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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
二人の想いは いま一つに結ばれる
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第54話 永遠のパートナー(3)

「ヴァージンも、いよいよその時が近づいたかもしれないわ」

 もう何度目かも忘れた、アルデモードとのデートの夜、代理人メドゥからの電話はその全てを知っているかのような不気味さを映し出していた。世界競技会の詳細なスケジュールでも発表されたのかと思って電話に出たヴァージンは、メドゥの言葉に戸惑った。

「えっと……、その時が近づいてきたって、レースのことですか……?」

「そうじゃない。なんか、私もうらやむような、熱い恋が形になる瞬間のこと。ニュースに出てるわ」

「ほ、本当ですか……!カメラに撮られてしまったんですね……」

 追いかけられることのない、地下のダイニングに誘い込んだにもかかわらず、芸能記者が偶然にもその場所に居合わせたことになる。そのことをヴァージンが思い出しているうちに、メドゥはさらに言葉を続けた。

「壁に手を当てて、ヴァージンの彼、ものすごく本気で告ってたじゃない。あの画像見て、もう次に会う時には、私たちのように一つに結ばれてるような予感がする」

「そうですね……。今日のデートで、なんか……、ものすごく距離が縮まったような気がするんです。それに、最高の舞台で、最高の想いを伝えるって言ってくれました」

 ヴァージンがそう言うと、メドゥは電話をより口元に近づけ、そっと彼女に告げた。

「おそらく、その場所で人生最大のドラマが、ヴァージンに待っていると思うわ」

(人生最大のドラマが……、たぶん、あのレースの後に待っている……)

 ヴァージンは、アルデモードの言葉とメドゥの言葉を重ね合わせてみた。アルデモードに告げられた瞬間にかすかに予感していたことが、この時確信に変わった。ヴァージンは、知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。

 だが、その直後にメドゥがヴァージンに告げた。

「でも、そのとき本当に勝負をする相手は、その彼じゃない。あくまでも、トラックで一緒に戦うライバルたち。今更私が言うことじゃないけど、それだけは忘れないで。あくまでも、ヴァージンが最高の舞台を作り上げるの」

「分かりました!」

 ヴァージンは、メドゥに見えるはずもないのに、大きくうなずいた。メドゥが電話の向こうで軽く笑った。

「その調子よ、ヴァージン。適度にテンションを上げたほうが、力を出せるはずだから」


 それから本番までの1ヵ月、アルデモードからは2通ほどのメールが来るだけで、ヴァージンの前には姿を現さなかった。だが、ヴァージンの目にはどこかで彼が笑っているように思え、走り終えた直後にはできる限りトレーニングセンターのトラックの外に目を配るようになっていた。

(なんだろう……、この引き寄せられるような思い……)

 アルデモードに言われたその時が、近づいてくる。そのたびに、時間と同時に二人の距離も近づいてくる。それはちょうど、ヴァージンが自らの世界記録を破ろうと懸命にゴールに迫る、それが狙える時にだけ許された特別の瞬間にも似ていた。しかも、それは1~2分ではなく、起きてから眠りにつくまでの長い間続くのだった。

(でも、なんかこの瞬間をずっと楽しめるの、ものすごく楽しい……。そして、最後にアルデモードさんに何て言われるのかも……、ものすごく楽しみでしょうがない!)

 インタビューで、今度こそ最高の舞台で優勝したいと言っていた彼女の想いは、少しずつその性質を変えていった。優勝、新たな世界記録、そしてその先にある最高の「祝福」。その全てが、楽しみでならなかった。


 そして、世界中の陸上選手が目指す夢の舞台が始まった。テノーラという、ここ10年で急成長を遂げた工業国のフェスタリアの街にある巨大なスタジアムを見たとき、ヴァージンの心はさらに熱くなった。

(ここが、私にとっての……、いや、私と彼にとっての夢の舞台……)

「どうした、ヴァージン。こんなところで立ち止まって。アルデモードでも見えたのか」

 一緒にスタジアムにやって来たマゼラウスが思わず振り返るまで、ヴァージンはその舞台を見つめていた。中のトラックのサイズは、世界中のどのスタジアムでも共通のはずで、初めて入るスタジアムというだけでこれまで立ち止まることはなかった。

