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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界最速の脚でさえ あと少し届かない
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第45話 新たなライバル メリナとカリナ(2)

「私、13分57秒39。お前は14分03秒87。まぁ、今回も惜しかったな」

 激しい息遣いを繰り返すヴァージンに、マゼラウスから声を掛けられたのは、ゴールして30秒も経ってからだった。ヴァージンは、今回も追い抜けなかったマゼラウスにゆっくりと顔を向けた。

「コーチ。もしかして、走りながらストップウォッチで測ってたんですか……」

「そうだ。最後は逃げ切ろうと全力で走っていたところからストップウォッチを出したけどな」

「そうだったんですか……」

 そう言いながら、ヴァージンは心の中でため息をついた。ストップウォッチを止める動作を見せるほどマゼラウスは余裕の走りを見せ、かたや自らはほぼ全力を出し切った。にもかかわらず、結果は13分台と14分台。その差ははっきりとした形で現れてしまった。

(私に、何が足りない……。コーチは13分台を出して……、私は出せない……)

 ヴァージンは、足下を数秒見て、それからマゼラウスに顔の向きを戻した。

「コーチ。なんか、今日一緒に走って……、壁を破るヒントをもらったような気がします」

「壁を破るヒント……。ほう。お前なりに、どう感じたか興味あるな」

 マゼラウスが、首を小さく振ってヴァージンを見つめている。思いがけずに言ってしまった言葉が、その場の雰囲気をやや重くしてしまったようだ。

「13分台を出すには、たぶんラップ68.5秒を意識すると、計算上はうまくいくけど……、実際はあと少しだけ足りないってことです。だから、コーチのように少しだけ……、ラップを速くしたいと思いまして……」

「なるほどな……。ただ、あまりにも速くから勝負に出たお前自身が、最後のスパートで失速するのは、もう何度も繰り返されているからな……。上げられるとしても、ラップであと0コンマ何秒だと思う」

「その0コンマ何秒でも……、12周半では大きな差になるはずです」

 ヴァージンは、じっとマゼラウスを見つめていた。その表情からは、悔しさがにじみ出ていた。

「分かった。なら、お前自身の本当の限界を……、そのうち試してみるからな。トップアスリートのお前に、限界はないと信じたいが……、どんな人間でも必ずその限界はあるはずだ」

 マゼラウスはそう言うと、ヴァージンに背を向け、ロッカールームに向かって数歩歩いた後、再びヴァージンに顔だけを向けた。その表情は、より険しいものになっていた。ただ、口元だけは笑っていた。

「夢の記録まで、残り1秒98。ただ、ここからが長い。たとえ、世界記録を破り続けるお前であったとしても」

「コーチ……」

 ヴァージンは、思わずマゼラウスに飛びつこうとした。その背中を5000mのうちに捕えることはできなかったが、今すぐにでも追いつきたいその足だけは正直だった。

「ヴァージンよ。それでも私は、お前の夢が形になるのを……、信じるからな」


 10月。秋風が涼しい空の下、アフラリ・インテカ選手権の会場にヴァージンは足を踏み入れた。

(今日こそ……、私は出せるはず……。夢の記録を……)

 世界競技会が終わってからの2ヵ月、ヴァージンは少しでもラップを上げようと少し大きめのストライドを試したり、足を出すテンポを少しだけ短く取ろうと試行錯誤したりしていた。その結果、自己ベストを上回る14分01秒52まではタイムを縮めることができた。

(一人で走らなければならないトレーニングで、自己ベストを更新できた。今日のレースは楽しみしかない)

 ヴァージンは、立ち止まってスタジアムを見上げた。すると、ヴァージンの背後から誰かが大股で近づいてくることに気付いた。すぐ後ろを振り返ると、そこにはワインレッドの髪をなびかせた、ヴァージンよりも10cmも背の高い女性が立っていた。

 その女性は、ヴァージンに小さく頭を下げて、こう切り出した。

「あなたが、女子5000mの世界女王、ヴァージン・グランフィールド……?」

「はい……。あなたは……、今日私と一緒に走るライバルですか?」

「プロのレース自体、今日が初めてよ。私は、メリナ・ローズ。イグリシア代表として、今日から陸上のシニアレースにデビューするのよ」

(メリナさん……。ものすごく背が高くて、とても長距離選手とは思えない……)

 ヴァージンは、目を丸くしながらメリナの表情を見た。バレーボールかバスケットボールか、ある程度の身長が不可欠な競技の選手と間違えるほど、メリナはヴァージンをやや高いところから見下ろしていた。

