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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
二人の想いは いま一つに結ばれる
323/503

第53話 最速女王に湧き上がる自信(1)

(アムスブルグ……。私が、最も室内記録を叩き出している、相性のいいトラック……)

 アムスブルグ・インドアアリーナにヴァージンが足を踏み入れるのも、これで5回目のことだった。これまで参戦した4回の中で2度も室内世界記録を叩き出している。同時に、ジュニア大会以外で初めてレースに挑んだのも、このアムスブルグであり、室内レースだけで見れば彼女自身の成長を刻んでいるステージであることは間違いなかった。

 新たな代理人がメドゥに決まる前、ヴァージンが最後に申し込んだレース。たくさんの封筒の中を探しながら手に入れたレースで、申込期限までに時間がない状態で申し込んだということに変わりはない。だが、ヴァージンにはそれをも遠くに置き去りにできるほどの自信があった。

(私は、女子でただ一人、5000mを13分台で走れる。それは、私にとってものすごい自信になっている!)

 ヴァージンは、普段通りに受付を済ませ、ロッカールームのベンチに遠征用のバッグを置く。そこから、アメジスタカラーと超軽量ポリエステルに覆われたレーシングウェアと、燃えるような赤に染まった「Vモード」をゆっくりと取り出す。どちらも、彼女自身の13分台をはっきりと覚えている存在だ。

(アメジスタでは、国の代表として認められるかも知れないところまで来ているし、エクスパフォーマでも、私のモデルの商品が少しずつ形になっていると聞いている……)

 いつも以上に丁寧に身につけると、ヴァージンの全身に力が湧いてくるようだった。

(もしかしたら、近いうちに大きな変化が起きるかも知れない……。けれど、今の私にできることは、自分自身が刻んだ記録を、また伸ばしていくだけ……)

 心の中でそう言うと、ヴァージンはロッカーの中にバッグをしまい、集合時間まで調整を行うサブトラックへとその足を踏み出した。


 サブトラックで、1時間ほど最終調整を行ったヴァージンは、その間にいくつものカメラが彼女の近くにやってきたことに気付いた。取材のカメラが、世界競技会に匹敵するような数だ。これまで出場したレースの中で、アムスブルグがここまで大きなイベントだという認識が彼女の中にはなかった。

 だが、カメラマンの一言でどういう状況かがヴァージンにも伝わった。

「ヴァージン・グランフィールド選手を、2カメさん正面から撮ってくださーい。こっちは横から撮りまーす」

(やっぱり私だった……。13分台を出してから、初めてのレース。注目度は高いのかも知れない)

 そう心の中で呟いた後、ヴァージンはカメラの存在を忘れ、トレーニングに戻った。もはや、壁を破った後にできた自信は、レース前から彼女を本気にさせようとしていたのだった。

(強い自信がある今は、どんなレースだって次の記録を出せるはず。もう、進むしかないのだから)


 彼女の周囲で起きていた異変は、メイントラックに入ってからも同じだった。集合場所からスタートラインに向かうヴァージンが歩くたびに、その周囲の観客席から多くの歓声が湧き上がった。


――頑張れ、ヴァージン!今日も世界記録を叩き出せ!

――ペジャンで見せたあの走りを、今日も見せてくれよ!


(そうだ……。ペジャン選手権の画像は残っていないから……、余計に私の走りが注目されるんだった……)

 文字通り、記録しか残っていない、ヴァージンにとって初めての13分台。アムスブルグに集まった観客の中に、実際にその走りを見た人は一人いるかどうかといったところだろう。

(そう思われていると思うと……、逆にやってやろうという気になる……。こんな大声援の中で、ここまで落ち着けているんだから、今日の私は最高に近いレースをできるかも知れない……!)

 スタートラインに立ち、ヴァージンは小さくうなずいた。世界記録更新の道を再び突き進みだした一人のアスリートが抱くのは、記録を叩き出す自信だった。

(よし……!)

 号砲が鳴り、14人が一斉に飛び出した。今回のレースは、最近のレースで優勝争いに絡んでくるようなライバルはいない。逆に言えば、ヴァージンがペースメーカーになることは間違いなく、ともすれば200mの小さなトラックで全員を周回遅れにさせることすらできそうなレースになりそうだった。

(もう、後ろは振り返らない……。よほど、私に食い下がるようなライバルでも出ない限り……)

 そうヴァージンが思った通り、400m68.2秒のペースで足を前に出す彼女に対して、最初の2周ほどは同じペースで食い下がるライバルも数人いたが、3周目に入った途端に誰一人として付いて来る気配がなくなった。カーブの途中で後ろを振り返るようなことはしなかったが、ヴァージンに付いていた数人もまた、2位争いの渦の中に戻っていったようだ。

(ここから、4000m近くまでペースを維持できれば、間違いなく室内記録を数秒縮められるはず……!)

