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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
二人の想いは いま一つに結ばれる
334/503

第54話 永遠のパートナー(7)

 13分57秒72 WR


 世界競技会という最高の舞台で、記録計に表示された「WR」の文字。スタジアムは、一気に沸き上がった。女子5000mでこれまで「無冠の女王」と呼ばれてきた、世界最速の長距離アスリートが、10000mに続き5000mも世界記録を叩き出す。そのことに、観客は喜びの声で反応せずにはいられなかった。

(私……、5000と10000の両方で、同時に世界記録を出せたの、間違いなく初めて……。それどころか、二つの種目で同時に優勝したことすらなかったはず……)

 ヴァージンは、自らの記録が刻まれた記録計の前で、声にならない叫びを見せた。雄叫びをあげることもできないほど、彼女は完全に疲れ果てていた。それどころか、少しだけトラックの外を歩いたきり、クールダウンを行う力すら残されていなかった。それでも、彼女には少しずつ夢から現実に戻っていくのを感じた。

「おめでとうございます、グランフィールド。全然追いつけなかったです……」

「あなたのスパートに、まだまだ私の足は付いて行けない。今日もまた、完敗ね」

 いつの間にか2位でゴールしていたカリナと、3位に終わったメリナが、ほぼ同時にヴァージンに向けて手を差し出した時、ヴァージンはようやく小さな声で礼を言い、それから二人を抱きしめながら、こう言った。

「私は……、今日、やっと悪夢から解き放たれました……。二人が本気の私を呼んでくれたおかげで……、世界競技会やオリンピックの時だけ小さくなっていた私を……、振り切ることができたのです……」

 そう言って、ヴァージンは二人に向けて少しだけ涙を流した。13分台にあと少しまで迫ってきている二人とは、これからも本気で勝負しなければならないことを信じて。


 その時、ヴァージンの耳に聞き慣れた甘い声が響いた。すぐに彼女は、ゴール前の客席に目をやった。

「おめでとう、ヴァージン!優勝……、信じてたよ……!」

 それは、ヴァージンが待っていた声であり、疲れ切った彼女の体を再び燃え上がらせるための力でもあった。

「アルデモードさん……。私……、一つの夢を……、形にできました……!」

 ヴァージンが目を合わせたとき、アルデモードがその手にアメジスタの国旗を握りしめていることに気付いた。アメジスタ人からトラックに掲げる国旗を渡されるのはこれで2回目だが、彼女は3年前にビルシェイドから手渡された時よりも、より重い意味をその国旗に見出した。

(私と、アルデモードさんは……、夢を叶えるためにアメジスタでアスリートになった……。この旗を背負って、私たちは世界で戦っている……!)

 ヴァージンは、一度うなずいて、アルデモードのもとに飛び込んだ。すると、アルデモードが客席からヴァージンの肩をそっと叩いた。アルデモードの手は温かく、常に世界の頂点で駆け抜けてきたヴァージンを称え、そして癒すかのような、不思議な力に包まれていた。

「頑張った……。君はここまで、ずっとアメジスタを背負って……、頑張ってきた……。僕もずっと、今日のこの日が来るの、待ってたんだ……。最高の舞台になると、信じて、ね……」

「私だって……、そう思ってました……」

 ヴァージンは、アルデモードの右腕で泣いた。時折、アルデモードの顔に目をやるが、その甘いマスクが目に見えるたびに、彼女の涙が誘われてしまうのだった。

「アルデモードさんがいなかったら……、私、夢を形にできなかったかも知れません……。それくらい、アルデモードさんは……、私にとって……、大事な、大事な存在です……!」

「僕にとってもだよ、ヴァージン」

 アルデモードの声に、ヴァージンはようやく涙を止めて、アルデモードの目を見つめた。その時彼が浮かべた顔が、スタジアムの照明に照らされ、彼女の目から見える何よりも眩しい存在になっていた。そして、その眩しい笑顔のまま、アルデモードはさらに言葉を続けた。


「夢の力を、アメジスタで誰よりも知っている僕たちだから、僕たちはいつだって、気持ちを理解し合える。だから、夢に向かって走る君を……、僕はずっと支えるよ」


 そう言うと、アルデモードは左手に持っていたアメジスタの国旗をヴァージンに近づけ、ヴァージンがそれを掴むとそれを少しだけ持ち上げた。ヴァージンも、それに負けないように高く持ち上げた。

 それは、世界一貧しいとされるアメジスタから生まれた二人のアスリートが、全てを一つにした瞬間だった。


 アメジスタの国旗を持って、スタジアム全体に見えるよう高く掲げたこと。表彰台の中央で、初めてとなる金メダルを軽く撫でたこと。ヴァージンの記憶には、たしかにそのことが刻まれていた。だが、彼女にとって最も心に焼き付いた光景は、アルデモードの笑顔だった。

