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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
たどり着けない場所なんてない
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第50話 何度跳ね返されても、私は挑み続ける(4)

 10月、ヴァージンは一人でトルビア共和国に降り立った。マゼラウスはあえて同行せず、ヴァージンも前日・当日の1泊2日と、オメガ国外での遠征にしてはタイトなスケジュールで大会に参加することにした。

 メリアムの言っていた通り、空港に降り立った数人の乗客からカメラや携帯端末が出国まで預けられていた。ヴァージンは事前に言われていたので、持ち込み禁止のアイテムは持ってこなかったが、ここが言論統制の厳しい国だということを空港で改めて知ることになった。


 ヴァージンがホテルに入ってつけたテレビも、たった1チャンネルしか映らなかった。それでも、ちょうど大会1日目のレースの最終種目、男子10000mテレビで中継されていたので、見ることにした。

(メリアムさんの言っていたことが確かなら、この映像が大会の公式映像になる……)

 スタート位置に並ぶ、15人ほどの選手たち。普段であれば、スタート前にトラックの内側から外側に向かってカメラが進み、注目選手の前で長く立ち止まる。だが、放送に映し出される光景は、トルビア人の選手の前だけで止まり、それ以外の選手はほとんど映らないように、複数のカメラ映像を切り替えている。そこまではメリアムから言われていたことだが、そこから1分も経たないうちに、ヴァージンは思わず息を飲み込んだ。

(15人中10人が、トルビア人……。やっぱり、国際陸上機構公認のレースと言っても、ここにトルビアの外から来る選手は少ないのかも知れないし、この様子だと外国の選手の顔はほとんど知られていないのかも……)

 そうこうしているうちに、スタートの号砲が鳴る。だが、レースの最中も観客席からのカメラがトルビア人ばかりをズームし、先頭がどこにいるのかさえ、ほとんど伝えることはなかった。ストライドが大きそうなトルビア人の前に一人いるようだが、前を走る選手がコーナーに入った後から映すので、足しか映らない。

(完全に、差別的なカメラワークをしている……。でも、この国の人は、このカメラワークのおかげで自分の国の選手を応援できているような気がする……)

 そもそもそのような機会がほとんどないアメジスタと比べればマシ、とさえこの時のヴァージンには思うようになった。ヴァージンがアメジスタで暮らしていた頃、アメジスタは「ワールド・ウィメンズ・アスリート」が細々と入る程度で、国外の選手を知る機会は限られていた。対して、今回の中継ではトルビア国外の選手のことをほとんど映さないまでも、「国外に強い選手がいる」という興味を持つ人は少なからずいることだろう。

 中継は、一応ゴールシーンが映し出された。2位のトルビアの選手を大きく引き離して、オメガの選手が優勝したが、それ以降はまたトルビアの選手ばかりを映すようになった。

(もし、明日のレースで私が13分台を出したら、どのように中継されるんだろう……。陸上の大会を中継するくらいなんだから、今の世界記録が14分00秒09であることぐらい、分かってはいるはず……)

 ペジャン選手権の中継が終わり、テレビを切ったヴァージンは、自分がどのように映し出されるか、うっすらと想像した。


 明けて、レース当日。15時の女子5000mに向けて、ヴァージンは11時にはペジャン州立陸上競技場に入った。スタジアムの外観は、国際陸上機構公認の大会が開かれるほどあって大きいものの、中は昔ながらの鉄筋がむき出しになっており、国外のスタジアムを見ただけで真似たとしか思えない作りだった。

 そして、いつものように受付を済ますものの、女子5000mには普段から顔を合わせているような選手の名前は一人もいなかった。名前だけは見たことがある選手はいても、自己ベストでヴァージンとは全く勝負にならない選手ばかりで、ヴァージンが独走状態になるレースになることは間違いなかった。

(でも、まぁいいか。最近のラップトレーニングは一人でやっていたわけだし、今の自分には13分台の壁と勝負をするしかないんだから……!)

