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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
たどり着けない場所なんてない
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第49話 アメジスタ人が初めて見たアスリート(4)

(うそ……)

 「アメジスタの人々の声」という件名のメールを開いた直後、ヴァージンは思わず息を飲み込んだ。


――自国の選手が走ることに、特段期待はしていないよ。

――このテレビにアメジスタの人が映ったところで、アメジスタ人が勝てないという現実は変わらない。

――むしろ、アメジスタ人をがっかりさせるための中継なんじゃないの?

――というか、どう楽しんでいいか分からない。他の世界を見たところで、アメジスタに関係ないはず。

――そもそも、何が行われるのか全く分からないものに、どう応援していいというのか。


(なに、この……、応援の一つもないメッセージは……。今までと、何も変わってないじゃない……!)

 ヴァージンがアメジスタに戻るたびに、故郷の人々は彼女の活躍を理解しようとせず、逆にアメジスタ人らしくないと言ってくる。この日開いてしまったメッセージは、そこから全く動かない現実を物語っていた。

(私が、どれだけ世界で活躍しているか……、みんな分かってない……。どうして私が、アメジスタのテレビで映ることになるのかも……、たぶんみんな分かってない……)

 一人のアメジスタ人として、ヴァージンは、両手の拳を丸め、力を入れた。ショックを通り越して、やり場のない怒りへと変わり始めていた。勿論、グローバルキャスから「見るな」と言われているものを開いてしまったヴァージンにも非があるものの、そこまで悪い内容であることを件名からは想像もできなかった。

(きっと、追い出した側の人々が言っている……。より貧しい人々をロープの向こうに追いやって……、少しだけ生活が豊かになった。そんな彼らには、希望なんて最初から求めていないのかもしれない……)

 だが、そう結論づけるにつれ、ヴァージンには悔しさしか残らなかった。それでも彼女は、数年前に「夢を捨てさせる」と言った青年ファイエルに向けて言い放った言葉を、咄嗟に思い出した。


――そこまでアスリートに生きる価値がないと言うんだったら……、今度は私が本気で走る姿を……、その目で見てください。後ろ姿だっていい。どんな想いで、私がトラックに立っているか……、きっと分かると思います。


(それを見るだけで、きっと……、私の想いは通じるはず……。私が、どんな想いで走っているか……!)

 ヴァージンは、メールを閉じることができないまま、ずっと考えていた。最初にそのメールを開いてから、数分の時間が経とうとするが、彼女はそこから全く動けなかった。

(私は……、明後日の本番で、出せる限りの力を出したい……。そして、アメジスタの人々を喜ばせて、どれだけの希望を私から感じてくれるか……、見てみたい……。ここで、悲しんでいるわけにはいかない……)

 ヴァージンは、ついパソコンの電源ボタンを押し、その場から立ち上がった。だが、立ち上がった彼女の周りに漂っている、不穏な空気を跳ね返す力は、その時のヴァージンにはもう、なくなっていた。

(本番で結果が残せなければ、アメジスタの希望は絶望に変わってしまうのだから……!)


 本番前日、ヴァージンは5000mのタイムトライアルをすることなく、トレーニングに集中する機会を増やすべく短距離の走り込みを重ね続けた。メールに書かれていたことを、最後の一文字まで忘れなければいけなかった。マゼラウスにも既にその悩みは打ち明けており、残りわずかな時間でヴァージンがどれだけ心を取り戻せるかを見守るという返事を受けた。

(私は、今は本番での勝利、そしてみんなに13分台という数字を見せること……。それだけを意識する……)

 日を追うごとに上がっていく気温に、ヴァージンの額に出た汗がより速く流れ落ちていき、前屈みになったとき、膝にそれが流れていく。それは、当日に向けてのパワーになると、普段以上にヴァージンは感じていた。


