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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
大記録への助走
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第42話 長距離種目の絶対女王(5)

(インタビューのこと、すっかり忘れていた……)

 ヴァージンが他の選手に圧倒的な差をつけて世界記録を更新してしまったため、インタビューまでの時間が普段よりも相当長かった。まず優勝したヴァージンからインタビューされるところ、既にトラックから観客席のほうに出ていたので、2位や3位よりも後のインタビューとなったのだ。

 茶髪を揺らしながら、一人の男性がマイクをヴァージンに近づける。

「続いて、優勝したヴァージン・グランフィールド選手です。まずは、世界記録更新おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 ヴァージンは、カメラに目線を向けながら、マイクがインタビュワーに傾いたところで、改めて自分自身の出した世界記録――14分02秒36――を確かめる。その数字を頭の中で何度か復唱するほどだった。

 だが、インタビュワーの男性は、ヴァージンが思ってもいない方向に話を動かした。

「私も調べたのですが、4月にグランフィールド選手は3冠を達成していますね。5000mのアウトドアとインドア、そして10000m。三つの世界記録を同時に持つことになりました。世界記録の3冠はほとんど達成した人がいない記録になると思いますが、その点はどのように考えていますか?」

(そうだ……。5000mは室内でも世界記録を取ったんだ……)

 つい数分前にヴァージン自身が出したタイムのおかげで、すっかりかすんでしまった室内記録をヴァージンは思い起こした。今からたった4ヵ月前は、室内記録をウォーレットが持っていた。それを塗り替えてから、3レース続けて世界記録を更新していたのだった。

「はい。私は、三つの世界記録を同時に持つなんて、つい最近まで考えていませんでした。ですが、10000mで世界記録を取ったとき、本当に三つ目の世界記録を取ったんだと嬉しくなりました」

「世界記録を三つも持つということで、私自身のイメージかも知れませんけど、今や長距離種目でグランフィールド選手よりも前に出るような選手はしばらく現れないのでは、と思ってしまうのですが」

 インタビュワーがそう言ったとき、ヴァージンは思わずうなずきかけた。だが、インタビュワーの後ろにメリアムの紫の髪が揺れ、ヴァージンは首を突然横に振った。

「そうとは限らないです。私よりも前を走ってレースを引っ張るライバルもいますし、私自身もいつも調子がいいとは限りませんから」

「まぁ、そうは言うものの、もはや長距離種目の絶対女王だと思うんです。おそらく、みんなそう思ってます」


(絶対なんて……、この世界ないはずなのに……)

 ヴァージンは、次の言葉を選ぶ間、これまで同じトラックを共に走った数多くのライバルの顔を思い出した。その誰もが苦しみ、もがき、そしていつかはレースを去る。5000の世界記録の第一人者と言われたはずのメドゥですら、最後の力を振り絞ってヴァージンを追い続けている。

 そして、ヴァージン自身もこれまで何度苦しんできたか、分からなかった。その苦しい表情を頭に思い浮かべて、ヴァージンはインタビュワーに告げた。

「私は、自分を絶対女王だとは思いません。そのレースでは、あるいはその時は世界一速く5000mを走れるかも知れませんけど……、絶対なんてないんです。だからこそ、私は次の奇跡を追えるものだと信じています」

「次の奇跡を追う。それは、グランフィールド選手にしかできないと思います。次の記録、みんな期待しています。ありがとうございました」

 そう言うと、インタビュワーはマイクを離して、ヴァージンに軽く頭を下げた。


 インタビューを終えたヴァージンは、客席から見えない通路に入った途端、深いため息をついた。

(つい、言ってしまった……。次の記録のことしか考えてなくて、今を受け入れられなかった)

 たしかに「絶対女王」という言葉は、ヴァージンにとってこの上ない称号だった。三つの世界記録を手にし、もはや他のライバルを寄せ付けずに次々と記録を更新する存在。誰が見ても、今のヴァージンを絶対と呼ばないわけにいかなかった。

(言われると嬉しい。でも、今それを認めたら……、私は潰されてしまう……。誰も付いてこられないほど強くなったら……、私だってモチベーションを維持できるか分からない……)

 資格停止処分から明けるメリアムの存在は、ヴァージンに次の一歩を踏み出す力を与えていた。この日の世界記録も、客席でじっと見つめるメリアムがいたからこそ、3000mを過ぎたあたりで加速できたのだった。

