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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
二人の想いは いま一つに結ばれる
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第51話 昨日の敵は今日の友(6)

 ホワイトスカイ・スポーツエージェントのオフィスに出向いてから1週間後、トレーニングセンターからヴァージンが帰ろうとすると、外でメドゥが待っていた。

「トレーニングお疲れ、ヴァージン。遠くで見てたけど、トレーニングでもかなり全力で走ってるわね」

「はい。トレーニングだからって、私は気を抜きませんので」

 セミフォーマルなウェアを着てヴァージンに話しかけるメドゥは、完全に一人の代理人になったように見えた。すっかり関係の変わったメドゥに、ヴァージンはそっと言葉を伝える。

「メドゥさんがいろいろなところに連絡してくれたおかげで、ポストがいっぱいにならなくなりました。ありがとうございます」

「まぁ、ヴァージンが封筒の山にうんざりしてるとか言ってたから、すぐにでもしなきゃって思ったのよ。それに、2月のアムスブルグの後も、いまレースのエントリーをしようとしているところ。5月や6月、月1回くらいのペースで入れてもいいよね、ヴァージン」

「はい。今のところ、出場ペースを落とす理由も見つかりませんから……。そういうことをこの1年間自分でやらなきゃいけなかったと思うと、本当に肩の荷が下ります」

「ヴァージンにそう言ってもらえて、幸せね」


 メドゥがそう言った時、ヴァージンは背後から温かい眼差しを受けていることに気付いた。

(なんだろう……。いつも感じているような眼差しのはずなのに、どこか今日は温かいような気がする……)

 ヴァージンが振り返ると、ちょうど帰り支度をしていたマゼラウスがじっと二人を見つめていた。だが、その目はヴァージンというよりも、むしろメドゥに向けられていたようにさえ感じられる。

 一方のメドゥは、ヴァージンを見ながらもマゼラウスの視線に気づいているようだ。

「あの……、メドゥさん……。コーチも一緒にいたほうがいいですか……」

「えっ……?どうして……?」

 思わずヴァージンに聞き返すメドゥだったが、少しずつにやけていく表情を隠すことができなかった。

(あれ……、この表情、最近私がコーチにメドゥさんの話をするときに浮かべているのとそっくり……)

 二人の間に、ヴァージンだけが知らない関係があるのではないか、とさえヴァージンは脳裏に思い浮かべた。だが、思い浮かべるだけで、そのことをはっきりと口にはできなかった。

「いや……、なんか……、コーチがメドゥさんに……、興味を持っているような気がしたんです……」

 ヴァージンが何気なくそう言うと、メドゥは一度うなずき、右の人差し指でヴァージンの顎を持ち上げた。それから、マゼラウスを手招きしてメドゥの横に立たせ、やや小さな声でこう告げた。


「ヴァージンには黙っていたけど、私たち……、結婚することにしたの」


(私を支える二人が……、まさかの結婚……)

 ヴァージンにとっては、信じられない言葉がメドゥの口から伝えられた。しばらく呆然と立ち尽くすしかなかったヴァージンは、その言葉を頭の中で数回繰り返して、ようやく事を理解できた。そして、叫んだ。

「ええええええーーーーっ!そ……、そんなことあるんですか……!」

「それが、私たちの運命だったの。あのカフェで出会ってから、マゼラウスは……何度か私と話し合ったの。ヴァージンの未来のことについて。そうしたら、私とものすごく気が合って……、契約を結んだ次の日に私から結婚を告げたのよ」

 すると、マゼラウスもメドゥを一度見て、嬉しそうな表情でヴァージンに告げた。

「夢破れ、その破れた夢を同じアスリートに託す者どうしの関係だ。同じ人間の成長を見届ける。それだけでも、私とメドゥは運命的な出会いだと思った。優しさとか美しさとかじゃない。同じ方向を目指す、よきパートナーとして、私とメドゥは結ばれた。今までお前に何一つ伝えなくて、悪いな」

「はい……。でも、メドゥさんの話をしているときのコーチの顔で、何かがあるとは思っていました……」

 ヴァージンは、首を横に振りながら、一人だけ強がった。しかし、強がったところでヴァージン自身の運命は変わらなかった。ただ一つ変わったことと言えば、これから先コーチと代理人が緊密に連絡を取り合えるという、最高の協力体制が築かれるということだった。