 当日、スタジアムに向かうヴァージンは、珍しく受付前にマゼラウスと待ち合わせた。メールを開いてしまったあの夜に、念のために彼女がお願いしたものだった。

「ヴァージンよ。あれから、メールは見てないな」

「はい。もう、見るといろいろなことを考えなければいけないので、部屋の隅にパソコンを動かしたくらいです」

「なるほどな……。昨日のお前の走りを見ている限り、現実と向き合う気持ちに溢れている。5000mを走りきるまで、その気持ちをずっとキープして欲しい……」

 マゼラウスがうなずくと、ヴァージンもほぼ同時にうなずいた。マゼラウスの目が輝いているように見えた。

「最後は気持ちだ。13分台で走りたいと願う気持ち。アメジスタの応援を、その力に変えろ」

「分かりました。本番は、それだけを意識して……、大記録に挑みます」

 ヴァージンは、次の瞬間に普段より強く肩を叩かれた。「Go!」と短い言葉を託されたように感じた。


 やや暗くなってから行われる、女子5000mの決勝。照りつけるような光は西の空に消え、そこに集う世界じゅう選手たちを優しく包み込むような星空が、スタジアムの上を覆い始めていた。

(そろそろ、集合時間になる……)

 サブトラックで最後の調整を終えたヴァージンは、ゆったりとした足でメインスタジアムに入った。すると、すぐ真横からサーモンピンクの髪がひらひらと流れてきた。

「グランフィールドだー!今日も、絶対に追いつきたい人ーっ!」

「カリナさん……。今日も、すごく元気ですね……」

 ヴァージンが苦笑いを浮かべながら返すと、カリナはやや見上げるような目でヴァージンを見つめた。

「暗くなってたら、本番で力が出なくなってしまいますから!グランフィールドみたいに、後ろから見ても落ち込んでそうな背中じゃ、ベストタイムなんて出ないし、できれば本気のグランフィールドと戦いたいなー」

(言われてしまった……)

 昨年の世界選手権で優勝したとは言え、自己ベストでは数秒及んでいないカリナから言われた言葉に、ヴァージンは思わず体を震わせた。意識はしていなくても、体には表れてしまうようだ。

「私、そんなことないです。数日前、嫌なことがあったのは間違いないんですが……、できるだけそれを忘れようと、私は本番まで前向きに過ごしてきたつもりです」

「ならよかったー。でも、今日も追いついてみせます!」

 そう言って、カリナはヴァージンを追い抜いていった。ヴァージンも、すぐにメリナの後を追った。


 5000m決勝のトラックにアスリートたちが集結する。これまでトップを争ってきたメリアムやメリナ、カリナなどの強豪選手が、軒並みヴァージンより内側に並ぶ中、ヴァージンは左目でライバルたちの姿を見た。

(今日、アメジスタのみんなが見ている前で、私は大記録を叩き出す。もうそれしか考えないことにする)

 息を落ち着かせ、ヴァージンはスタートラインの近くで軽く足を伸ばす。すると、選手たちの素顔を映すカメラが彼女の左からゆっくりと近づいてきた。

(そうだ……。いま、この瞬間からアメジスタのテレビにも私が映っている……!)

 ヴァージンは、産業開発局前に置かれた大型モニターに自分の表情が映るのを、頭の中で想像した。自分の走っていないレースの映像を見てイメージしたものの、そのイメージすらないアメジスタの人々にとって、突然テレビの中にアメジスタの国旗を彩ったウェア――しかも、アメジスタ国内の技術で作られたウェア――を見れば、こう思うはずだ。自分の国から世界を相手に戦っている選手がいる、と。

(ああ言っていた、アメジスタの人々……。きっと、そろそろ目の色を変えてくれるはず)

「On Your Marks……」

 ヴァージンは、勝負の時を告げる声を背に受けながら、スタートラインに立った。その目は、アメジスタから世界を捕え、過去最高の自分さえ捕えようとしていた。きっと、その目すらアメジスタの人々に届いていると信じて。

(よし……!)

 号砲が鳴った。これまでのレースと同じように、メリナとメリアムがラップ67.5秒前後のストライドまで高めながら、トラックの内側を前に出る。ヴァージンは、初めからそのペースまで上げることなく、これまでトレーニングで何度も積み重ねてきたラップ68.2秒のペースで勝負することにした。

(早い段階から焦ってしまうと、この前の10000mのようになってしまう……。普段の自分を出せれば、きっとそれがタイムに跳ね返ってくるはず……!)

 1周につき4m近く。少しずつ広がっていく先頭二人との差を、ヴァージンはこの日も「いつでも追いつける差」として無視し続けた。カリナを含めて、序盤からヴァージンの背中にぴったりとついてくるようなライバルは、この時点でまずいなかった。

 だが、2000mを過ぎたあたりで、それまでメリナの背後に付いていたメリアムが、突然ペースを上げた。

(まだ3000m残っているのに、レースが動いた……!)

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