びました。グランフィールドが言っていたように、草だらけで、とてもアスリートが勝負を挑めるような場所ではありませんでした。草を分け入って歩くだけでも一苦労で、スタジアムの改修を行うには、アメジスタにはないサイズの重機で突き進むしかなく、その後も荒れたトラックを舗装し直したりしなければならず、国家予算から考えても相当重い支出になります。
けれど、俺はそれでも夢の力はお金に変えられないと思います。もし、これだけの予算が必要というだけで諦めてしまうのなら、毎日懸命に走り続けるグランフィールドに失礼と思い、いま議員の支持を取り付けています。ほぼ全員の国会議員にこの話を持ち掛けましたが、あと少しで半数といったところまで来ています。
そこで、グランフィールドに確認したいことがあります。それは、もともとあったスタジアムの形に戻すだけでいいのかということです。スタジアム自体が60年以上前に作られたもので、俺たちがテレビで見たオリンピックのスタジアムとは全く違います。俺としては、このままの形にしたところで、ただ走るだけの練習施設で終わってしまうと思います。
アメジスタ人の中で、誰よりも陸上競技のスタジアムを知っているグランフィールドから、新しいスタジアムのデザインとか、案を出して頂けると嬉しいです。今のスタジアムの図面を、2枚目の上のほうにつけておきますので、空いている部分にグランフィールドがこうしたいと思う点を書いてください。お願いします。
アメジスタ人が希望を持てるような実績を残す国会議員 ファイエル
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「ファイエルさん、スタジアム改修のこと、ものすごく真剣に取り組んでいるように思える……」
「彼の筆跡からして、気持ちが伝わって来るみたいだよ」
ヴァージンは、ほぼ同時にグリンシュタインの外れにある荒れ果てたスタジアムを思い浮かべた。ヴァージンが最初にアルデモードと出会った頃、二人で大聖堂からその場所まで勝負し、そこでスタジアムの現実を思い知った以上、アルデモードも同じようにスタジアムの「今」を思い知っているように、ヴァージンには思えた。
「俺も……、あのスタジアムを見て、昔ものすごく心が痛んだような気がする。あの場所で走れるようになれば、テレビでヴァージンを見た後に、ヴァージンのようになりたいと思う子供たちが、今頃集まっていたと思う」
「私だってそう思う。アルの言う通り。きっと、今はグリンシュタインの狭い街中を走るだけで、同じように走っている仲間を見ないはず。私たちがいなければ、まだ彼らは一人ぼっちなのかも知れない」
「一人ぼっちね……。場所さえあれば……、夢を追い続ける同じ仲間と勝負ができるのにね」
そう言って、アルデモードはふぅとため息をついた。その後を追うように、ヴァージンも小さく息をつく。それから、ヴァージンはややトーンを声の落としながら言った。
「アルね……、私、スタジアムの中のことは分かるけど……、客席にほとんど行ったことがない……」
「そうなんだ。……でも、考えてみればそうだよな。本物のレースを見る前に、ヴァージンは世界に旅立っていったわけなんだし……」
ヴァージン自身、世界の舞台に立つ前に世界の強豪が集うレースを見たことがなく、世界基準のスタジアムに何があるかを把握していなかった。トラックやその周辺、それに選手として通過する場所ははっきりと覚えているものの、一般の観客が踏み入れる場所に関しては全くの無知だった。
だが、そうヴァージンが考えたとき、彼女の脳裏にあることが思い浮かんだ。
(私が、世界のトップアスリートを雑誌以外で全く見てこなかったんだから、アメジスタのみんなもきっと同じはず……。むしろ、一昨年のオリンピック中継でルールを知ったぐらいのはずなんだから……)
「ヴァージン、何かスタジアムの改修のことで思いついたかい?」
アルデモードに声を掛けられるまで、ヴァージンは無意識のうちに考えるしぐさを浮かべてしまっていた。彼女は何事もなかったかのように首を横に振って、それからアルデモードにそっと告げた。
「私、このスタジアムを世界じゅうの人々、世界中の陸上選手から見て恥じないスタジアムにしたいなって」
「まさか……、国際的な大会を開けるようなスタジアムにしたいわけ?」
「そういうこと。せっかく、私が記録を更新し続けて、アメジスタの名前が世界中に広がっているわけだし、そのアメジスタで生まれ変わるスタジアムが小さいものだと、カッコ悪いかも知れないって思う」
「カッコ悪いって……、そんな基準で大きくするのかよ」
アルデモードは、口を開けてヴァージンを見つめていた。そのような中で、彼女は首を横に振り、拳にやや力を入れつつ、説明を続けた。
「アメジスタは、決して弱くなんかない。小さくなんかない。せっかく夢のある施設に生まれ変わるんだから、できるならそこから世界レベルに追いついて……、世界の一流選手がそこで勝負をして……、その背中を見たアメジスタの人々が世界に羽ばたいていく。そのためには、小さいスタジアムじゃいけないと思う」
「そうか……。常に前に突き進んでいる君らしい考え方だよ……。ものすごく」
アルデモードが、やや唸りながらも首を縦に振った。それと同時に、ヴァージンもはっきりとうなずいた。
「そう。私は、ファイエルさんが提案したこのプロジェクト、本気で支える。だから、アルも付いてきて」
「ヴァージンがそう言うんだったら、僕もついて行くよ。ただ、条件というか……、僕の希望もある」
「アルの希望?もしかして……」
「そのもしかして、だよ。アメジスタに世界レベルのピッチを作って欲しいなぁ、って」
そうアルデモードが言うと、ヴァージンはかすかに笑いを浮かべた。
数日後、オメガ国内のネルスのスタジアムに、ヴァージンは向かった。普段から本番の数時間前には現地に入っている彼女だったが、この日はレース前に国際基準のスタジアムが何であるかを調べるために、最初のトラック競技が始まる頃にはスタジアムに着いていた。
(ここは、私が11年前、初めて世界記録を出したところ……。それからもう何度来たかも分からないのに、私たちが普通入らないところには、一度も行ったことがない……)
マラソンランナーが入退場する門のあたりから、客席を見上げる。11年前に初めてこの場所を訪れたときと比べれば、柱は白く塗り替えられ、モニターなども新しくなっているものの、スタジアムの雰囲気はほとんど変わっていなかった。世界中から集まったアスリートを受け入れ、大勢の観客が見守る中で自分の力を発揮する。神聖な場所と言うにふさわしい、躍動感と威厳の両方を兼ね備えたようなスタジアムだった。
(アメジスタで私が見たのは、観客席がほとんどなく、公園のほかの場所と全く同じ雰囲気になってしまっていた……。でも、本物のスタジアムは、そんなのとは全く違う……)
そう頭に思い浮かべたヴァージンは、客席へと続く階段へと体を向けた。この日レースに出場する以上、指定席でなければタダで立ち入ることはできるはずだ。
だが、次の一歩を踏み出した瞬間、ヴァージンの耳に聞き慣れた声が響き、その声に引っ張られるように足を止めた。
「まさか、こんな早い時期に、君とこんな形で向き合うとは思わなかったよ……。ヴァージン・グランフィールド」