第54話 永遠のパートナー(2)
それから1週間後、グローバルキャスで世界競技会のアスリートインタビューが放送された。ヴァージンが言った直後に後悔すらした、あの力強い言葉も全くのノーカットで世界中のテレビに流れたのだった。
(やっぱり、引きちぎるだけはまずかったかな……)
メドゥから放送日を告げられていたヴァージンは、その時間自分自身が答えているインタビューをじっと見て、小さくため息をついた。だが、ため息をついているような時期でもないと奮い立たせ、グローバルキャスで流れた自分自身の言葉に耳を傾けることにした。
(言葉はおかしいかも知れないけど……、私の言った言葉、ものすごく強かったような気がした……)
そう思った瞬間、画面が次の注目選手へと切り替わり、ヴァージンはテレビを消してパソコンの前に向かった。あのインタビューを見たファンの感想が知りたかった。
案の定、放送してからわずか10分で何百通ものメールがヴァージンに届いていた。だが、その内容はヴァージン自身が想定していたものとは全く違っていたのだった。
――グランフィールド選手のインタビューを聞いて、ものすごく熱い心を感じました。
――これだけ記録を打ち立ててきたのに、今まで優勝できていなかったことが信じられないです。
――「引きちぎる」という言葉、今の世界女王にぴったりです。私の心に突き刺さりました。
――インタビューで一番強く言い放った「引きちぎる」って言葉。その言葉だけで、グランフィールド選手が勇敢だと感じてしまうのは、自分だけじゃないはずです。
(あれ……?私の言っていた「引きちぎる」という言葉、そんな悪いように書かれていない……?)
応援メールに思えそうなタイトルを一つ一つ開いていったヴァージンは、わずか1分の間で自分の言ってしまった言葉を再び思い出すようになっていた。
(あの瞬間だけ、インタビュワーの前で本気のアスリートになっていたような気がする……)
次々に飛び交ってくる、ヴァージンを応援するメッセージに、彼女はパソコンの前で体が温まるのを感じた。
メッセージは翌朝まで数多く届き、トレーニングまでに全部見切れないほど未読メールが溜まっていた。だが、彼女に届いた反応は、決してそれだけではなかった。
「ヴァージンが一番気になっている人が、トレーニングセンターに来たじゃないか」
トレーニングセンターで、400mインターバルを始めようとしたとき、マゼラウスが静かにそう言った。それと同時に、遠くのほうに見慣れた茶髪がヴァージンの目に飛び込み、彼女は口を手で押さえた。
(アルデモードさん……。トレーニングを見に来てくれたんだ……)
リーグオメガのシーズンが終わった夏は、アルデモードにとって自由な時間が多い。だが、予告なしに彼がトレーニングセンターまで足を運ぶことは、ヴァージン自身想像できなかった。
(なんか、ここまで来てくれるってことは……、終わったらまたカフェで二人、話せるかもしれない)
腕を組んで、遠くヴァージンを見つめているアルデモード。その姿だけで、ヴァージンはそのことを感じた。その日のトレーニングは、アルデモードのことをあえて気にしないようにしたが、何度か目に飛び込んでくる彼の姿に、少しずつ近づいてくる思いを感じずにはいられなかった。
そして、彼女が思っていた通りに、トレーニングセンターの門のところでアルデモードに声を掛けられた。
「ヴァージン、今日この後予定ある?」
「特にありません。逆に、アルデモードさんがここまで来てくれたんだから、何かありそうな胸騒ぎはします」
ヴァージンが「胸騒ぎ」という言葉を呟いたとき、クールダウンを追えたはずの彼女の鼓動が再び早く打った。
「そうか……。僕の、君への想いが……、少しずつ伝わってきた、何よりの証拠だね」
「アルデモードさんの……、想い……。とても分かります」
「そう返してくれると思った。今日もまた、君の行きたいカフェに行こうよ。お昼だし、こじゃれたレストランに入るのもいいかも知れない。行くところは、君に任せるよ」
アルデモードがそう言うと、ヴァージンは少し考えて、エクスパフォーマの本社の向かい側にある、小さなダイニングへとアルデモードを誘った。エクスパフォーマの向かい側と言っても、地下にあるため、まず記者が追いかけることはないはずだ。ヴァージンは、周りの視線を少しだけ気にしながらも、アルデモードの手を取りながら階段を下りていった。
