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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界最速の脚でさえ あと少し届かない
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第47話 ラストチャンス(1)

――世界競技会直前、グローバルキャスの陸上スタッフ一押しの注目競技をピックアップ!

 世界競技会まで1週間と迫った日の夜、ヴァージンは普段あまり目にしないグローバルキャスの放送を、意識的に見た。ビルシェイドがオメガにやってきた日から、アメジスタでの中継を前向きに検討していると聞いているものの、少なくとも今年に入ってからは大きな動きもなく、グローバルキャスの放送から彼女は遠ざかっていたのだった。

(グローバルキャスは、私をどのように見ているのだろう……)

 これまで、数多くのメディアで、ヴァージンは女子長距離界のスターとして紹介されることが多く、最近出た「ワールド・ウィメンズ・アスリート」でも、注目競技と選手のところに当然のように名前があったくらいだ。

 ヴァージンがテレビの画面をじっと見ていると、男子の短距離から紹介が始まり、走り幅跳び、やり投げなど、この世界競技会でいかにも注目されそうな競技が次々と紹介されていった。そして、15分ほどがすぎたところで、アナウンサーが「CMの後は、女子の注目競技を紹介」と言って、画面が切り替わった。

(……えっ!?)

 CMの直前、テレビの画面に映ったのは、ローズ姉妹――メリナとカリナ――だった。その右下に「次世代姉妹、女子5000mの新たな名勝負を作り出すか」と書かれているのが、ほんのわずかな時間の字幕でもヴァージンにも分かった。

(5000mが……、私じゃない……)

 スポーツ専門チャンネルなので、ほとんどが放送予定ばかりのCMが流れるものの、ヴァージンはその場で立ち止まった。次に何が始まるのか、気が気でならなかった。少なくとも、彼女の体は震えていた。

 そして、CMが明けると、アナウンサーがアップで映り、すぐにこう紹介したのだった。

「毎回、世界記録で注目される女子5000m、今年の主役はこの二人による一騎打ちです!」

 その声とともに、画面には左右にメリナとカリナが力強そうなフォームで映っていた。そこには、先日のサウザンドシティ選手権で叩き出した自己ベストが表示されており、その後すぐに「世界記録まで3秒79、13分台まで3秒89」などと表示された。

「姉妹揃って、女子5000mのタイムが急成長しています。とくに、カリナ・ローズ選手の、春以降の追い上げは、このまま一気に13分台へと突き進むような、そんな気配を感じさせます」

(13分台を出すのは……、私しかいないはずなのに……!)

 ヴァージンは、無意識のうちに右手の拳を握りしめていた。カリナの元気そうな表情がテレビに映るたびに、彼女は首を横に振る。それでも、彼女の気持ちだけでVTRの雰囲気が動くことはなかった。

 そのまま1分ほど、メリナとカリナのプロフィールや走り方などが紹介された後、もう一人のサブアナウンサーがようやくヴァージンの名前を切りだしてきたのだった。

「そう言えば、今回も勿論、ヴァージン・グランフィールド選手は出場されるんですよね」

「勿論エントリーしています。ですが、こちらをご覧ください」

 そう言って、アナウンサーが出したフリップには、メリナ、カリナ、そしてヴァージンの今年に入ってからのタイムの推移が描かれていた。ヴァージンが見るまでもなく、彼女ひとり、記録が下降線をたどっていた。

「世界記録14分00秒09を出した後、グランフィールド選手は少し調子を落としてきているように思えます。13分台という大記録を前に、足踏み状態が続いています。メリナ選手とカリナ選手の一騎打ちがエスカレートすれば、この世界記録を二人のどちらかが更新する可能性だって十分に考えられます」

 アナウンサーがフリップを置くと、すぐに他の競技に話題を移した。ヴァージンはテレビを切った。

(違う……。そんなはずはない……。自己ベストだって、まだ3秒以上私のほうが上回っている……)

 消したはずのテレビに、その後しばらくヴァージンは目を向けないようにした。それでも彼女は、その日普段より1時間も早くベッドに潜り込んだ。


(メリナさんとカリナさんが、私の前でほとんど互角の勝負をしている……)

 その日、夢の中でヴァージンが見たのは、間近に迫った世界競技会で間違いなく勝負しなければならない二人の、懸命にデッドヒートを繰り広げるシーンだった。レースの最初からは見ていないものの、何となく3600mを過ぎたあたりという雰囲気が、彼女の中に漂う。

(目の前で二人だけで勝負していたとしても……、私は追い越してみせる……!追い越さなきゃいけない!)