「よろしくお願いします」

 そう言ってヴァージンは、新しいライバルに出会ったときにはいつもそうするように、この日も右手を差し出した。だが、メリナは手を出すことなく、逆にその手を後ろに回してしまった。

「よろしく。でも、私たちはお互いライバルよ。そこは割り切っていかないといけないわ」

「そうでしたか……。すいません……」

 ヴァージンは、すぐに手を引っ込めると、軽くうなずいた。それと同時に、メリナの口が開く。

「そうそう、あなたに忠告しておくわ。早かれ遅かれ、あなたの時代は終わるわ」

「終わらないですよ、メリナさん。私は、まだ13分台も出せていないですし……」

「そう?私は20歳になったばかりだから、まだジュニア大会の記録しか残っていないけど……、あなたから逃げ切るだけの実力は十分あると思うわ」

 メリナは、そう言うと首を横に振った。後ろで縛ったワインレッドの髪が、それに合わせて小刻みに揺れる。

「メリアムさんや、ウォーレットさんのように、最初から飛ばすんですね」

「そう。世界女王のあなたが追いつけるものなら追いついてみなさい」

 そう言うと、メリナは再び歩き出し、その後全くヴァージンに振り向くことはなかった。その後ろ姿を、ヴァージンは見つめるしかなかった。

(まだあの歳なのに、すごく大人の対応をされたような気がする……。プライドも高そう……)

 ヴァージンの目にはメリナの姿が、例えばフラップのマックァイヤのようにも見えた。しかも、マックァイヤと一緒に走ることはなかったのに対し、メリナはこれから何回も、何十回も顔を合わせることになる。初対面からその怖さを見せているようにさえ思えた。

(でも……、私がその力を見せつければ、決して追い抜けない存在ではないはず……)

 ヴァージンは、自らの足を見て、首を小さく縦に振った。すると、その後ろからメリアムの気配を感じた。

「何そこで止まってるのよ、グランフィールド」

「メリ……、アムさん……」

 ヴァージンは、メリアムという名前を言おうとして、一度息を止めた。頭の中で混同しそうな名前の選手を先程見ているだけに、これまでずっとライバルにしてきた存在を素直に呼ぶことができなかった。

「どうしたのよ。普段のグランフィールドらしくないじゃない」

「私は私です。でも、さっきものすごい大物ライバルに出会ってしまって……、少し驚いているんです」

 メリアムにそう言われるなり、ヴァージンは思わず笑ってみせた。

「それ、もしかしてイグリシアのメリナ・ローズのことでしょ。今日のレースがデビュー戦って出てたし」

「さっき会ったんです。メリナさんに……。なんか、ものすごく背が高くて、私を見下ろすような感じでした」

「たしかに……。どこかのジュニア陸上の写真集でも、スタートに立ったときにものすごく存在感あったし」

「メリアムさんも、あの存在感を気にしているんですね」

 ヴァージンの問いかけに、メリアムは首を素直に縦に振った。

「タイムはどうだか知らないけど、背が高いだけで怖くてしょうがない。でも、私やグランフィールドなら、その恐怖だって乗り越えられるはずでしょ。これまで、その脚であれだけのライバルを打ち負かしてきたわけだし」

「そうですね、メリアムさん。今は、それだけを自分自身に言い聞かせています」

 メリナを見たときに感じた恐怖からは、ようやく抜け出そうとしていた。メリアムも、それを見て紫色の髪の毛を軽く揺らした。

「そうこなくちゃ。新しいライバルを前にグランフィールドが弱気になったら、なかなかグランフィールドに勝てない私だって、不安になる」

 メリアムは、ゆっくりと受付に向かって歩き出した。ヴァージンは、その後ろから付いて行く。メリアムの背中は見慣れているだけあって、心の休まる場所のようにさえ思えた。


(自己ベスト、14分13秒38……。背の高い体とその脚で……、メリナさんはどのような走りを見せる……)

 女子5000m。普段と同じように、トラックの最も内側に立ったヴァージンは、はるか外側でスタートを待っているにもかかわらずその姿が大きく見えるメリナを、その目でじっと見つめた。その間に何人いるか分からなくなるほど、頭ひとつ飛び出ているメリナは、その存在感があまりにも大きすぎた。

(でも……、私は私なりに、その力を見せつける……)

 ヴァージンが、かすかにそう心に誓ったとき、スタートを告げる声がスタジアムに響いた。

「On Your Marks……」

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