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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
大記録への助走
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第43話 世界で戦うアメジスタ人の姿を見たい(3)

 7月に入り、もともとスケジュールにあったケトルシティ選手権の5000mで、ヴァージンは2位に半周近くの差をつけて優勝を飾った。だが、今回もまた今のヴァージンにとってライバルになりそうな選手は参加せず、タイムも14分06秒89と、夢の13分台からは少しだけ遠ざかってしまった。

(優勝はできたけど、あと2回で壁を突破しないといけない……)

 スタジアムを出たヴァージンは、急遽決まったサウザンドシティ選手権に早くも照準を合わせていた。


「私も遠くから見てて思ったが、ライバルのいない5000mも、モチベーションを保つのが辛いな」

 ケトルシティから戻った翌日、マゼラウスがトレーニングの合間に小さく呟いた。細いため息も混じったようなその声をヴァージンは聞き逃さなかった。

「コーチの言う通りです。戻ってくるメリアムさんのことを思い浮かべて、モチベーションを上げようとしているんですが、あまりにも周りがゆっくりだと気になってしまいます」

「自分の走りをしたい、という意思はあっても、難しいものは難しいな……。ただ、今度のサウザンドシティは、お前も相当意識していると思うが、違うかな」

 マゼラウスが覗き込むような目で、ヴァージンの顔を見た。マゼラウスと目が合ったとき、ヴァージンはかすかに笑った。

「意識はしてません。でも、嬉しいことは素直に嬉しいんです。アメジスタにとって、大きな一歩なんですから」

「それが、意識というものに他ならないが、違うかな。何か強い気持ちを持って走ることだろうと、私は思うが」

 マゼラウスがそう返すと、ヴァージンは少し考えるふりをして、そっと口を開いた。

「そうですね。見せたいと言うか……、私の姿を見て欲しいって……、そう思っているんです」

「なるほどな。そういう意識で走るのも、また面白い結果を生むことになりそうだ」

 そう言うと、マゼラウスは軽く咳払いをして顔を上げた。

「聞いた話だと、メドゥがサウザンドシティにエントリーしているそうだ。世界競技会に向けた最終調整を兼ねて、メドゥのほうも急遽この大会を選んだようだ」

「メドゥさんと一緒に走れるんですね。一度は勝ちたいって、ネザーランドで言ってましたし」

「メドゥは、その言葉を言った以上、かなり意識してお前に勝負を挑んでくる。その意識に負けるんじゃない」

「分かりました」

 ヴァージンは、そう言った後にわずかに上を向き、空を仰いだ。その空の向こう側に、雑誌で始めてみたときから時系列で続く、陸上選手メドゥの表情が映し出されていた。

(私が、世界に出たいっていう気持ちにさせてくれたのは、メドゥさんの力が一番大きいと思う。ビルシェイドさんは、私の姿をフォトブックで見て世界に出たいって思って、ちょうど私が憧れたライバルとの勝負を見ることになる。これって、何かの偶然なのかもしれない……)

 ヴァージンは、頭の片隅で「偶然」という言葉を何度か繰り返した。

 だが、それが一方では「終わりの始まり」になろうとは、空に映った表情からは想像できなかった。


 メドゥが出場すると聞いて力が入ったのか、次の日からヴァージンは5000mのタイムトライアルで再び14分05秒を切るようになった。それどころか、世界競技会で走るはずの10000mも自ら手にした世界記録に迫ろうという、29分45秒ほどのタイムをトレーニングでたびたび出すようになっていた。

(なんか、モチベーションの話をしてから、モチベーションがあまり下がらなくなっているような気がする)

 ヴァージンは、ベッドの上に腰かけると、その日のトレーニングで出したタイムを思い浮かべながら、そう心の中で呟いた。そして、その目は自然と壁掛けカレンダーに向いていた。

(そう言えば、ビルシェイドさんに送った飛行機のチケット、明日の便だった……)

 翌日の夕方、トレーニングが終わった後にオメガセントラル国際空港に向かえば、ビルシェイドさんと出会えるかもしれない。そう思ったとき、ヴァージンの心臓が心なしか激しく動いているように思えた。

 ただ、同時に不安も、心の片隅からあふれ出てくる。

(あの手紙、ちゃんと届いただろうか……)

 実家に戻ったときに、ジョージが教えてくれたことは、分断された地区でも郵便配達だけは行われているらしい。だが、分断されている以上、そのボーダーを堂々と跨ぐことはできない。仮に、グリンシュタインの空港に向かおうものなら、「このチケットは何だ」と止められてしまうかもしれない。

