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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
二人の想いは いま一つに結ばれる
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第51話 昨日の敵は今日の友(4)

 メドゥがヴァージンの代理人になることは、彼女の所属するホワイトスカイ・スポーツエージェントにも話が行っていない――そのことを告げられたヴァージンは、メドゥを見つめたままそっと返した。

「つまり……、エージェントが私を引き抜きたいんじゃなくて……、メドゥさんが私を……」

「そういうことになる。それどころか……、もしも私がヴァージンの代理人になれなければ、この仕事を追われてしまうかも知れないと思っている」

「やっぱり、エージェントはそんなシビアなところなんですね。私のいる場所と同じように……」

「そう。2ヵ月くらい前に入社したけど、新人はみな営業。そこで自分がその人生を支えていく選手を手にして、そこから代理人としての毎日が始まるの。ちょうど、ヴァージンがジュニア大会をたった一度のチャンスだと思って臨んだのと、似ているのかも知れないけれど」

 そう言って、メドゥはそっと息をついた。それからヴァージンの目をじっと見つめる。

「メドゥさんは、現役を引退しても……、そういう世界が似合っているのかも知れないですね」

「まぁ、そんな世界から逃げ出す理由もないし。でも……、あと2週間で一人も契約を取れなかったら、試用期間が終わってその場で会社を追われることになる。だからこそ、今は誰も代理人がいないヴァージンを、私が支えてあげなきゃって……、焦っているの……。エージェントに話を通す暇もないくらいに」

「分かりました」

 ヴァージンは、メドゥの見つめる中、はっきりとうなずいた。そして、そのまま言葉を続けた。

「メドゥさんだって、陸上に対する夢を諦めたくないはずです。メドゥさんの想いを、これからもトラックを走り続ける私が受け継ぐことで形にできるのなら……、お互いにとって幸せだと思うのです……」

「やっぱり、ヴァージンは前向きね。本当に代理人が欲しいという目をしている」

「それはそうですよ……。私だって、このままじゃいけないって思ってますから」

「じゃあ、決まりね。あとはエージェントの本社で、私たちの契約を結ぶ。それで、私たちの次のステージが始まる」

 そう言うと、ヴァージンとメドゥはテーブルを挟んでハイタッチを交わした。かつてトラックを駆け抜けたライバルが、それからわずか2年でトップアスリートと、それを支えるかけがえのない代理人の関係になろうということを、この場にいる人を除けば、誰も想定しえないことだったはずだ。


 それからしばらくの間、ヴァージンとメドゥは一緒に競い合ったレースのことで話が盛り上がり、夕方遅くなってからカフェを後にした。帰り道が同じ方向となるマゼラウスは、最近のトレーニング内容を除けば会話にほぼ入っていかなかったが、その分メドゥと別れた後に、ヴァージンに想いを伝えるのだった。

「あの場では、恥ずかしくて言えなかったが、やはりメドゥは強い意思がある。そう見えないか」

「強い意思……。はい、たしかに私はそう感じました」

 マゼラウスに振り向いたヴァージンの目には、珍しく終始笑顔を貫いているマゼラウスの表情が見えた。

「その強い意思が何なのか、お前も分かるはずだ。同じ、夢破れた者同士、次の世代のスターにその夢を託そうということだ。私だって、トラックを去った身として、その意思がどういうものか分かる」

「あの時、レースを諦めたトラックを前に、そう言ってましたよね……」

 ヴァージンの脳裏に、オメガセントラルの中心部にあるニューシティ陸上競技場が思い浮かんだ。残りわずか30mのところで諦めてしまった未練を、マゼラウスがその地点で話していたことさえ思い出せる。

「そう。そして、メドゥもまた、最後1周で力尽きただろ。その二人が、同じ人間に想いを託しているわけだ。これは、何かの偶然じゃない……。ある意味、お前という存在がもたらした、必然的な結果かも知れない」

「それこそ偶然じゃないですか、コーチ」

「偶然かな、本当にそれは……。私は、偶然だと信じたくないが……」

 すると、マゼラウスはヴァージンの目をじっと見つめながら、やや太い声で彼女に告げた。

「私は、メドゥの気持ちが分かる。メドゥも、私の過去を知ったら……、心の通い合う仲になるかも知れない」

「それは言えるかもしれませんね……。そう言う意味で、偶然じゃないのかも知れません……」

 ヴァージンは、やや大きく口を開いて、マゼラウスにそう告げる。だが、次の瞬間マゼラウスは立ち止まって、ヴァージンの耳元に口を近づけ、ささやくようにこう告げたのだった。