 4000mと思われるラインを過ぎた直後から、ヴァージンのストライドが一気に大きくなり、勝負を繰り広げている二人の背中が瞬く間に大きくなる。コーナーに差し掛かったときに、二人の外から攻めていき、直線に出ようとしたときに、メリナもカリナもほぼ同時に抜き去った。そこから次のコーナーに達した時には、もう二人の息遣いは聞こえてこなくなった。

(絶対女王の称号は……、譲れない!どんな速いライバルが、私の前に立ったとしても……!)


「夢か……」

 夢の中から聞こえた決意で目を覚ましたヴァージンは、思わず首を縦に振って、口元を緩ませた。

(私、自分から絶対女王なんて、ほとんど言ったことないのに……。それだけ、あの二人に負けられない気持ちが、心のどこかにあるのかも知れない……)

 自己ベストを考えれば、間違いなくヴァージンが世界競技会で初めての頂点に立てる。それどころが、ここ数日のトレーニングでも、5000mのタイムが上向き始めている。それらが、絶対女王の心を後押ししていく。

(こんな夢を見たんだから、本番では絶対に負けないはず……。絶対に……)


 その日は午前中が自主トレで、エクスパフォーマのトレーニングセンターに向かうのは午後になってからだった。時間の1時間前にトレーニングセンターに入ると、そこにはちょうどトレーニングを終えたメリアムの姿があった。

「メリアムさん、お疲れ様です」

「グランフィールドじゃない……。お互い、もう日数も少ないから、こんなところで会えるとは思わなかった」

 そう言って、メリアムが笑うものの、彼女はすぐに心配そうな眼差しをヴァージンに向けた。

「そうそう、これは会ったら絶対聞かなきゃと思ってたことなんだけど、昨日のグローバルキャス、どう思う?」

 メリアムが静かに言うその声に、ヴァージンはかすかにアナウンサーの表情を思い浮かべ、すぐに首を横に振った。

「完全に、私がいないことになっていたような、そんな感じがします」

「やっぱり……。あの紹介はないと思う。一緒に走るだけじゃなくて……、あの大記録に一番近いという意味でも、グランフィールドを追い抜けるようなライバルは、しばらく出ないはずなのに、と思う」

「ありがとうございます。私だって、あの二人だけで1位、2位を争うなんて、絶対にないと思っています」

「グランフィールドがそう言うと、何か心強い。これまで何度となく世界記録を打ち破った、その口がはっきりとそう言ってるわけだし……」

 そう言うと、メリアムの右手がやや高く上がり、ハイタッチのしぐさを見せた。それに呼応するように、ヴァージンの右手も勢いよく上がっていく。お互いの呼吸が合ったとき、ヴァージンとメリアムの右手同士が決意のタッチを交わしたのだった。

「必ず、あの二人を抜き、引き離してみせます。そうすることでしか、13分台はないはずですから」

「勿論、グランフィールドにとっては、私も引き離す対象よね」

 横から覆いかぶさるようにメリアムが突っ込むと、ヴァージンはかすかに笑った。

「そう言えば、最近メリアムさんと一緒に走ること、なかったかも知れないですね」

「そうね……。でも、一緒に走る今度のレースは、私は全く手加減する気はないから」

 そう言うと、メリアムは軽く手を振って、その場を立ち去った。世界競技会前のオメガ国内での最後のトレーニングとなったその日、ヴァージンの5000mタイムトライアルは、14分03秒86と、二人の自己ベストを上回る結果を残したのだった。



 それから数日後、ヴァージンは本番のレースが行われる会場、フェイランド共和国のジャミスのスタジアムの前にいた。まだ開会式も行われていないが、その周辺では明らかに出場すると思われるアスリートたちが、汗水を流しながらトレーニングを重ねていた。その中には、まだメリナとカリナはいなかった。

(もしここで、メリナさんやカリナさんがいたとしたら……、間違いなく今すぐにでも走り出しそう……!それで、あの時見た夢のように、軽く追い越せそうな気がする……!)

 ヴァージンの目は、残り数日に迫った勝負の日をじっと見つめていた。それが、普段以上に過度な自信を与えているとは、彼女が気付くはずもなかった。

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