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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタに明けない夜はない
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第40話 夢を追い続ける力が敗れた日(2)

 グリンシュタイン中心部に近づくにつれ、期待を高めようとするヴァージンだったが、タクシーの運転士からそれ以上何も告げられないことで、かえって不安が増していった。そして、分断されたままの街をかすめるようにタクシーは進み、大聖堂が見える道路へと入った。

(広場が……、人で埋め尽くされている……)

 事前に、エクスパフォーマから大聖堂前でイベントを行うという許可を取っているが、セッティングなどは現地に到着してから行うこととなっていた。だが、人込みがプロモーションイベントの開始を待っているどころか、今すぐにでもそれが行われるスペースに暴徒となって上がってしまいそうな雰囲気になっている。

 ヴァージンが目を凝らして広場を見つめると、アルデモードが取り囲まれている。タクシーが止まると、ヴァージンはすぐにアルデモードに向かって駆けだした。

「どうかしたんですか……!」

 アメジスタ語で心配するヴァージンの声に、何人かの人が振り向くも、すぐにアルデモードに顔の向きを戻す。たった一人だけ、ヴァージンに歩み寄った青年も、何かを訴えるようなジェスチャーをしながら近づいてきた。強張った表情を見せながら近づく青年を避けて、アルデモードのいる輪の中に飛び込むことはできそうにない。

「どうして、取り囲んでいるんですか……」

「こいつ、アメジスタから亡命して、サッカーというアメジスタ人が誰一人やらねぇことをやってるんだぜ。しかも、俺たちアメジスタ人にほとんど給料を払わないアパレルメーカーのロゴまで身に着けてやがる!」

(そんな……)

 ヴァージンは、すぐに言葉を返すことができなかった。イベントがあることを、アメジスタの人々に事前に呼び掛けていたことが、かえってそれに反対する人々を広場に集めてしまっていた。

 その青年の顔を十数秒見つめた後、ヴァージンは小さな声で、語り掛けるように返した。

「彼は……、アルデモードさんは……、ただ夢を叶えたくて……、外に出たんです。私だってそうです」

「お前もか……。というか、そのシューズにも、あのメーカーのロゴが入ってるみたいだな。グルか?」

 その青年は、突然指をポキポキ鳴らしながら、一歩ずつヴァージンに近寄る。その距離は、もはやどちらかが手を出せば届いてしまいそうな勢いだった。

(エクスパフォーマが……、私たちアメジスタ人に……、絶望を与えているなんてことはないはずなのに……)

 ヴァージンは、タクシーからバッグを下ろすヒルトップに軽く目をやった。ヒルトップには状況を知られていないようだが、ヴァージンは今すぐにでもヒルトップに青年の言葉を聞かせようと、目を細めるだけで呼び寄せようとしていた。

 だが、その時間はなかった。ついに、その青年がヴァージンの右腕を掴み、その体へと手繰り寄せた。

「何か言えよ。謝れよ。こんなメーカーにアメジスタの大切な命を注いですいません、と……」

「そんなこと、できるわけないです!私は……、エクスパフォーマを捨てて走らなきゃいけないんですか……!」

 ヴァージンは、抑えつけられた右腕を引き抜き、一歩下がって歯を食いしばった。ドクタール博士と一緒にグリンシュタインに着いたときのように、一人の力で何もできなかった現実を繰り返したくはない。

 青年は、逃れたヴァージンの腕を再び掴もうと、さらに足を進める。

「走るのをやめればいいじゃん。アメジスタ人なら、その日暮らしで働き、何も夢見ず死んでいく。こんな、世界中に出ていってしまうようなものを作る必要なんて、アメジスタにない」

「アメジスタから生まれた……、アメジスタでしか作れない素材で……、世界中の人々に喜びを与えているんです!夢に向かって挑み……、その挑んだ人を見て、世界中の人々が声を上げるんです。喜ぶんです。それが、私たちのしていることなんです……!」

「ほぉ……。そこまで言うか……」

 ヴァージンの強い口調に、青年はやや首をかしげながら立ち止まった。以前のような最悪の事態だけは避けられそうだという期待が、その青年の表情からわずかに滲み出ていた。


 しかし、そこにヒルトップがバッグを置いたまま、大股で近づいてくる。

「私どもに、何か恨みでもあるんでしょうか。今の話を聞いて……、私どもがまるでいらないような……印象を受けましたので……」

「ヒルトップさん……!」

 ヴァージンは、ヒルトップの前に立とうと、両腕を広げながら回り込もうとした。だが、ヒルトップの足が一足早く青年の目の前で立ち止まり、すぐにポケットから、エクスパフォーマの「X」のロゴの入った紙を出した。

「恨みと言うか……、アメジスタ人を馬鹿にするような真似に、こっちも何と言っていいか分からねぇくらいだ」

「だから、どこが問題なんでしょうか……」

「それは、ドクタール博士が全て語ってくれるさ……。そもそも、俺たちがこうして集まったのは、博士の呼びかけがあったからだものな」

(ドクタール博士が……、デモや暴動を指揮している……!)