「もちろん、お前にはお前の生活がある。こういう関係になったからと言って、お前の私生活は今までと変わらないし、そこまで深く介入するつもりはないからな」

「マゼラウス、そこまで言わなくてもヴァージンは分かってるわ。言うだけおせっかいよ」

 そう言うと、パートナーとなった二人は軽く笑った。そんな中、ヴァージン一人だけ、目の前で急激に進んでいった関係の変化に戸惑いの表情を隠せずにいた。


(コーチとメドゥさんが、結婚か……。そんな予感はあったのに……、結婚という言葉を聞くと……、やっぱり驚いてしまった……)

 その日ヴァージンは、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。仰向けになって目を閉じるものの、普段から顔を合わせている二人の関係が変わってしまったことを、飲み込めずにいたのだった。

(私は……、アスリートの知り合いしかいないし……、結婚なんて考えたことがない……)

 トレーニング中も常に本気のヴァージンにとって、本業以外に取り込んでいることはほぼゼロといってよかった。間もなく28歳になろうという年齢で、恋愛経験の少なさがこの状況下で思い返されてしまう。

(たしかに、アメジスタのいた頃からアルデモードさんと何度もやり取りしているけど、全く結婚に発展しない……。大学に入ったらウッドソンさんと出会ったけど……、アルデモードさんと出会ってしまい、最悪の誕生日になってしまった。カルキュレイムさんとも、もう数年会ってないような気がする……。そうなると……、私の恋愛イベントは、どこでどう訪れるんだろう……)

 5000mで13分台を叩き出し、再び世界記録更新の道を歩み始めたヴァージンであっても、恋愛という名のトラックではいつになっても前に進まなかった。今まで、ヴァージンと肩を並べるようなライバルに先を越させることはなかったが、憧れのメドゥに先を越されたと思うだけで悔しさがにじむ。

(でも、メドゥさんは現役を引退してから、恋心に目覚めたのかも知れない。もし、私が引退するまでにゴールできたら……、私はメドゥさんに勝ったことになる……)

 そう、ほとんど形のない自信を持って、ヴァージンは眠りについた。


 12月に入り、ヴァージンは28歳の誕生日を迎えた。朝、トレーニングに出る前に覗いたメールにはお祝いのコメントが多数寄せられており、その全てに返信はできなくても、心の中でありがとうと呟いたのだった。

(帰ったら、もっと多くのお祝いが届いているんだろうな……)

 早くも帰宅後のことを思い浮かべながら、ヴァージンは部屋を出て1階まで降りていった。そして、何気なくポストに手を伸ばすと、メドゥが代理人になってからは珍しく、封筒が入っていた。

(なんだろう……。もしかして、メドゥさんとは関わりのない、保険関係の広告かな……)

 だが、ポストから封筒を取り出したヴァージンは、その差出人の名前を見て、思わず目を丸くした。そこには、ジーン・ビルシェイドと書かれてあった。

(ビルシェイドさん……。そう言えば、グローバルキャスからのメールに全く出てこなかったような気がする)

 ビルシェイドの働きかけがあったからこそ、アメジスタでのオリンピック中継が実現したと言っても過言ではなかった。分断された側でありながら、レースを見るためにオメガ国にやってきて懸命に応援した。だが、肝心のオリンピック中継のテレビの前に招待されながら、レース後に届いたグローバルキャスからのメールに、ビルシェイドのコメントが何一つなかったことを、彼女は薄々気にしていたのだった。

(でも、これが来たってことは、ビルシェイドさんは無事に生きているってこと……)

 さすがにトレーニングに持っていけないため、ヴァージンは帰ってくるまでその手紙を再びポストの中にしまった。それでもヴァージンは、トレーニングセンターに向かうまでの間、ずっとアメジスタのことを考えていた。

(アメジスタが夢や希望にあふれた国になるまでの道……、コーチとメドゥさんのように簡単には進まない……。それでも……、少しずつだけど……私の想いを感じ取ってくれるアメジスタ人がいて欲しい……。ビルシェイドさんは、間違いなくその一人になるはずの存在……)

 時折、ビルシェイドの表情を思い浮かべながら、ヴァージンは前に向かって歩いて行った。結婚よりも、アメジスタに希望を届けることのほうが大事であるかのように彼女には思えてならなかった。

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