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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタに明けない夜はない
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第39話 ランニングシューズに込められた魂(4)

 ヴァージンがアルデモードとばったり出会って数分後、二人は室内練習場の西に位置するカフェへと場所を移していた。テーブルにつくまでの間、アルデモードは興味深そうにヴァージンの目を見ていた。

「それで、君が思いついた新しいシューズの名前って、どういうものなんだい?」

 アルデモードは、テーブルの上で手を組んで、ややヴァージンに体を向けていた。

「い……、言ってもいいですか?」

「言っちゃいなよ。今しか目の前で聞いてあげられないわけだし」

「じゃあ、お言葉に甘えて言いますね……。エアロ……、ヴァージンって……、いう名前なんです」

 時々言葉を詰まらせながらも、先日メモ用紙に書いた名前を思い出しながらヴァージンは伝えた。すると、それまで興味深そうに見つめていたアルデモードが、緊張から解放されたかのように笑ってみせた。

「君の名前が、商品名になるんだね。いい名前だと、僕は思うよ」

「アルデモードさんにそう言ってもらえて……、よかったです……。なんか違うって言われそうだったので……」

 ヴァージンは、できる限りアルデモードに目の高さを合わせようとしたが、逆に素直に言われてしまっただけに、無意識に働く力のほうが強くなる。

「違うって……、君の思いついた名前なのに、それほど自信がないんだ……」

「はい。私の選手モデルだから、下手な名前をつけることができなくて……。もしその名前を気に入ってもらえなかったら、気持ちが落ち込んでレースにまで影響が出てしまうかも知れません」

「そうかな……」

 アルデモードは、そこまで言って小さくため息をついた。テーブルの上で組んだ手が、少しだけヴァージンのほうに近づいているのが、彼女の目にははっきりと見える。

「そうかなって……、アルデモードさんはこの名前を気に入っているんですか?」

「シューズの名前は、たぶんみんなそこまで気にしないと思うよ。その横に『ヴァージン・グランフィールド愛用のシューズ』とか書けば、それだけで君に憧れている人がチェックしてくれると思う」

「たしかに……、それは言えるかも知れませんね……」

「それにさ、新しいシューズを履いて前に進もうとしている君には、名前よりも……、もしかしたらデザインとか、素材とか……、そっちの方が重要なんじゃないかな、って僕は思うよ」

「そう……、ですか……」


(なんだろう……。名前が重要なポイントじゃないって……、教えてくれているのかも知れない……)

 ヴァージンの目に映るアルデモードは、話題に向き合ってはいるが、別の方向からヴァージンを支えているような気がしてならなかった。だが、たとえヴァージンがそう思ったところで、これまで10年以上にわたって見てきた彼の目は、いつものような真剣な視線から動くことはなかった。

 そこで、ヴァージンもテーブルの上でアルデモードと同じように手を組み、一度うなずいて彼にこう尋ねた。

「アルデモードさんは、私の新しいシューズ、どんな名前がいいと思いますか?」

「えっ……?僕は、実物を見なきゃ分からないよ……」

「フィーリングでいいんです。私はものすごく悩んじゃったけど、きっとアルデモードさんはすぐに決めてくれそうです……。そういう目をしてますから」

「そっか……。じゃあ、少しだけ思いついたことを言っていいかな……。本当に何も見てない状態で、僕が君の新しいシューズの名前を言ってみるよ」

 ヴァージンは、アルデモードの目と口を見つめた。彼が何というか、カフェで刻まれる時間だけが、1秒、また1秒と過ぎていく。普段のレースでヴァージンが心の中で数えている1秒とは、全く違うようにすら思えた。

 そして、30秒以上経ってから、アルデモードが軽く微笑み、首を立て続けに何度か縦に振った。

「Vモードとか、Vスピードとか……、君の持っている力を考えたら、エアロというような軽々しい名前のシューズじゃなくて、本気で戦うアスリートとして名前を考えた方がいいのかも知れないね」

「やっぱり……、私が気にしてたことを言い当ててくれたんですね……!」

 ヴァージンは、思わずその場でアルデモードを抱きしめようとしたが、周りの客の目が向いているところでそれはできなかった。その代わり、両手に力を入れて、まるで何かから解き放たれたかのようなしぐさを浮かべた。