 ロッカールームに向かい、バッグからレース用の「Vモード」を取り出した時、勝負に挑もうとするヴァージンの心は激しく燃え上がった。13分台に手が届きそうな状態から、これまで何度となくレースを経験したが、ここまで気持ちが高ぶったことは最近ほとんどなかった。


 ヴァージンは信じた。今日こそ、夢は実現するかもしれないということを。


 やがて集合時間になり、トラックの上に13人の選手が並んだ。最もトラックの内側に立つヴァージンが、軽く飛び跳ねながら最終調整をしていると、ほどなくしてカメラが近づいてきた。

(トルビア国営テレビだ……。やっぱり、私でも映してくれないのかな……)

 ヴァージンがそう思うよりも早く、カメラはすぐ隣のトルビアの選手を映し始め、その表情がスタンドのモニターにはっきりと映し出される。そして、トルビアの選手が映し出されるたびに観客席が盛り上がりを見せ、時にはスタジアムのアナウンスも聞こえなくなるほどの声で、自国の選手を称え始めた。もちろん、観客席にある横断幕も、テレビ映りに配慮してか国内の選手を応援するものばかりで、ヴァージンを応援するものでさえ一枚も見当たらなかった。

(完全アウェイだ……。でも、ここは気持ちを落ち着かせないと……)

 ヴァージンは、そっと目を閉じ、空を見上げながら再び目を開いた。その空は、世界のどこにもつながっている。オメガにも、そしてアメジスタにさえもつながっている。

(私を……、誰かがきっと応援してくれるはず……。私は、最高の自分を出して、その声に応える……!)


「On Your Marks……」

 世界共通の、スタートを告げる号令が響き、ヴァージンはスタートラインに立った。スタジアムが静まり返る中、適度な緊張が彼女を包み込み、一呼吸置いて勝負の号砲が鳴った。

(よし……!)

 ヴァージンは、スタートと同時に一気にスピードを上げ、ラップトレーニングで何度も意識したペースで最初のコーナーを駆け抜ける。わずか100mで、他のライバルの足音は遠くに遠ざかったが、その時にはヴァージンはラップ68.2秒の走りに集中していた。

 トレーニングと違い、この日は次のコーナーを回ってもマゼラウスの姿は見えてこない。その代わり、スタートラインがトラックを一周するたびに近づいてくる。

(3……、2……、1……!)

 ヴァージンは、マゼラウスが教えてくれたペースを心の中で数えながら、次の1周へと踏み出す。そこから少しずつペースが落ちていくことが多かったヴァージンは、少しでもペースが落ちたときにすぐリカバリーに入るよう、常に自らの体感速度を意識するようになっていた。

(ずっと同じスピードで走っているように思える……。このペースだと、5周で5分41秒、10周で11分22秒になるはずだし……、スパートがうまくいけば夢の記録にだって手が届く……!)

 2周、3周と同じペースを意識し、ヴァージンは1800mのラインで初めて記録計を見る。どこの国のレースでも見かけるような、電動式の記録計がこの日もコンマ2桁の数字まで慌ただしく動いていた。

(5分07秒になろうとしているところで、私は1800mを通過した)

 ヴァージンがその目でタイムを確かめるにつれ、大記録への期待は少しずつ確信へと変わっていく。2ヵ月前、最初にマゼラウスからラップトレーニングを告げられた日に、ラップ68.2秒から少し遅れたペースで走って、夢の記録まで残り0コンマ05秒のタイムを出している。もしこのまま10周目までラップを守り続け、そこからのスパートも決められれば、間違いなく夢は現実になる。

(残り、あと3000m……。私は、自分の走りたいように……、自分のできるだけの力で走り続ける……!)

 これまで、何度となくプレッシャーを感じ、13分台を出せなければため息をつかれ、少しずつ悪くなるパフォーマンスに対して不安になる日もあった。そのような中で無理に走っても楽しくなれるはずがなかった。

 それでも、今日この瞬間だけは違った。記録に手が届くという確信が、ヴァージンの足を普段より軽くさえさせていた。「Vモード」の靴底から、かつてないほどのパワーが湧き上がり、それが壁との最後の勝負に挑む原動力になった。



 しかし、掴みかけた夢がそう簡単にかなう展開は、今回のレースにも当てはまらなかった。あと半周もすれば得意のスパートをかける、3800mのラインにヴァージンが近づいたとき、それまで時を刻み続けていた記録計の数字が何の音沙汰もなく消えた。そして、ほぼ同時にスタジアムの照明が一斉に消え、非常灯だけがレースを照らし続けていた。

 客席さえ、ざわついている。

(もしかして……、停電……)

 何も映らない記録計の横を駆け抜けるヴァージンに、稲妻のように不安が襲い掛かった。

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