 ヴァージンは、一瞬だけ足の裏の間隔を失いそうになった。ヴァージンから日時とイベント内容を書いた手紙を送った人物の中から、このような行動に出る人が現れたことに、息苦しささえ感じる。

 すぐに青年がドクタール博士を呼びに行き、ドクタール博士がまずヴァージンに足を向けながら近づいてきた。ヴァージンは、息を飲み込みながら、わずか2年で変わり果てたドクタール博士の表情を見るしかなかった。

(私に、何を訴えたいんだろう……。博士は……)

 ヴァージンは、次の言葉を待った。すると、博士は思っていたよりも早いタイミングで、口を開いた。

「先に言っておくが……、わしは記録に挑むことそのものにとやかく言うつもりはない……。アメジスタ人にはほとんど知られてないにしても……、そのアスリートは、アメジスタのヒーローだと……思うんじゃ……。だから、このデモのことを……、悪く思わないで欲しい……」

 ドクタール博士の口が閉じたとき、ヴァージンは博士に向けた顔の動きを止めなければならなかった。その横で、ドクタール博士を呼んだ青年が博士の前に立ちふさがる。

「はぁ?あのサッカーやってる男は、俺たちを見捨てたんだろ!で、この女だって、あの男と同じだと言ったんだ!なのに……、どうしてこの女をヒーローだと言うんだよ!」

 食らいつくようにドクタール博士に顔を突き出す青年は、目を限りなく細めて博士とヴァージンを交互に見る。その中で、ドクタール博士は決して声を荒げることなく、青年に言った。

「彼女は……、アメジスタを捨ててなんかない……。たとえ国がここまでボロボロになったとしても……、それでも彼女は……、アメジスタを背負っておる……。アメジスタの国旗を高く掲げながら……、たった一人で、世界で戦ってるんじゃ……」

(……っ、……っ!)

 張り詰めた空気が緩んだだけではない、大きな動きがヴァージンの目を釘付けにした。今すぐにでも、その言葉を口にできそうな気さえ、ヴァージンにはしていたのだった。

 しかし、同時にそのドクタール博士がこのようなデモを起こすような理由が見えてこない恐怖をも、その口から解き放っているように思えた。

 どっちに傾くか分からない時間が過ぎる中、ドクタール博士はヒルトップの前に立った。その唇をゆっくりと開いて、博士はヒルトップの目を睨みつけるように言った。

「来て早々悪いが……、わしの技術にそこまでの評価しか下さないメーカーとは、付き合いたくないんじゃ」

「どういうことでしょうか。アメジスタの平均的な給料は、お支払いしていると思いますが……」

「どこを見て、その給料を決めたんじゃ……!この国の平均給料じゃ、誰も生き延びられないというのに……!」

(たしかに……!)

 ヴァージンは、訴えかけるドクタール博士に、思わず首を縦に振った。グリンシュタインの街に数多くいる、給料を1リアももらうことなく暮らす労働者を含めた「平均給料」であることは、ヴァージンは卒業論文を組み立てる時に何度も目にしてきたのだった。

 しかし、一人のモデルアスリートがそのことを開発本部長に露骨に言えるわけがなかった。そこで、ヴァージンは、一言だけ、両者に聞こえるように呟いた。

「夢を追い続けるための値段は……、安くないと思います。本当は、値段をつけるべきものでもありません」

「グランフィールド選手、急に何を言い出すんですか……」

 ヒルトップが、苦笑いを浮かべながらヴァージンに顔を向ける。だが、ヴァージンはそれでも口を閉じない。

「ドクタール博士だって、エクスパフォーマのために博士の研究所に勤めている人たちだって、私たちを応援したい気持ちはあるんです。でも……、世界的に有名なエクスパフォーマがこれしかお金を出さないって知ったら、多くの人が失望すると思うんです……」

「失望……ですか」

 ヒルトップが静かに答えると、ドクタール博士も大きく首を縦に振った。それを見て、ヴァージンはかすかにほほ笑んだ。

「世界中の人々に夢を与える私たちだからこそ、アメジスタの人々にも、夢を見せてあげられませんか」

 最後は、やや強い口調になりそうなところで言葉を止めたヴァージンに、ヒルトップはついにうなずいた。

「分かりました。もう少しだけ……、給料を上げる方向で努力します」

「分かった。それなら……、デモは撤収じゃな……」

 そう言って、ドクタール博士はゆっくりと後ろを向き、デモには目をくれずに、近くに止めてあった車に乗り込んだ。そして、そのまま走り出してしまった。

「ドクタール博士は、それを言いに来たんですね。私たちに……」

「そうみたいですね……。それにしても、グランフィールド選手の、アメジスタ人としての立場は本当に素晴らしかったですよ」

 ヒルトップがかすかにほほ笑むのを見て、ヴァージンは思い出したようにアルデモードの取り囲まれている中へと走り出し、ついにその輪の中に入った。

「デモは終わりました。博士も帰りました……。イベントの準備をするんで……、ここを……」

 だが、ヴァージンがそこまで言ったとき、その声をも消す罵声が、ヴァージンの耳に響いた。

「デモは終わっちゃいない!アルデモードと……、グランフィールドに、夢を捨てさせるまで……、俺たちは帰らない!」

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