第46話 トップアスリートの苛立ち(4)
今シーズン全ての試合に出場している、グラスベスのフォワード・ジェントスに代わり、アルデモードが今シーズン初めてのピッチに立つ。アメジスタ代表だった頃から変わることない、相手のゴールに挑むポジションで、この日のアルデモードも真剣な眼差しでピッチを見つめていた。勿論、アメジスタにいた頃からその活躍を知っているヴァージンを、全く意識することなく。
(久しぶりの試合……。アルデモードさんは、どういうゴールを決めるんだろう……)
新たなフォワード投入とともに、歓声が高まるグラスベスのサポーターたち。アルデモードが1-1の同点を打ち破る瞬間を、みな待っているかのようだ。そして、そのチャンスはすぐにやってきた。ヒュンエルのディフェンスを破り、アルデモードに向かって鋭いロングパスが放たれた。
(アルデモードさん……。復活のシュートを……、決めてください!)
祈るような気持ちが、ヴァージンを支配する。彼がピッチに立つ前は不安が支配していたにも関わらず、この時ばかりは不思議と歓声が上がる。おそらく、ヴァージンの周囲では誰もがそう思っているに違いなかった。
それら全ての目が注がれる中、アルデモードがそのパスを体で感じ、寸分違わずボールに鋭い回転を与えた。
(シュート……!)
常勝軍団のフォワードが放つ強烈なシュートが、ゴールポストに挑んでいく。その回転は間違いなく、ヴァージンが見てきたシュートで最も強いものだ。あとは、最後の守り、キーパーがそのボールに食らいつくかどうか。ヴァージンは、祈るしかなかった。
だが、その直後、ヴァージンの聞き覚えのある落胆の声が、スタジアムを包み込んだ。
(弾かれた……)
アルデモードの放ったシュートに、相手のゴールキーパー・ディックスの鋭い感性が食らいついていった。体でボールを弾き返し、再びピッチにボールが戻っていく。その瞬間に、この日初めてグラスベスのサポーターからため息が漏れた。
(でも、まだアルデモードさんにはチャンスがある……。次こそ……!)
弾き返されたボールを、グラスベスのエースストライカー・イヴァンが右足で止め、アルデモードに向けて鋭くパスした。そのパスに、アルデモードの足が勢いよく食らいつき、再び力強いシュートを放つ。
その瞬間歓声が上がった。だが、その歓声も、わずか2秒でため息へと変わってしまった。
(また止められてしまった……。なかなか、アルデモードさんのシュートが決まらない……)
今度は、ディックスがゴールエリアからハーフラインまでボールを飛ばし、その瞬間から完全にヒュンエルがボールを支配する時間ばかりとなった。グラスベスが何度ボールを戻しかけても、相手の攻撃の勢いを止めることができない。そこからわずか10分で3失点。アルデモードに再びチャンスが回ってくることなく、グラスベスは1-4でヒュンエルに完敗を喫し、数年ぶりにリーグオメガの1位から陥落することとなった。
(アルデモードさん……)
思わず下を向くヴァージンの周囲から、いくつものため息が聞こえてくるようだった。そして、そのため息はヴァージンがスタジアムを去るまで鳴りやむことがなかった。
「ごめん。せっかく君がスタジアムに来てくれたのに、今日の僕は全く活躍できなかったよ……」
試合後、スタジアムの近くの隠れ家的なレストランで、ヴァージンはアルデモードと落ち合った。ほとんどサポーターがいない静かな空間に、ドアを閉める時の鐘の音が悲しげに響く。
お互いカクテルで乾杯をすると、ヴァージンは悩んだ表情を浮かべるアルデモードに、思い切って告げた、
「そんなことはありません……。今日のアルデモードさんも、果敢にゴールを狙っていたと思います」
「まぁ、チャンスは2回続いて……、そのどちらも僕のシュートが決まると思ったんだけどね……。客席にいる僕たちのサポーターを沸かせることができなかったよ……」
アルデモードは何度か首を横に振り、オレンジ色が美しいカクテルをそのまま口に含んだ。
「たしかに、歓声はすぐにため息に変わってしまいました……」
「たぶん、いつも勝負の世界にいる君がそう思うんだから、ため息が聞こえたのは間違いないことだと思うよ」
そう言って、アルデモードはヴァージンに目を合わせ、それからまた首を横に振る。その一連の動きがようやく落ち着いた頃、ヴァージンはそっとアルデモードに尋ねた。
