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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
たどり着けない場所なんてない
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第49話 アメジスタ人が初めて見たアスリート(2)

 スタート直前、ヴァージンの見上げた大型ビジョンの先には、彼女自身の姿が映っていた。29分台の自己ベストを持つアスリートが、いま最も注目されていると信じ、号砲を待った。

(よし……!)

 号砲とともに、ヴァージンはラップ73秒のペースを意識し、5000mよりはゆったりとしたペースで飛び出した。10000mでは、我先に先頭のポジションに立とうという選手はまずいないが、その代わりにヴァージンのすぐ後ろを、何人もの選手が最初の半周までぴったりとついてくる。

(すぐに振り切る必要もない。私は、このペースで8000m……、9000m近くまで走り続ければいいだけだから)

 だが、最初の1周を回り終えた途端、ヴァージンは背後にいた一人のライバルが横に出てくるのを風で感じた。オレンジ色の髪が、ヴァージンの右肩を撫でていく。

(エクスタリアさん……)

 エクスタリアの怪我もあり、ヴァージンとは3年前の世界競技会以来走っていない。だが、エンブレア代表のウェアに身を包んだ彼女は、久しぶりとなる10000mでのレースで、闘志を燃やしているように思えた。

(エクスタリアさんは、今まで大きなレースで優勝していない……。まるで、5000mの私と同じ……)

 ヴァージンは、エクスタリアのストライドを確かめる。コーナーと、次の直線の半分ほどをかけてヴァージンを追い抜いた後、エクスタリアのラップは73秒を少し切るほどに落ち着いていた。それ以上スピードを上げて、ヴァージンを引き離す様子ではなさそうだ。

 ラップ73秒で走り続けるエクスタリア、それにヴァージン。さらに、その後ろでほぼ同じペースで、6人ほどのライバルたちが食らいつく。先頭集団が8人と言っていい状態だ。

(なかなか見ないレース展開。どこで、誰が抜け出してもおかしくないのかもしれない……)

 ヴァージンは、体の感覚でタイムを刻みながら、エクスタリアの真後ろをぴったりと付いて行った。


 だが、膠着した時間は長くは続かなかった。ヴァージンが4000mを駆け抜けたとき、再び彼女の横を目掛けて勝負を仕掛けるライバルに気が付いた。

(エクスタリアさんのときより、衝撃が強い……。もうスパートをかけている……)

 ここまで、ヴァージンのタイムは体感的に12分13秒ほど。先頭をキープしてきたエクスタリアとは、少しずつ差を開けられていると言っても2、3秒ほどだ。決してペースが遅いわけではない。

 ヴァージンは、真横に躍り出てきたライバルの表情を確かめた。フェイランドのレジナールだ。

(レジナールさんが、前よりも早い段階で勝負を仕掛けている……)

 昨年の世界競技会で戦ったときは、風に翻弄されたレースの中で8000mから勝負を仕掛けられたはずだ。その彼女が、残り距離にして3倍となるこの場所から勝負を仕掛けることは想定外だった。

(抜かされないようにしないといけない……!)

 ヴァージンは、右足にほんのわずか力を入れ、まだ決して重くなっていない足をやや速いテンポでトラックに叩きつけた。体感的に、ラップ72秒少し。勝負を仕掛けたレジナールとほぼ同じスピードで、彼女はトラックの内側を回り続ける。コーナーでレジナールを寄せ付けなかったヴァージンは、次の1周で再びヴァージンの後ろに戻っていく。

(いつ勝負を仕掛けられてもおかしくない……。今日の10000mは、かなりハイレベルなレースになりそう……)

 ヴァージンの背中が感じるに、半分近くの距離まで進んだこの段階で、彼女の背後にレジナールを含めて3名のライバルが食らいついている。新たな世界記録を叩き出そうとしているそのペースで、これほどまでのライバルを振り切れないのは、久しぶりだった。

(どうペース配分していこう……)

 少しずつではあるが、エクスタリアとの距離は縮まっている。だが、少なくともレジナールとエクスタリアとの距離も、ほぼ同じだけ縮まっている。ヴァージンが一気にラップタイムを上げて、下手にレジナールを刺激すれば、3人同時に主導権争いをすることになる。スパートが持続する距離であればまだしも、残り5000mほどある段階での勝負は、出場選手の中で突出した自己ベストを持つヴァージンであっても冒険がすぎた。

 何人もの先頭集団が残る中で、今度こそレースは膠着状態に入った。7000mを過ぎ、8000mまで残り一周と少しになった直線まで、ヴァージンを含めて全く動こうとしなかった。