「できれば、メドゥと二人になりたい。パートナーになりたい。……私は、本気だ」


 その日、すっかり成長したメドゥのその表情に加え、マゼラウスのその言葉をヴァージンは忘れることができなかった。ベッドに入っても、思い浮かぶのはその二人がこの先どうなっていくのかだけだった。

(コーチは、どうして私にそのようなことを告げたのだろう……。最近、メドゥさんの話をするだけで表情がにこやかになるし、今日だってメドゥさんに何度も不思議な眼差しを送っていたような気がする……)

 ベッド横の小さなライトの光が、天井をかすかに照らす。そこに、何度かマゼラウスのそのような表情が浮かび上がった。そのたびに、ヴァージンは首を横に振った。

(それに、パートナーになりたいって……、もしかして……、コーチは本気で……特別な関係を望んでる?)

 そんなはずはない、と次の瞬間にヴァージンの脳裏はそう答えた。だが、これまで11年以上マゼラウスと付き合ってきて、マゼラウスの家族について聞いたことが一度もなかった。

(もしかして、コーチはこの歳まで本当に独身だった……。もしそうであれば……、そこに待っているのは……)


 結婚。その二文字が彼女の頭をよぎったとき、ヴァージンは思い出したように眠りについた。


 メドゥの所属する、ホワイトスカイ・スポーツエージェントの本社に向かうのは、それから1週間後に決まった。メドゥの試用期間が終わるまで、残り数日というところでのアポイントとなった。

(10時まで、時間ありすぎる……。いつものように、早く着すぎてしまった……)

 レース当日と同じように、ヴァージンは集合時間よりも相当早く現地に着いた。まだ9時にすらなっていない。当然、受付には誰もおらず、ヴァージンは入口の前で案内を待つしかなかった。

 その時、ガラスの向こうで誰かが勢いよく襟首を掴まれるようなシルエットが、彼女の目に飛び込んだ。背の高さと体格から、掴まれている人物がメドゥのように思えた。

「今まで、一人の陸上選手としか言っていなかったが、ちょっと待て。なんだ、この名前は」

「誰もがその名前を知っている、トップアスリートじゃないですか……。私が、積極的に声を掛けたんです」

(あぁ、やっぱりメドゥさんだ……。今まで、私が来ることを内緒にしていたのかも知れない……)

 マゼラウスが多くのエージェントに声を掛けて、誰一人として引き受けようとしなかった、世界じゅうにその名が知られる女子陸上選手。その名前を事前に言うことすらはばかられるようにさえ、ヴァージンには聞こえた。

 ガラスごしのシルエットの動きが、徐々に激しくなっていく。襟首を掴んでいるのが、腕の太い、かなりの筋肉質の中年男性だということもこの段階で分かった。

「お前の持ってきた案件だから、普通なら特に問題視しない。だが、こんな小さなところで、こんな大物の面倒を見ることになるんだぞ。それは、分かってるだろうな!」

「はい、分かってます……。だからこそ、私はこのエージェントに入ったと言ってもいいくらいです」

「じゃあなんだ。こいつを引き抜けなければ、ホワイトスカイを辞めますってことか!あ!」

「もう、時間的にもそれしかないです……。私は、ここで引き下がることなんてできません。私は、こんなかわいそうなアスリートを守らなきゃいけないと思っています」

「友達同士じゃないんだぞ!……いくら、同じレースを走ってきたからと言って!」

 それから、ガラスにメドゥが叩きつけられるような音がして、一人のシルエットがその場を離れた。だが、ガラスの向こうでは映っていたのか、先程メドゥを叩きつけたのと同じ体格をした人物が、ゆっくりと受付方向に近づいてくるのが分かった。

(まずい……)

 そうヴァージンが思うが早く、その中年男性が彼女の前に姿を見せた。その中年男性は、ヴァージンの目を見るなり、やや低い声で形式的な言葉を伝えた。

「いらっしゃいませ。どなたですか」

「ヴァージン・グランフィールドです」

 中年男性の目がじっとヴァージンを見つめる中、ヴァージンの目も次第に細くなっていった。その中年男性が今にも手を出しそうなしぐさをしているようにさえ、ヴァージンには思えた。

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