「アルデモードさん。少し、私は気になることがあるんです」
「どうしたんだい」
「あの……、どうして、人は期待に応えなかったら、ため息をつきたくなってしまうんでしょう……」
ヴァージンの何気ない問いかけに、アルデモードはほんのわずか、表情を強張らせた。
「どうだろうね……。期待に応えられなくてため息が出てきてしまうのは間違いのないことだけど……、僕はそこまで考えた事がなかったな」
「私だって、今まで意識はしてこなかったつもりです。でも、この前のレースで、13分台を叩き出せなかった私に、客席からたくさんのため息がこぼれてきたんです……。もしかしたら、今までもそんなことがあったのかも知れないですが……、この時からずっとため息を意識するようになっているんです……」
やや低めのトーンでそこまで言ったヴァージンに、アルデモードは腕を組んだ。10秒ほど腕の動きを止め、その間真剣に考えているような表情を浮かべていた。
「アルデモードさん……、そこまで深刻に考えることじゃ……、なかったのに……」
「いや、今日の僕だって、言われてみればそうなのかも知れないし……、僕のほうが深刻なのかも知れない」
「深刻……」
ヴァージンは、両肘をテーブルにつき、両手を頬に当てながらアルデモードを見つめた。
「ヴァージンは、ずっと結果を残している。世界記録を刻むことによって、何度でもその名が世界じゅうに広がっていく。でも、僕は走るだけじゃ……評価なんかしてくれない。シュートが決まらなければ、みんなの期待に応えたことに……、ならないんだよ……」
そう言って、アルデモードは窓の外に目を向けた。オメガセントラルの空は、試合が終わるとともに厚い雲に覆われていたが、その雲から激しい雨が地面を叩きつけていた。まるで、グラスベスのサポーターの心境を示しているかのようだった。
その後、アルデモードはヴァージンに目線を戻し、気持ちを吐き出すかのようにヴァージンに告げた。
「今日、試合後にイヴァンに言われたんだ。僕のことを、結果を出せないフォワードだって」
「結果は……、そんな簡単に出せるわけじゃないはずです……」
「そう言ってくれるのはありがたいんだけど、僕にはこの試合、もう後がなかったのかも知れない。ずっと試合に出られなくて、ようやく勝ち取ったはずの機会に、シュートを止められてしまったんだ。得点王のイヴァンに、僕が結果を見せていれば……、あの場で何も言われなかったと思うんだ」
アルデモードは、その場で首を垂れた。アメジスタで一流のサッカー選手を夢見るものの、彼の立った舞台は世界ランキング最下位のアメジスタ代表チームで、そこでシュートを放つ機会はほとんどなかった。そこから一人、アメジスタから亡命する形で、世界で最も進んだ国のリーグに入り、ここまで数多くのゴールを割ってきた。その、決して順調とは言えない選手生活を歩んできたアルデモードが、客席から漏れる深いため息に沈んでしまおうとは、スタジアムに足を運ぶ前のヴァージンは思わなかった。
「アルデモードさんは、それでもきっと、次にピッチに立てる時が来ます。その時に、見返してやればいいじゃないですか……。鋭くドライブする力強いシュートという、きっとアルデモードさんにしかできないことで……」
「そう言ってくれると、僕は嬉しいよ……。強い相手を見返したいって、それこそヴァージンの戦闘本能だと、僕は思うよ」
かすかな笑いを取り戻すアルデモードに、ヴァージンはそっとうなずいた。それと同時にヴァージンも、あの日聞こえてきたため息のことを、少しだけ遠くに追いやれたような気がした。
(期待に応えられなかったら、次にまたその期待に応えればいい。私には……、いや、私たちアスリートにはそれができる……。逆に、その期待に押しつぶされてしまったら、ずっと悩み続けることになるのかも知れない)
スタイン選手権前最後のトレーニングに向かうヴァージンは、トレーニングセンターまで歩く道で、心の中でそう呟いた。トレーニングでは未だに14分台のタイムしか出せないものの、一度ため息の洪水を受けたはずのヴァージンは、本番に向けて落ち着きを取り戻していた。
(次こそ……、私は13分台を出せる……。期待に応えてみせる……!)
ヴァージンの強い決意が、次のレースに向けて燃え上がっていた。