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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
大記録への助走
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第43話 世界で戦うアメジスタ人の姿を見たい(4)

「あなたが、ビルシェイドさんですね。お待ちしていました」

 アメジスタから来た青年ビルシェイドに抱かれたヴァージンは、彼の肩を叩きながらそう言った。

「はい……。僕はあの手紙を、書店に出した本人です。今も含めて、迷惑を掛けてしまってすいません」

 オメガではまず見ることのない、穴の開いたシャツで空港を歩く青年は、そこにいる誰の目から見ても異様だった。だが、ヴァージンの目はそれを決して異様だとは思わなかった。アメジスタのあちこちで当たり前に見る、着る服すら買えない人々の姿に、いまこの場所で出会えた喜びがそれを大きく上回った。

「迷惑じゃありません。私の走る姿に憧れてここまでやってきた、ビルシェイドさんの意思は立派です」

 ビルシェイドの透き通った目は、ヴァージンの瞳の向こう側で青く輝く。その瞳は、これから1週間の滞在で見るべき「夢」をはっきりと見つめているようだった。

「そう言ってもらえると、僕は照れます。グランフィールド選手のほうが、僕よりもずっと立派ですよ……。ほら、こうして僕たちが憧れるアメジスタ人になっているじゃないですか」

「そうですね。でも、それを今まで感じることもできなかったから……、あの手紙を見たとき、初めてアメジスタ人からも憧れの存在になったんだ、って思いました。生まれも育ちもずっとアメジスタだから、この時ほど故郷の人々の顔を思い出したことはありません」

「なるほど……。今日は僕一人ですけど、いつの日かグランフィールド選手に憧れるアメジスタ人が、あの飛行機を応援隊でいっぱいにしてくれると思いますよ」

 そこまで言うと、ビルシェイドは肩から手をほどき、改めてヴァージンに手を伸ばした。ほぼ同時に、ヴァージンの手もビルシェイドにゆっくりと吸い込まれ、力強く握手を交わした。


「それにしても、この空港、きれいですね。床もピカピカですし……、ライトも眩しいです」

「グリンシュタインの空港とは、全然違います。私だって、最初に降りたときは迷ったくらいですから」

「間違いなく迷いますよね。帰るときは、たぶん誰かが横に付いていないと迷子になりそうです」

 そう言うと、ビルシェイドは後ろを振り返り、アメジスタでは全く見ることがない、白い文字で輝く到着便案内を指差した。「グリンシュタイン」という文字がオメガ語で書かれているが、それ以外の国も場所も、彼にとってはこの星の中にある未知の世界だった。

「たくさんの国から、来てるんですね……。僕たちのいる国は、その中のたった一つに過ぎないんですね」

「たった一つ……。そうですね。私はそのことを、ここじゃなくて、トラックの上で感じました」

「トラックの上で戦う、グランフィールド選手らしいですね」

「私に限らずだと思います。初めてジュニア選手権に出たとき、今まで同じ中等学校の人としか一緒に走らなくて……、みんなアメジスタ人で……、ここに来たらアメジスタの人が誰一人いなかったんですから」

 ヴァージンは、そこまで言うと、9年近く前の記憶の糸を手繰り寄せた。数秒の間を置いて、ヴァージンはビルシェイドにうなずいた。

「今じゃ絶対にそんなことないですが、そのジュニア選手権でアメジスタの国旗が用意されてなかったんです。世界一貧しい国がこの場所にいてはいけなかったのかな、って少しだけ思いました。でも、一緒に走り切ったライバルは、みんな私におめでとうって言ってくれましたし、その場にいた誰もが、一人のアメジスタ人の奇跡を……、いや、奇跡の始まりを祝福していました」

(そして、その奇跡は今もまだ、続いている……)

 ヴァージンの力のこもった声に、ビルシェイドは何度も首を縦に振った。

「その時、そこにいる誰もがアメジスタという国を知ってくれた。きっと、そうじゃないですか」

「そうですね。まず、こんなにも速く5000mを走れる16歳がいると知って、その私の出身が世界一貧しい国だということも、ほぼ同時に知って……、そして受け入れてくれたんです。それからいろいろありましたけど、私は世界中どこにでもいる陸上選手の一人として、今も生きているんです」