「僕は……、ただ思いつきで言っただけなんだけど……」

「それでいいんです。私も、エアロという部分がなんか……、私らしくないって思ったんで……。本気で走る私っぽい名前にしてくれて……、私は本当に嬉しいです」

 ヴァージンは、何度も首を縦に振りながら、テーブルの上にその名前を何度も指でなぞった。これまで頭の中でもやもやと残っていた「エアロヴァージン」という名前が、どこかに消えてもいいような感じだった。

「まぁ、名前はそこまで重要じゃないけど……、ひたすら走り続けてきた君がそこまで名前にこだわるって思うと……、やっぱり本気で名前のことを考えてるんじゃないかなって、僕は思ったんだ……。それで、名前も軽々しい名前じゃ認めたくないんだろうなって思ったさ」

「そうですか……。でも、アルデモードさんがそこまで大事な名前を……、私に言ってくれて、本当に……」

 そこまで言って、ヴァージンはアルデモードの組んだ手に覆い被せ、優しく包み込んだ。

「アルデモードさんが……、やっぱり私を一番気にしてくれるんだなって……、思いました……」


 オメガ国に亡命したとは言え、心は常にアメジスタにある一人の男性。そして、とてつもない数の「相手」と戦いながら、世界にその名を残すアメジスタ人の女性。二人の手と手が交わるとき、その中に生まれる温もりは、二人にとっての故郷を思い出させるような優しさに包まれていた。


「ところで、アルデモードさん」

 ヴァージンは、アルデモードの手を握りしめたままで話を切り替えた。

「どうしたんだい?」

「アルデモードさんは、どうしてこんな時間にここを歩いていたんですか」

 アルデモードの所属するチーム、グラスベスはエクスパフォーマが絡んでいるチームであるため、エクスパフォーマの練習場でトレーニングを行っている。普段ヴァージンが立ち入っているトレーニングセンターとサッカー練習場は少しだけ離れているが、よほど暑い時期でもない限りは午後の時間帯にグラスベスが練習を行っているのを見ないことなどなかった。

 すると、アルデモードは履いていたズボンを少しだけめくり、ヴァージンに見せた。

「ちょっと……、また試合に出られるような体じゃなくなって……」

(うそ……)

 ヴァージンの表情が、その場で凍り付いた。シュートを放つはずの右足に包帯が巻かれ、足首が完全に隠れていた。アルデモードと出会って数十分経っているにもかかわらず、ヴァージンは全く気付かなかった。

「練習中に、足をひねったんだ。試合でぶつかったとかそんなわけじゃなくて、完全に自分の不注意。だから、グラスベスの遠征にも行けず、チームがオメガセントラルに戻るまでこうして休んでるんだ」

「アルデモードさん、これで二度目じゃないですか……。痛くないですか……?」

「さすがに、痛み止めの注射を打ったら痛くはなくなってるよ。でも、サッカーできないのは辛い」

 ヴァージンは、そこまで言ったアルデモードの表情を見つめ、それから痛々しい右足首を眺める。

「グラスベスで、きっとまだ活躍できると思いますよ。だって、時々ニュースでアルデモードさんのシュートとか聞きますし」

「本当に、時々だけどさ……。僕は、それでもグラスベスの一員として頑張りたいよ。君が、世界最速の陸上選手であり続けるように、ね」

 ヴァージンが気付くと、これまでとは逆にアルデモードの手がヴァージンの手を覆い隠していた。戸惑いの声を上げようとしたヴァージンに、アルデモードはさらに小さな声でこう告げる。

「多少時間が取れたから、君のために何かできることを、してあげるよ」

「本当……、ですか……?」

 突然の提案に、ヴァージンの声は震えていた。これまである意味支えになっていたはずのアルデモードが、それをはるかに超える支えになろうとしていた。

「そう。君が困っていることとか……、君がやりたいこととか……、そんな支えに僕はなりたい」

「えっ……」

 真顔でそう問いかけるアルデモードに、ヴァージンは少しだけ考える仕草を浮かべた。そして、突然何かを思い出したかのように、アルデモードにこう語りかけた。

「そうですね……。今度、さっきの新しいシューズとか……、アメジスタでプロモーションするんです。もしアルデモードさんの知り合いが、こういうことに興味を持っているんだったら……、と思ったんです」

 ヴァージンの言葉を、アルデモードは真剣なまなざしで聞いていた。いつの間にか、彼はその手をヴァージンの手から離し、まるでビジネスパートナーであるかのように耳を傾けていた。

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