 ヴァージンの目に、7600mのタイムを告げる記録計が飛び込んでくる。

(23分05秒……。残り6周……。そろそろ勝負を仕掛けなければ、10000mの世界記録が遠くなってしまう……)

 ヴァージンは、ラップ72秒からスパートをかけたとして、ゴールのタイムを積み上げ計算した。膠着したレースの中で、勝負を仕掛けるタイミングは、ヴァージンにとっては今しかなかった。

(まず、次の1周、2周でエクスタリアに並んで抜き返そう。おそらく、後ろにいるヒーストンやレジナールが食らいついて、スパートをかけて追い抜こうとする。そこでもう1段、普段のようにギアを上げればいい……)

 ヴァージンの脚は、早くも記録との勝負に挑もうとした。「Vモード」から足の裏に送られるパワーを彼女は感じ、その靴底に刻まれた炎が勝利へのボルテージを高めていく。

(コーナーを回り終えた瞬間、スピードを上げていく……!)

 直線に飛び出した瞬間、ヴァージンは一気にそのペースをラップ70秒ほどまで上げていった。これまでじわじわ縮めていたエクスタリアとの距離は、一気にその背中を捕えるほどまでに迫っていった。

(私は、まずライバルたちを振り切らなければ、自分の記録との勝負ができない……!)

 8000mを駆け抜ける直前で、ヴァージンはエクスタリアの横に並び、そのまま抜き去った。だが、それと同時に、ヴァージンは背後から迫るライバルたちの息遣いをはっきりと聞くようになった。

(私が、後ろのライバルたちを刺激した……)

 ヴァージンは、面白い勝負になる、と心の中で呟いた。十分すぎるほどのパワーが「Vモード」から届けられる中では、彼女の足は全く負担にならない。残り2000m、普段のようなスパートで駆け抜けることはできそうだ。

 それでも、ヴァージンは恐ろしいほど背後にから風を感じた。新たな世界記録へと突き進む彼女を、後ろから捕まえるように、迫ってくる。

 そして、8400mを過ぎたあたりでヴァージンの目に映ったのは、流れるような赤い髪だった。

(ヒーストンさん……!)

 オリンピック2連覇を狙うヒーストンが、コーナーにも関わらずヴァージンをラップ68秒ほどのペースで抜き去り、その背中と、ヴァージンと同じモデルのシューズを彼女の目に見せつけた。ラップ70秒に上げていたヴァージンは、引き離されまいとペースを上げようとするが、その瞬間に今度はレジナールにあっさりと抜かれてしまった。

(みんな、ペースを上げている……。私だって、スパートをかけないと……!)

 先頭から一気に3位まで落とされたヴァージンは、右足に力を入れた。5000mのときと同じように、ここからスパートをかけていけば、前の二人を軽く追い抜くことは可能なはずだ。そう信じて、ヴァージンはさらにペースを上げていく。体感的には、ラップ67秒ほどだ。

(レジナールの背中……、私は捕えてみせる……!)

 だが、次の瞬間にヴァージンが見た光景は、レジナールも彼女と同じようにペースアップしている姿だった。先にヴァージンを抜き去ったはずのヒーストンに、レジナールが並び、そのまま抜き去っていく。

(去年のレースでも、風に苦しむ私を追い抜いて……、スパートをかけられてしまった……)

 風が吹いている中で、ほぼ未知数だったレジナールのスパートを、ヴァージンはこの時はっきりと思い知った。5000mの大記録にもがき苦しむ中で、彼女がもう一つの種目の「いま」を研究できていなかったのだ。

(でも、私は追い抜くことができる……、まだいくらでもペースを上げられる……!)

 ヴァージンは、「Vモード」にさらに力を入れた。2位になったヒーストンをあっさりと抜き去り、ラップ67秒ほどのペースで突き進むレジナールを捕える。勝利への道を、自らの脚に託した。

 だが、9200mを過ぎて、さらにペースを上げようとしたとき、ついに彼女の足が悲鳴を上げた。

(足が重い……。「Vモード」のパワーが消え始めている……)

 やや早い段階で勝負に挑んだがために、ヴァージンの脚はスパートをかける力を失ってしまった。ヒーストンの背中に食らいつくのがやっとで、その背中すら少しずつ引き離されていく。スパートが不発に終わった世界女王に、先を行く二人はあっさりと振り切った。


(金メダル……)

 最後は全く勝負ができず、3位に終わったヴァージンは、ゴールを駆け抜けた瞬間、無意識にうつむいた。

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