第53話 最速女王に湧き上がる自信(5)
リングフォレストにはコーチや代理人も一緒に付いてきたので、レースと表彰式が終わったヴァージンがロッカーで着替えた後、出口のあたりで二人が待っている。久しぶりにカリナに勝利し、世界記録も叩き出せた彼女には、そのことしか頭になかった。
だが、出口の一番近いところで待っていたのは、二人ではなく、一人の凛々しい青年だった。
(そうだ……。スタジアムに行くときに、アルデモードさんを見かけたんだった……)
「おめでとう、ヴァージン。初めて、13分台で走り切る君を見れて、本当に嬉しいよ」
アルデモードの姿を見るなり、その胸に飛び込んだヴァージン。その背中を、アルデモードの腕が抱く。
「今日も見に来てくれて、ありがとうございます……。カリナさんとの勝負で、アルデモードさんがスタジアムにいることも全く忘れてしまいました……」
「いいんだよ。最も力を出さなきゃいけない時に集中できるのが、僕たちアスリートなんだからさ」
そう言って、アルデモードは再びヴァージンの背中を軽く叩く。そして、すぐに彼女の両肩を持ち上げた。
「たぶん、今日はオメガ国内だから……、コーチとか一緒じゃないかと思うんだ。だから、今日は一つだけ、君に嬉しいニュースを届けるよ」
「アルデモードさん……。それ、どういった嬉しいニュースなんですか?」
ヴァージンがそう尋ねると、アルデモードは待っていたとばかり、パーカーのポケットから一枚の紙を取り出した。ネットのニュースだが、その左上にヴァージンの画像があることに、彼女はすぐ気が付いた。
陸上長距離最速女王、ヴァージン・グランフィールド、故郷アメジスタの強化選手第1号に!
「こ……、これ……、アメジスタの……!やっとここまでたどり着けた!」
「君がアメジスタの文化省まで行って、頼み込んだ結果だよ。アメジスタ人でここまで世界と戦える選手は、今まで一人もいなかったけど、君こそがアメジスタに勇気や希望を与えてくれる大切な人だからね」
ヴァージンの目に、アルデモードの喜んだ表情が映る。そのたびに、ヴァージンの表情が緩むのを、彼女はその体で感じた。そして、これから先アメジスタ代表としての未来をそっと頭の中で思ったのだった。
(私は、やっとアメジスタから代表選手として認められた……。これからも、夢に向かって進むしかない!)
アルデモードが笑顔でその場を立ち去ると、入れ替わりにマゼラウスとメドゥがヴァージンの背後からそっと近づいた。二人とも表情は穏やかだったが、ヴァージンが二人に振り向いた瞬間、待っていたように口を開いた。
「今の、彼氏との話、私の耳にも十分届いたぞ、ヴァージン。アメジスタの強化選手になるんだってな」
「はい……。正式に、アメジスタから認められました。レースの結果よりも、こっちのほうが嬉しいです」
「だろうな。ヴァージンほど、故郷のためにと思っている選手はいないだろうから」
すると、今度はメドゥがマゼラウスより一歩前に出て、ヴァージンにこう言った。
「今だから言えるけど、ヴァージンは間違いなくオメガ国の強化選手になれた。オリンピックもオメガの選手として出られた。でも、決してヴァージンはそれを望まなかったでしょ」
「望みません。たとえオメガでトレーニングしていても、私には忘れてはいけない場所がありますから」
「そこが、ヴァージンの強いところだと思う。アメジスタにヴァージンの活躍がほとんど伝わらなくても、そのわずかな可能性を信じて、アメジスタを背負い続けたんだものね」
「メドゥさん……」
ヴァージンは、次の瞬間に思わず涙声になった。それこそが、自らがアメジスタの選手であることを誇れる証だと、彼女はすぐに気が付いたのだった。
数日後、高層マンションに戻ったヴァージンは、珍しくポストに封筒が二つ届いていることに気が付いた。
部屋に戻り、それらを机に置く。差出人はそれぞれ、アメジスタ文化省と父ジョージからだった。
(どっちも、アメジスタ……。どちらから開けたらいいんだろ……)
普段であれば、父親からの手紙に真っ先に飛びつくはずが、この時ばかりは強化選手のことが気になって仕方がなかった。これまでのところ、ヴァージンの耳に入っているのはネットのニュースからの情報だけで、情報を聞いてからの時間が長くなるほど、正式な通知を見たい気持ちが募っていった。
(ここは、文化省からの封筒を先に開けようか……)
ヴァージンが文化省からの封筒を開くと、「アメジスタ指定強化選手に選ばれました」と一文が添えられ、そこから下に様々な特典が書いてあった。ヴァージンは、じっくりとそれに目を通す。
(やっぱり、私があの時言ったように、お金での支援がメインになった……)
まず、アメジスタの強化選手として最大の特典は、毎月の支援金と遠征費の補助だった。
支援金は、月2000リア。これはヴァージンが最初にジュニア大会に出場した時に、「夢語りの広場」で集めた額と同じだが、それが毎月、ヴァージン自身の口座に入金されるというものだった。そして遠征費の補助は、オリンピックや世界競技会の参加費、オメガからの渡航費などを全額アメジスタ文化省が支払うものであった。
(あとは……、アメジスタとオメガの往復の飛行機代も出してくれる……!)