二人が座った席は、眩い地上の光が差し込んでくる唯一の席。ヴァージンは、その壁側に座った。
「グローバルキャスでヴァージンが言ったことば、僕、録画して何度も聞いたよ」
鶏の照り焼きが中央に大きく盛り付けられたワンプレートランチを一口食べ始めたとき、アルデモードがあのインタビューのことをヴァージンに話し出した。
「録画してくれたんですね……。いっぱいメール見ましたけど、そこまでやったのはアルデモードさんだけです」
「あれ、ものすごく強い意思だと思う。過去は気にせずに、挑み続けるんだっていう……、君に会ったときから僕がずっと抱いていた、ヴァージン・グランフィールドという人間の姿を、はっきりと見せてくれたんだし」
「時々、ちょっと強いこと言っちゃう……、私の癖です」
「そんなの、癖って言わないよ。君の本当の気持ちだって、少なくとも僕だけはそう思う。違う?」
アルデモードがそこまで言ってほほ笑むと、ヴァージンは何度か首を縦に振った。
「そうですね……。アルデモードさんにそう言われたら……、あれが本気だって思えてきます」
ヴァージンは、この日彼に出会う前から既に思っていたことを、あえて伝えないように返した。それだけ、アルデモードが何と言ってくれるか気になって仕方がなかった。
「やっぱりね。トラックを走り抜けている時のように、本気がみなぎっているときのヴァージンは、とても強いと思うよ。それが、君に引き付けられる……、一番の理由かな……」
そう言って、アルデモードもランチに手をつけ、ヴァージンの反応を伺いながら食べ始めた。食べる間こそ、今年の世界競技会でライバルになりそうな選手のことや、13分台を出した後の取材で聞かれたこと、そしてアルデモードの今シーズンの活躍などで盛り上がった。
だが、ヴァージンはその間も、アルデモードがこの後どういう想いを伝えるのか待っていた。そして、二人ともランチを食べ終えたとき、エプロンをテーブルに置きかけたアルデモードが、ヴァージンにウィンクした。
(あ……、何か言いたそうな表情を、アルデモードさんが浮かべている……)
その姿に、ヴァージンは決して身構えるようなことはなかった。むしろ、もっと攻めて欲しいとさえ思った。ヴァージン自身も、その時少しだけ本気の表情を浮かべようとしていた。
1秒、2秒、3秒……。トラックを走るときに刻み込まれる細かいカウントが、彼女の胸を打った。
――ドンッ!
(……っ!)
アルデモードの目が、瞬く間にヴァージンの前に飛び込んできた。右手を壁に勢いよく当てて、ヴァージンを見つめるアルデモードは、この日一番の笑顔を彼女に見せていた。
「驚いたかい、ヴァージン。僕がこうするのを、君が待つようになるその時まで、僕はずっと待っていたよ」
「アルデモードさん……。なんか、いつかきっと……、こうしてくれるって……、私、思ってました……!」
そう言うと、ヴァージンはアルデモードの腕に額を当てた。そして、少しだけその上に涙をこぼした。
「いま、この瞬間がものすごく楽しい……。アルデモードさんと一緒になれる、この時が楽しいです……」
ヴァージンがそっと彼に告げると、アルデモードは再び笑顔を見せながら、ヴァージンに静かに言った。
「あのね……。今日は、僕の気持ちを分かってくれただけで……、120点の結果だと思う。あと一歩だよ」
「あと……、一歩……」
ヴァージンは、その言葉の意味をあえて聞かずに、ゆっくりと顔を上げ、アルデモードの言葉を待っていた。
「そこまで僕を気にしてくれたヴァージンに、最高の舞台で、最高の想いを伝えてみせる。絶対、約束する。その舞台、僕は特等席のチケットを撮ったから」
「ほ……、本当ですか……?」
「僕が、君に対して嘘を言ったこと、あるかい?」
ヴァージンが素早く首を横に振ると、アルデモードは小さく笑った。彼がこれ以上の言葉を言う舞台は、あの場所しかないのだと、その瞬間にヴァージンは確信した。
「私は、その舞台で最高の結果を出します。過去はもう、振り返りません!」
「期待しているよ、アメジスタの……、偉大なアスリート」
アルデモードが、そっとうなずいた。その表情の向こう側に、早くも決戦の舞台が広がっているようにヴァージンには思えた。