「おかえり、ヴァージン」

 スタジアムの出口で、アルデモードは待っていた。あの時言った言葉が、プロポーズの言葉だと、二人はもう分かっていた。そのまま二人は手を握り夜の街に繰り出していった。


 アメジスタに戻り、高層マンションのドアを開けた瞬間、メドゥから電話が入った。

「本当に結婚することに決めたんだ、ヴァージンとアルデモード」

 2種目で世界記録を取ったことを言わずに、メドゥは開口一番でヴァージンの結婚を祝福した。この時ばかりは芸能記者が張り付いていなかったにもかかわらず、その夜に二人で交わし合った誓いが、次の日にはメドゥに伝わっていた。おそらく、アルデモードと同伴で、マゼラウスに「今日は別々にホテルに帰る」などと言ってしまったからだと、ヴァージンには経緯がすぐに分かった。

「メドゥさんだって、予感してたじゃないですか。最高の舞台で、最高のドラマが待っているって」

「予感はしてたけど、他人の恋心は動かせないでしょ。幸せを叩き出したのは、ヴァージン自身よ」

「メドゥさんの言う通りです……」

 ヴァージンは、そこで言葉を止め、一呼吸置いた。それからメドゥに、彼女の口からそっと告げた。

「というわけで、私たち、アスリートどうしで結婚することにしました。式の日取りも、今年の12月3日。私の29歳の誕生日になります」

「ほとんどの陸上選手にとってオフシーズンになるときに、結婚式を開くわけね。でも、アルデモードはサッカーだから、まだこの時期はリーグオメガの前半戦が終わってないんじゃない?」

「アルデモードさんは、もうグラスベスに結婚のことを言っているみたいで、チームも分かってくれているそうです。式の日取りも、私にプロポーズする前から決めてたらしくて……、あくまでも世界で戦う私に無理はさせたくないっていう時期みたいなんです」

「アルデモードって、ものすごく紳士的なのね……。まぁ、私の旦那もだけど」

 ヴァージンの耳に、マゼラウスの笑い声が聞こえる。だが、次の瞬間、そのマゼラウスがやや早足でメドゥに近づき、結婚式と言ったか確かめる声が、ヴァージンの耳にはっきりと聞こえた。

「ヴァージン、いま私が結婚式と言ったら、マゼラウスに言われちゃった。私たちの結婚式と新婚旅行はまだか、って。まぁ、二人ともヴァージンを支えているから、なかなかヴァージンを差し置いて式はできないけど」

「それは気にしなくていいですよ、メドゥさん。私だって、二人の結婚式を見たいくらいですから」

 ヴァージンがそう言うと、電話口の向こう側でメドゥもマゼラウスも笑った。

「じゃあ、12月3日、全く同じ式場で時間をずらして、私たちも式をやっちゃおうかな」

「そ……、それは困ります……。マゼラウスさんもメドゥさんも、私のアスリート人生を支えてきた、かけがえのない存在なんですから……!」

 慌てたような表情を見せたヴァージンに、電話口は再び笑いに包まれた。

(勝負の時はすごく楽しいけど、いざ結婚をするときになると、別の楽しさが生まれる。どうしてだろう……)


 その後数ヵ月、ヴァージンはレースを休み、結婚の準備に費やした。式の段取りや、高層マンションからアルデモードの家への引越し作業、家族への連絡、居所登録の変更など、代理人がいなかった頃と同じくらいの忙しさが彼女には待っていた。勿論、本人を必要としない手続きはメドゥも手伝い、毎日のトレーニングも決してその量を落とすようなことはしなかった。


 そして、二人の結婚式は――

「やっぱり、ここだよね。僕たちが永遠の愛を誓いあえる場所は」

 空高くそびえる、グリンシュタインの大聖堂。昨年折られた尖塔こそ、完全には修復できていなかったが、二人ともアメジスタ生まれということで、聖堂側も結婚式を快く受け入れてくれたのだった。

 父のジョージ、姉のフローラ、アルデモードの家族だけではなく、アメジスタ文化省やドクタール博士、ジェームス・ブライトンなど、夢を追い続けることに理解のあるアメジスタ人などが参列する中、二人は神父の前で力強くこう言った。

「私たちは、この国に生まれ、世界の頂点を目指して戦ってきました」

「今ここに、僕たちは、アメジスタの高い空に、永遠の愛を誓い合います」

「ヴァージン・グランフィールド」

「フェリシオ・アルデモード」


 チャペルに響く鐘の音。手を取り合う二人。ようやく結ばれた勝負師たちは、新たなステージに向かって一歩ずつ歩き始めた。

 だが、二人に待っていたのは、輝き出した星がわずか数年で消え失せてしまう、残酷な運命だった。

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