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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタに明けない夜はない
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第38話 卒業論文はアメジスタ再生のスタート(4)

 プロモーション撮影から高層マンションに戻ると、ヴァージンはこの日だけは論文のことを考えないようにして、普段より少し早めにベッドに入った。目をつぶるだけで、この日新しいシューズに足を通した時の感触が、目に見えて思い出される。

(アメジスタのみんなに……、このシューズを履いて走る姿を、見て欲しい……)

 気が付くと、アメジスタの首都グリンシュタインの街を、その新しいシューズで走っている姿を思い浮かべていた。その体は、総合公園へと向かっている。街の中心から、ちょうど5000m。景色を忠実に再現しながら、ヴァージンがゴールを目指していた。

 ゴールに近づくにつれて、少しずつ沿道の声援が大きくなる。だが、それは声だけで、呼び掛ける人の姿はなかった。いや、ゴールの方からヴァージンを招いているのかもしれないが――ゴールとなるはずの競技場は、ヴァージンの見慣れた通り、廃墟だった。

 そこで、ヴァージンは思わず飛び起きた。

(せっかく、気持ちよく走っていたのに……)

 ヴァージンは、首を左右に振りながら、ライトを落とした天井を見上げる。ようやく、ヴァージンの脳裏に廃墟となった陸上競技場が思い浮かばなくなったが、それと引き換えに彼女に残ったのは、冷や汗だった。

(私が走る姿を、もっと見てもらいたいのに……、その場所がなければ始まらない……)


 ヴァージンは、その時気が付いた。公共投資が必要なのかもしれないと。

 だが、それはヴァージンひとりの力では、これもまた、ただの夢物語でしかなかった。


 それからヴァージンは、諸外国の公共投資について調べてみたが、どれもアメジスタより財政力のある国ばかりで、日常のインフラ整備すらままならないアメジスタで当てはめることができなかった。そのまま、ハイドル教授が大学にやって来る土曜日を迎えてしまった。

「失礼します」

 ヴァージンが朝一番にハイドル教授の研究室に入ると、教授はヴァージンに軽く手を振っていた。

「どうだね。先週から、卒論に進展はあったかね」

「すいません。やっぱり、夢は膨らんだんですが……、他の国の成功事例をアメジスタに置き換えたら行き詰ってしまいまして……、結局アメジスタに何をしてあげられない結論しか出ませんでした」

 ヴァージンが残念そうに言うと、ハイドル教授はヴァージンの持ってきたメモを見せるよう言った。アメジスタの言葉で書かれた殴り書きのメモだったが、ハイドル教授はじっと目を通し、それから顔を上げる。

「そうか……。生まれ故郷のことをいろいろ知りすぎているから、逆に思い入れが出てしまうんだろうな」

「思い入れ……、ですか……」

 ヴァージンは深いため息をつこうとして、ぐっとこらえた。目の前にいるハイドル教授は、何の結論も見通せないヴァージンに対して、決して怒っているような表情には見せなかった。それどころか、今のヴァージンの進捗を冷静に見つめてさえいたのだった。

「この1週間、君の言ってたことをずっと考えていた。言い過ぎたかもしれないかな、と思ってな」

「ハイドル教授も、気に留めて下さったんですか……」

「そうだ。特に、頭から離れなかったのが、荒れ果てたままの陸上競技場を新しくして、アメジスタの人々に走る喜びを与えたい、という部分。そこは、君のオリジナリティがあっていいんじゃないかな。むしろ、アメジスタを背負って陸上を続けている君にしか、絶対に書けない言葉だと思うよ」

「はい。でも、それだと先週教授がおっしゃったように……、夢を語るだけで終わってしまいそうなのです」

「たしかに、君にはそう言った。だが、夢を卒論に書いてはいけないなどと、誰が決めたんだ。卒論は、自分が主張したいことを文章の形で伝えるのが本来の形のはずだ」

「つまり……、アメジスタの陸上競技場を、という部分は結論にしていいってことですか……?」

 ヴァージンは、ハイドル教授の言葉に戸惑いの表情を見せた。そこに至るまでの道が全て無理だと考えてしまっただけに、今更その路線で行くという結論が出るとは思っていなかった。

「そうだ。ただ、そこに至るまでの道筋が理論的であれば、立派な卒論になると思うんだ。例えば、そうだな……、他の国と比べて人口当たりのスポーツ施設の数とか、アメジスタの選手が世界でどのくらいの実力なのかとか、そういうのを一つ一つ書いて、施設の数が世界ランクと関係があるという結論を見出せばいいと思う」

「でも……、陸上競技場が一つもない国で、私が世界一になってるんですから……、無関係な気がします」

「そこは、君以前のデータでいいと思うよ。読む側が、君がどういう成績を残しているか知っていれば、卒論そのものが君の夢だと分かってもらえると思う」

 イーストブリッジ大学の卒論は、学部ごとに一つの大冊子にまとめられ、図書館の地下で誰でも目を通すことができる。その論文を読んでもらう一人一人が、ヴァージンの名が知られている限り、そのような視点で論文を読んでいく。ハイドル教授の笑った表情の向こうで、ヴァージンは大きくうなずいた。