 前にも後ろにもライバルがいない、ヴァージンのペースで動くレース。滅多に見ない展開に対しても、ヴァージンは決して焦ることはなかった。


 だが、7周を過ぎた直後、ヴァージンの目は黒い髪の選手が一気に迫ってくるのを感じた。

(私があまりにも速すぎて……、最後部に7周で追いついてしまった……)

 まだ5000mのうちの1400mほどしか走っていないにもかかわらず、ここで周回遅れの選手を捕らえることは、ヴァージンにとって初めてと言ってよかった。1400mの通過タイムは、体感的には3分59秒ほど。だが、最後部の選手は同じ時間で1200m進んでおり、そのラップは400mに直せば80秒弱と、どのレースにもいるような標準的な選手に近い走りだった。

 屋外でのレースが1周400mのトラックに対し、室内ではそれがわずか200m。サイズが半分のトラックでは、周回遅れのラップも2倍に膨れ上がるのだった。

(全員を周回遅れにするどころか……、今の選手は3回くらい抜いてしまうかも知れない……)

 ヴァージンがそう思いながら黒髪の選手を抜き去ると、すぐ目の前に13位の選手が飛び込んできた。ウェアの色から察するに、地元ネザーランドの選手だろう。だが、その表情を見る隙もなく、ヴァージンの体がその横をかわしていく。そして、すぐに12位の選手が迫ってくる。


 そこで初めて、ヴァージンは気が付いた。

(私が速くなればなるほど、レース中に追い越さなきゃいけないライバルの数が増えていく……)

 当たり前のことながら、レース中のヴァージンにそこまで感じる余裕はありそうでなかった。常にライバルと記録だけの勝負を行っている中で、数多くの周回遅れをどう抜き去るかということをはっきりと思い描けないまま、負けたくない「相手」との勝負に挑んでいたのだった。

(そして、追い越さなきゃいけない回数が増えるほど、その分だけ距離的にはロスになってしまう……)

 ただでさえ、カーブで体を傾ける回数が倍になる中で、そのカーブでさえもかすかに外側に出なければいけない展開になっている。室内記録を狙うヴァージンにとっては、不利な状況だった。

 それでも、この日のヴァージンはその現実に焦ることすらなかった。

(もし、この難しいレースでも室内記録を出せたら、私の走りは本物ということになる……!)

 体感的には、400m68.2秒ペースのまま変わっていないものの、実際には追い越す分だけ400mを68.2秒よりも長い時間をかけて走っている。それでも、ライバルをあっという間に抜き去るヴァージンにとって、そのロスは時間的にも距離的にもほんのわずかだった。

(少なくとも、極端に外からの勝負を強いられない限り、室内記録は間違いない)

 14分06秒28――去年、彼女が出した室内記録は、今の自信を手に入れる前のものだ。そのことさえも、逆にヴァージンの足を前に出す力になった。

(私は、ここから何十人追い抜くことになっても、記録を出せる……)

 少なくとも15回以上は追い抜きを繰り返し、周回遅れに追い込んでいない選手は残り一人。

 その中で、4000mが迫った。「Vモード」のボルテージが、シューズの裏に刻まれた炎のように高まる。女子でただ一人、13分台を叩き出した脚が、いま新たな記録との勝負を始める。

(これだけ本気で走れている……。今日の私に、記録に負けるなんてことは、100%ない……!)

 残り5周。記録計に映った11分27秒という数字が、ヴァージンの自信をさらに強くさせる。スピードが高まれば高まるほど、あっという間にライバルを抜き去っていった。距離的なロスも感じないほどだ。

 その中でさえ、ヴァージンの得意とするスパートがさらに加速する。

(私は……、次の記録を出せる……。間違いない。そのために、今日、私はここで勝負をしているんだから!)

 最後の直線、ヴァージンの目の前には久しぶりに周回遅れの選手の姿が見えない。トップスピードに乗ったヴァージンが、力いっぱい駆け抜けた。

(記録……っ!)

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