「受け入れる……。なんか、その言葉を聞いていると、僕もものすごく嬉しくなります」

 そう言うと、ビルシェイドはかすかに笑った。その後すぐに、ビルシェイドは到着案内板から目を離し、空港の出口へとヴァージンを誘った。

「ところで、僕はこれから何をするんですか?帰りの飛行機も、今から5日くらい先ですけど……」

「そうですね。私のレースが、オメガのサウザンドシティで三日後にあるんです。車で行ける距離なので、その日は朝8時にホテルを出たところで私が待ってるんですけど……、それ以外は特に決めてません」

「でも……、こんなところで何をすればいいんですか……。僕は、トレーニングなんかできないですし……」

「すいません。私も、ここに来て何年も経つんですが、観光なんかほとんどしたことがないんです。時間があれば、自主トレーニングをしていることがほとんどですし」

 ヴァージンは、そこまで言って天を仰いだ。オメガでの滞在費、滞在ホテルまでは頭が回っていたものの、トップアスリートまで成長したヴァージンに、お勧めできるような観光スポットはないに等しかった。

(アメジスタなら私でも案内できるのに……。それが逆の立場になると、なんか辛い……)

 そう思ったとき、ヴァージンはゆっくりと目の高さを戻し、軽く息をついてからビルシェイドにうなずいた。

「私から、どこに行ってくださいとは言いません。世界一進んだ国を、楽しんでください。たぶん、まともに見て回ると、1週間じゃ足りないと思いますから」

「世界一進んだ国……。たしかに、アメジスタとは比べ物にならないくらい、進んでいますよね……」

 ビルシェイドの目が、再び空港の中を左右に動く。彼の目の動きだけでも、まるでこの場所が夢見ることもできないほどの世界だということが、ヴァージンにも伝わってくる。

「ここにオメガの観光案内はあります。きっと、お勧めのスポットやその行き方は、その観光案内が教えてくれると思います。それでも分からなかったら、エクスパフォーマのトレーニングセンターってタクシーの運転手に行ってください。そこに行けば、昼間なら私が悩み事を聞きますから」

「分かりました……。なるべく、多くのものを学んで、僕は楽しんできます。その前に、服ですね」

「服は、空港の中にファッションショップがありますよ。私が案内します」


 その後、空港内を1時間ほど歩いたビルシェイドは、ホテルへのタクシーに乗ってヴァージンと別れた。とは言え、ヴァージンはレース当日以外にビルシェイドを完全に放置したわけではなかった。

(きっと、ホテルの周辺から動けないはず……。アメジスタにいたら、電車やバスの乗り方は教えてくれないし、乗れてもタクシーしかないはず……)

 滞在二日目の夕方、ヴァージンはビルシェイドの泊まるホテル周辺を何気なく歩いていた。観光案内のページに書かれてある、ホテル周辺のスポットのうち、どこかには彼がいる。そうヴァージンは踏んでいた。

 だが、その予想は見事に裏切られる結果となった。二区画北に位置した家電専門店で、前日空港の中で買った服を着たビルシェイドの後ろ姿が、ヴァージンの目にはっきり映った。

 ビルシェイドは、店内で立ち止まっているようだ。

(ビルシェイドさんだ……。何をじっと見つめているんだろう……)

 ヴァージンは、ゆっくりと店内に入り、それでも振り向こうとしないビルシェイドにそっと近づいた。すると、彼の目の先には大型テレビが何台も並んでいた。だが、それ以上にヴァージンが息を飲み込んだのは、そのいくつかに映し出されている放送だった。

(サッカーの試合を……、ビルシェイドさん、じっと見ている……)

 映っていたのは、アルデモードが所属するグラスベスと、リーグオメガでも毎年上位に食い込んでくるフォレスタとの試合だった。しかも、生放送ではなく、数ヵ月前に行われた試合を「グラスベス優勝への軌跡」と題して放送しているもので、ビルシェイドのほかに眺めている人は一人もいなかった。

 アメジスタにそもそもないテレビの画像に、ビルシェイドは完全に食い込んでいた。画面の向こうで「行われて」いる白熱した試合を、彼自身もスタジアムにいるかのように見ている。

(世界一進んだ国で、ビルシェイドさんがアメジスタとの違いを感じている……。世界中のテレビに、スポーツが映し出され、素晴らしいドラマが映し出され、出来事がほぼ同時に伝わる……。アメジスタ人にとって、これほど羨ましい道具は、ないのかもしれない……)

 ヴァージンは、ビルシェイドに声を掛けることもできず、その場を立ち去った。それでも、ヴァージンの顔はほんの少しだけ喜んでいた。

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