帰国のための飛行機代、という文字が目に飛び込んだとき、ヴァージンは思わず息を飲み込んだ。だが、彼女はすぐに納得した。どの国の代表選手も、試合のために世界中を飛び回って、時間が空いたときにホームグラウンドに戻ってくる。それまで含めての遠征費補助のはずだからだ。
さらに、支援はお金だけではなかった。強化選手のヴァージンを文化省がよりPRすることや、PRのためのブースを文化省の庁舎内に設けることなどが書かれていた。展示ブースに関しては、雑誌に紹介されたヴァージンの画像や、ヴァージン自身が記念として残しておきたいものを展示する計画になっている。
(あの狭い文化省で、私を紹介する場所を作ってくれるの……、ものすごくいいのかも知れない!)
ヴァージンは、その瞬間、以前ジョージが編集したフォトブックと、それ以降に「ワールド・ウィメンズ・アスリート」に載った画像、それに新品の「Vモード」などのアイテムを近いうちに送ることに決めた。
(でも、他の国の強化選手だと、もっと人数が多いわけだし、特典も変わってくるのかな……)
しばらく文化省から届いた要綱を見ているうちに、ヴァージンはふと読み進める目を止め、次の瞬間にはメドゥに電話を掛けていた。いずれにしても、文化省から遠征費を支援するということは、代理人が参加費などを振り込まなくよくなるため、そのことを伝えなければならなかった。
「メドゥさんは、オメガの強化選手だったとき、遠征費の補助とかどれくらい出ていたんですか?」
「ヴァージン、もしかしてアメジスタから正式な手紙が届いたでしょ」
「はい」
電話の向こうで、メドゥが察したような声で答えると、ヴァージンはやや大きな声で返事をした。その声に誘われるかのように、メドゥは電話を持ったまま、現役時代にもらった強化選手のしおりを探した。
「私の場合、世界記録を持っていたこともあって、遠征費と参加費用は全部オメガ国が出していたわ」
「もしかして、それは全部のレースってことですか」
「そうよ。ヴァージンの持っているしおりは、どういう書き方をしているの」
メドゥからそう尋ねられると、ヴァージンは文化省からの要綱に目をやった。
「オリンピックと世界競技会だけと書いています。参加費だけじゃなく、遠征費も出るみたいですけど」
「なるほどね。ということは、別に参加費とかを私のほうで振り込む必要はないってことね」
「そういうことになりますね」
(やっぱり、アメジスタとオメガでは強化選手に違いがあるか……。でも、バックについている国が違うんだし、そのあたりは気にしないでおこう)
毎月の支援金の額も、オメガ代表になると一気に10万リア、20万リアの単位になるとのことで、アメジスタ代表の2000リアは、知らない人が見れば少ないと言わざるを得なかった。だが、ヴァージンはそのことに対し、決して「少ない」とか「オメガが羨ましい」とは言わなかった。
(私が背負っている国が、最大限私に出してくれるお金……。私は、国の代表として支援を受けているんだもの!)
メドゥに強化選手のことを伝えて電話を切ると、ヴァージンの手はジョージからの封筒に伸びた。既に強化選手のことはおおよそ分かっているので、半ば落ち着いて父の言葉に耳を傾けることができそうだった。
だが、手紙を持った瞬間、ヴァージンの目が一つの文言で止まったのだった。
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ヴァージンへ
元気にしていますか。
この前アメジスタに戻ったときに、ヴァージンが文化省に支援を頼んだ結果が戻ってきた。
最終的には、アメジスタ議会にかけられ、無事に指定強化選手に決まったみたいだ。
これで、アメジスタ代表としてこれまで以上にアメジスタを背負って戦えると、父さんは信じてる。
あとは、ヴァージンがアメジスタ国内にどれだけ夢や希望を届けられるかだ。
まだ、半分近くの議員が「そんなことしなくていい」と思って反対票を入れたくらいだからな。
そう思う人々を、ヴァージンの走りで味方につけてくれることを願っているよ。
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(まだ、アメジスタ国内では、それをよしとしない人がいるんだ……)
10秒ほど、その部分に目をやったヴァージンは、直後に首を横に振った。そして、立ち上がった。
「でも、私はこれまで以上にアメジスタを背負って戦う。今まで、世界一貧しい国を背負い続けてきたことを、今はものすごく誇りに思えているんだもの!」
ヴァージンは、その目にアメジスタの人々をうっすらと浮かべてみせた。彼らがまた、大型ビジョンに映るアメジスタ人に歓声をあげることを信じて。