「コーチ、なんか……、いよいよ大舞台にやって来たという感じがしたんです……。いろいろな意味で」

「いろいろな意味……、か。私にはそれの意味するところがなんなのか、何となく分かるよ」

 既に、その楽しみを知っているマゼラウスの表情は、それでも何かを悟っているかのようだった。


 テノーラに降り立って10日後、ヴァージンにとって最初の勝負となる女子10000mのレースが行われた。5000mとの二冠を目指す彼女にとって、ここでの敗北は許されなかった。

(去年のオリンピック、一昨年の世界競技会と、最後にレジナールさんに追い上げられている……。もう優勝タイムが29分台になるのは当たり前。でも自己ベストが一番速いのは、10000mでも私のはず……)

 集合場所に向かうヴァージンの目に、輝くような茶色の髪がはっきりと見える。最高峰のレースで3連覇を狙う23歳は、10000mのレースを前に多くのカメラに取り囲まれていた。5000mで同じような状況になるヴァージンは、逆にゆったりとした気持ちで集合場所に向かえると思った。

 だが、その雰囲気は、背後から聞こえた一つの声で大きく動き出した。

「ヴァージン・グランフィールドも、10000mと5000mの両方に出るわけね」

 耳を貫くような声に、ヴァージンは振り返った。ヴァージンよりも背の高い、ワインレッドの髪の人物が彼女を見つめていた。ヴァージンは、小さく息を飲み込んだ。

「メリナさん……。10000mにも出るんですね……」

「勿論よ。10000mでも5000mでも、あなたよりも先にゴールできると信じてるから、あえて勝負に出たの」

「10000mで、私と戦うのは初めてじゃないですか。たぶん、レースに出るのも……」

「そうね。全く公式データがない状態で、私は世界競技会のレースに参加してるわけ。5000mであれだけの成績だったからという理由で、特別にエントリーしてくれたの。代理人が頑張ってくれたから」

 ヴァージンは、メリナに向かってうなずいた。だが、首を元に戻した瞬間、彼女ははっとした。

(そうだ。メリナさんの代理人は……、ガルディエールさんだった……!)


――ヴァージンの代理人だったはずのガルディエールが、メリナ・ローズと話しているのを見たの。


 新たな代理人メドゥが、ヴァージンに声を掛けることに決めた瞬間が、まさしくそれだった。昨年のオリンピック以来、ヴァージンはメリナと同じレースで戦っていないが、その間にもメリナはガルディエールからヴァージンの戦術を聞いているはずだ。

 そのことに気付いたヴァージンは、かすかに首を横に振り、メリナに告げた。

「そう言われてしまったら、メリナさんとの勝負は、これから因縁の対決と言わなければいけなくなります」

「因縁の対決……、ね。なかなか面白いことを言うじゃない。もしかして、代理人が両方を知ってるから?」

「それも、あります」

 5000mでは、ヴァージンだけが13分台の自己ベストを持っているものの、メリナ、カリナ、メリアムとあと少しで13分台に届きそうなライバルは何人もいる。そして、この日勝負する10000mに至っては、そのタイムすら全くの未知数と言っていい。同じ種目のライバルに代理人が渡ったこと以上に、彼女には勝負しがいがあった。


 スタート場所から、ヴァージンは遠くを見つめる。ところどころでヴァージンを応援するボードが見えるものの、それ以上に彼女が気にしている人物はいなかった。

(アルデモードさんは、どこでこの勝負を見ているのだろう……)

 ヴァージンにとって最高の結果は、二つのレースで世界記録を叩き出すこと。そして、その姿を彼に焼き付けてもらうこと。周りに揃ったライバルを見ることなく、何度かそのことだけを思い浮かべながら、ヴァージンはスタートの瞬間を待っていた。

(私から見えないだけで、アルデモードさんはスタジアムのどこかにいるのだろう……)

 ヴァージンが心の中でそう叫んだ時、選手の表情を映すカメラが近づいてきて、彼女ははっとなった。いつも見せているように笑顔を見せるも、はっとした表情がはっきりとカメラに乗ってしまったように思えた。だが、この日の彼女はそのことすら気にしないほど、その先のことを考えていた。

(いくらアルデモードさんを探したところで、ここで結果を残さない限りその先には進めない。だから私は、10000mから本気で走れるんだし、このメンバーならいつも以上に最高の勝負ができそう……)

「On Your Marks……」

 スターターの低い声が、ヴァージンの耳に届いた。10000mを走り出す前の緊張が、スタジアム全体に溢れていた。


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