「なんか……、方向性が間違っていなかったように思えます。誰かに後押しされたように思えてきました」

「そうだな……。決して君の考えていることは間違いじゃないって、思ったほうがいいと思う」

 そう言うと、ハイドル教授はそっと立ち上がり、ヴァージンの目を見ながら静かに言った。

「ここからは、私の個人的な意見なんだがな……、私もアメジスタに夢や希望を見出せる施設は必要だと思うし、君が世界でこんなに活躍しているのに、その動きが全く出てこないのは悲しいことだと思っている」

「私だって、そう思っています……。私が走っても、全くと言っていいほど伝わらなくて……。だからこそ、走ってる姿を見せたいんです!」

「私も、そう思っているんだ……。むしろ、夢物語云々よりも、私はこれを今日、君に伝えたかったんだ」

 ハイドル教授は、そう言うと軽く咳払いをして、それから一度うなずいた。


「君が走る姿を、アメジスタの国内で見てもらう機会は、アメジスタの人々にとって必要だと信じている。君の走る姿に強さと勇気、それに希望を人々は感じるはずだ。そして、君の後ろにきっと誰かが続いてくるだろう」


(私のようになりたいと思う、アメジスタの人々……)

 リバーフロー小学校の時に、多くの小学生が言ってくれた言葉。それがいま、再びハイドル教授の口から語られようとしていた。アメジスタの人々にとっても、そのことは必要だった。今は荒れ果てた陸上競技場であったとしても、いつかその場所で、アメジスタの人々に自分の姿を見てもらいたいと、ヴァージンは改めて誓った。

「ありがとうございます。なんか、いろいろな意味で勇気をもらったような気がします」

「普段、君の走りに勇気をもらっているから、そのお返しだと思ってくれ。成功を祈るぞ」


 そして、再び大学図書館で文献をひっくり返す日々が始まった。前に読んで挫折した文献を含めて、ヴァージンはインフラや公共事業、それにスポーツ振興に関わる部分まで、様々な文献に目を通した。

(これなら、もしかしたら使えるかも知れない……)

 一度はその予算に圧倒されてしまったミクロランドの事例も、教授の言葉で見方が変わった今となっては大事な参考文献の一つになっていた。ヴァージンが走る姿を見せることで、もしかしたら劇的に変わるかも知れないとさえ、ヴァージンには思えて仕方がなかった。

(むしろ、使えない文献が見当たらないくらい、今の私には卒論に集中できている……)

 最初は殴り書きだったはずのメモも、いつの間にか自信にあふれているような字になった。結論がまずあって、アメジスタの現状があり、そこから結論に向かうために何を書けばいいのかも、箇条書きの形でそのメモに残していく。ヴァージンの卒論が完成するのは、そう遠い未来ではないように思えてきた。

(私は……、自分の伝えたい夢を、卒論という形にまとめるんだ……)


 数日後、ヴァージンはエクスパフォーマのトレーニングセンターに、マゼラウスと約束した1時間も早く向かっていた。夕方から大学図書館に向かうために、バッグには卒論のメモが何枚も入っていた。

(そう言えば、バスケットの世界ランクって、ずっと最下位だったっけ……)

 その頃のヴァージンは、歩く間も卒論のことが頭に残って仕方がなかった。気になることがあればバッグを開き、立ち止まって自身の字で書いたメモを眺める日々が続いていた。

 その時、ヴァージンの髪を揺らすような強い風が吹き、口の開いたバッグの一番上に束ねていたメモが2枚飛んでいった。

(しまった……)

 ヴァージンは、慌ててメモをバッグにしまい、口を閉じ、飛んでいったメモを追いかけた。トラックの上ではないはずなのに、ヴァージンはメモを追いかけるのに必死になっていた。

(このメモがなくなったら、もう一度文献調べなおしになってしまう……!)

 まずは1枚、飛んでいったメモを歩道の上でキャッチし、その先に飛んでいったもう1枚のメモをヴァージンは懸命に追っていった。すると、ヴァージンの目の前で、反射的にそのメモを掴む人の姿が飛び込んできた。

「あっ……!」

 ヴァージンは、目に飛び込んできた赤い髪の女性――明らかに見覚えのある姿――を見て、思わず立ち止まった。足に「マックスチャレンジャー」を履き、上下ともにトレーニングウェアを着てヴァージンを見つめていた。

「久しぶりね、グランフィールド」

「ヒーストンさん……。こんなところで出会うなんて、思いもよりませんでした」

 普段はトレーニングセンターの近くでもなかなか会わないはずの二人が、偶然にも同じ時間帯でトレーニングをしようとしていたのだった。


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