(でも、彼は強い夢を持っている。私も、何度かグリンシュタインの街中で嫌なことを言われてきたけど……、そのたびに言葉で跳ね返してきたし、今はもう夢の力に最低一人は気付いてくれたんだから、怖い物はない)

 ヴァージンは立ち上がり、両手の拳を軽く握りしめた。そして、高層マンションから見ることができる、遠く遠く離れたアメジスタの小さな大地を、その目で見つめた。


――オメガ航空8730便、グリンシュタインからの飛行機は、10番ゲートに只今到着いたしました。

 ヴァージンがプロになってから何度も訪れている、オメガセントラルの空港だが、到着ロビーの前で待つのは彼女にとって初めてのことだった。到着のアナウンスを聞き、鼓動はさらに高まっていく。

(たしか、最初にこの場所に来たとき、シェターラさんがこの場所でバルーナさんを待っていたんだっけ……)

 右も左も分からない16歳のヴァージンが、南出口はどちらですか、と尋ねたのが、初めてアメジスタ以外の場所で体験した会話だったことを、ヴァージンはこの場所に来て思い出す。そして、その話した相手が偶然にも、同じ5000mを駆け抜けるアスリートで、その後も何度か勝負を繰り広げる相手だった。

(ビルシェイドさんも、初めて私に会って、きっとその後何か運命的なものでも感じるのだろうか……)

 ビルシェイドは、間違いなく一般のアメジスタ人で、それ以上のことは何も知らない。「僕」という一人称から性別とおおよその年齢は分かるものの、それすらも間違いである可能性は否定できなかった。

 やがて、グリンシュタインからの飛行機に乗っていた人々が、次々と入国手続きに進んでいく。そのほとんどが、持ち物からオメガ人であり、この便もまたアメジスタから観光でやってきたと思われる人が少なかった。いや、ヴァージンの目には、入国手続きの列の中にアメジスタ人と思われる姿を見ることができなかった。

(もしかして……、アメジスタから出ることができなかったのかな……)

 ほんのわずかな時間で明暗が分かれてしまうその結果に、不安も再び募ってくる。この便に乗っていなければ、通常の方法でアメジスタから外に出る道は閉ざされてしまう。

(いるか……、いないか……。来るか……、来ないか……)

 ヴァージンは、指を折りながら心の中で祈り始めた。時折その目を指に向け、なるべく時間を置いてから入国手続きの列を眺めようとした。だが、それでもヴァージンの目はすぐに上がってしまう。

(来ない。なかなか来ない)

 列は、徐々に小さくなっていく。それでもまだ、アメジスタ人らしき人物は見えない。

 何度目か顔を上げたとき――それを最後にしようと、何度思ったか分からないくらい――、ヴァージンはじっと列を後ろまで見た。遠くに小さく見える人物の持ち物、身なりなど、全てを見た。

 その瞬間、ヴァージンは強く息を飲み込んだ。

(一番後ろに並んでいるあの人……、たぶんアメジスタから来た人……。少しだけ震えている……)

 遠くで、ほとんど整っていない黒い髪を揺らしながら、オメガではまず見ることのない穴の開いたシャツ1枚の青年が、体を震わせている。空港職員が、その青年を代わる代わる見つめる中、列の最後尾からいよいよ入国手続きのカウンターに突き出された。

(たしかに、アメジスタ人の中にはこんな感じの人だっている……。彼こそが、ビルシェイドさんかも知れない)

 だが、ここまで来てヴァージンは、ビルシェイドを祈るような目で見つめるしかなかった。オメガ国の価値観では、この姿では完全に不審者と思われても仕方がない。嫌な予感を映し出しているように、空港職員がその青年に、オメガ語で強く迫っているようだ。

 しかし、次の瞬間、ヴァージンの目に見覚えのある本が飛び込んできた。

「フォトブック……!」

 着いた先の言葉が何一つ分からないまま、その青年はヴァージンのフォトブックを取り出した。そして、アメジスタ語で「会いたい」という口の動きを見せ、それからほほ笑んだ。それと同時に、別の空港職員が横で耳打ちし、ヴァージンのほうを軽く指差した。

(同じ国で生まれた、私に会いたい……。そして、その私が、今ここにいる……。空港職員が、はっきりとそう言った……)

 その10秒後、到着ロビーのドアが開いた。中からビルシェイドが飛び出し、泣きそうな目でヴァージンに抱きついた。その声を聞きながら、ヴァージンは心の中でこみ上げてくるものを感じた。


「やっと……、アメジスタ人に出会えたよ……。世界で戦う、僕たちの仲間に……!」

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