 だが、そう思ったヴァージンは、すぐに首を横に振った。

(でも、もうインタビューに載ってしまったから、私はみんなから「絶対女王」と言われることになる。これだけは、もうどうすることもできない……)

 ヴァージンは、やや下を向きかけていた目線を戻し、何度か首を横に振った。そして、そっと声に出してみた。

「私は、今この瞬間だけ女王。次にトラックに立つときは、また挑戦者に戻る」


 それでも、ヴァージンが忘れ去ろうとしていた四字熟語は、あっという間にヴァージンの耳に触れてしまうこととなった。ロッカールームでウェアを着替え、選手出入口から外に出た瞬間、聞き慣れた声で叫ばれた。

「絶対女王、羨ましいわね」

 ヴァージンは、その声の主を懸命に探した。行きかう観客に見え隠れするように、メリアムの表情がヴァージンの目に飛び込むと、メリアムの体が突然ヴァージンの前に近づいてきた。

「グランフィールドの今日の走り、最高だったと思う。イーストブリッジ大学に入る前からずっと見ているけど、今までで最も力強い走りを見せていたと思う」

「ありがとうございます、メリアムさん。半分近くエクスパフォーマのおかげ、半分以上が私の進化です」

「やっぱり、『Vモード』の力は、半端じゃないと思う。私も市販品を履いてトレーニングをするけど、今までと全然違うレベルで、本気の走りを生み出してくれる感じね」

 ヴァージンは、メリアムが言い終わるか終わらないかのうちにメリアムの足元を見た。そこには全面が黄色で彩られたシューズが、日に照らされていた。

「そう言ってるメリアムさんのシューズ、『Vモード』の色違いなんですね」

「まぁね。私は、赤より黄色のほうが好きだし、黄色も赤と同じくらい売れてるって聞くし」

「知らなかったです……」

 ヴァージンの選手モデルである以上、ヴァージンが最初にデザインした「底以外は輝く赤」が圧倒的に売れているような錯覚で、ヴァージンは軽く笑ってみせた。しかし、笑いすら見せるヴァージンの前で、メリアムがゆっくりと表情を強張らせた。

「『Vモード』を履いた私は、たぶんグランフィールドの世界記録を、軽く更新できると思う」

(えっ……)

 ヴァージンは思わず息を飲み込み、メリアムに体を乗り出そうとした。さらりとそう言いのけたメリアムは、そこまで言って逆に薄笑いを浮かべていた。

「私、ドーピングで一度記録を取り消された。14分04秒43という、あの時は自力で出せなかったタイムをどうしても超えたくて、この1年半、トレーニングでずっと走り続けてきた。それもあって、私は時々、14秒01秒とか02秒とか出せるようになってる」

「そう言われると、私だってもっと速いタイムを目指したくなります」

「グランフィールドなら、そう言うと思った。面白いじゃない」

 ヴァージンは、告げられたタイムを頭の中で復唱した。公式記録にはなっていないものの、メリアムはほんの少しだけヴァージンより前に出ていた。それこそ、ヴァージンがすぐにでもクリアしなければならない壁だった。

 二人の目線が合った。それは、間もなく再び戦うことになる、ライバル同士の本気の目線だった。

「そうそう、まだ公式には口にしていないけど、グランフィールドにだけとっておきの情報言うわ。知りたい?」

「メリアムさん。ぜひ教えてください」

 ヴァージンは、そっと息を飲み込んでメリアムの言葉を待った。すると、間髪置かずにメリアムは言った。


「私の出場停止処分、どうやら世界競技会前に明けることになりそうね。フラップが悪質なことをしていたことで、ほんの少しだけ処分が短くなった」


「じゃあ、世界競技会で戦えますね」

 ヴァージンのその言葉に、メリアムは黙って右手を差し出した。そして、「今の女王」の手を握った。


――出場停止が解けたら、またグランフィールドと真剣に勝負をしたい……


 メリアムがトラックを一時的に離れるとき、ヴァージンに告げた言葉が、この時ヴァージンの心の中で何度も響いた。メリアムは、ずっと勝負の時を待っていた。そして同時に、ヴァージン自身も待っているのだった。

 静かにその場から立ち去ろうとするメリアムを、ヴァージンはその目で追いながら、心の中で誓った。

(メリアムさん。私のほうが先に、13分台を叩き出します。それは、自分自身が絶対突き破らなきゃいけない壁ですから!)

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