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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタに明けない夜はない
234/503

第38話 卒業論文はアメジスタ再生のスタート(3)

「今回、グランフィールド選手にCM撮影で呼んだのは、『マックスチャレンジャー』のバージョンアップをしようということです。ですので、ぜひその新しい製品を試して欲しいんですよ」

「いま履いてるシューズの、新しいモデルが出るっていうことですか……?」

 ヴァージンは、ヒルトップが抱えている段ボール箱に目をやり、それから足元に目をやった。これまで数多くのレースでその力を見せつけた、赤く染まった「マックスチャレンジャー」が、いま進化しようとしていた。

「そうなんですよ。たしかに、『マックスチャレンジャー』はこれまでにない反発力を備えたシューズですが、それで私どもの挑戦が終わってはいけないんです。だからこそ、『マックスチャレンジャー』も新たな時代に突入させるわけですよ」

 そう言って、ヒルトップはヴァージンに段ボールの箱を渡し、開けるように告げた。ヴァージンがわずかに息を飲み込んで箱を開けると、その中からは一見するとこれまで使っていたものと同じようなシューズが現れた。

(同じように見えて……、同じじゃない……)

 ヴァージンは、箱の中からそっとシューズを片方だけ取り出し、彼女の目の前に近づけようとした。その時、ヴァージンは、シューズを持つ右手をかすかに震わせ、もう一度息を飲み込んだ。

「ほんの少しだけ……、前のより重くなっているような気がします」

「やっぱり、ここまで使いこなしていると、わずかな重さの違いにも気付くようですね。少しだけ、底の部分を重くしたんですよ」

「でも……、『マックスチャレンジャー』は靴底を軽くして、足にエアーを与えていたような気がします……」

 すると、ヒルトップはヴァージンにはっきりと分かるように、首を傾けた。

「たしかに、最初はそれを意識したつもりだったんですよ。でも、グランフィールド選手の走りは、想定した以上にパワーを発揮するんです。特に、ラスト1000mにスパートをかけるところで、シューズが耐えられなくなるのが、私どもにとって悩みの種でした」

 ヒルトップの言葉に、ヴァージンはこれまで何度か経験した、シューズをボロボロにした瞬間を思い出した。

(たしかに、このシューズでも思い通りに加速できなくなってしまうことは、何度もあった……)

「そこで、女子長距離走向けの新しい『マックスチャレンジャー』は、グランフィールド選手の持っているパワーを裏切らないほど、エアーを少しだけ高めました。なので、その分だけ重くなっているのですが……、きっと履いてみると全く違うと思いますよ」

「そうですか……。ヒルトップさんの話を聞いて、すごく安心しました」

 そう言うと、ヴァージンはトラックの上に新しいシューズを置いて、その中にゆっくりと足を通した。


(シューズの持っている力と、私の持っている力が……、履いたときからシンクロし始めている……)


 勝負を決めようとする瞬間どころか、まだ走り出してすらいない。だが、そのシューズを履いたヴァージンには、それが「マックスチャレンジャー」以上に靴底からパワーを放っているように思えた。

「これ……、いま以上に速く走っても、くたびれる気配すら感じさせないです」

「そう。まぁ、短距離走向きではないですが、グランフィールド選手のトップスピードにはこれまで以上に耐えられるような作りにしてありますからね。それで、実はと言っちゃなんですが……」

 そう言うと、ヒルトップは周りのスタッフに聞こえないように、ヴァージンの耳元でそっとささやき始めた。

「去年からずっと止まっていましたが、これをグランフィールド選手のモデルにしたいんですよ」

「選手……、モデル……」

 エクスパフォーマのプロモーションを始めてから、いつかその時が来ると言われていた「選手モデル」の話をその耳で聞いた一人のトップアスリートは、震えが止まらなかった。周りに見えないようにじっとしているはずだったが、とくに下半身はその意思を裏切ることしかできなかった。

「そう。だから、このプロトタイプをどのようにデザインしてもいいわけですよ。グランフィールド選手が、このシューズをどう見せたいか、自由に決めていいんです」

「分かりました。そうですね……」

 そう言って、ヴァージンは新しいシューズを脱ぎ、右手で持って回転させる。そして、しばらく考えたのち、ヒルトップの横に立って、そのシューズの底を指差した。

「この底なんですけど……、かかとからつま先に向かっての溝、炎が燃え上がっているように見えます。その溝を、炎とそれ以外の部分で、側面の赤とエクスパフォーマのロゴの黒で塗り分けると、力強く見えると思います」

「たしかに、底まで全部赤にしていますからね……。とりあえず、社内で検討してみますよ。あと、気になるところとかありますか?」

「シューズに私の名前とか、入らないんですか……?なんか、私のモデルだから、思ったのですが」

「そうだな……。さすがに、ヴァージン・グランフィールドと入れて売り出すわけにはいかないですよ。それだと、売り物が全部グランフィールド選手のものになってしまうかも知れません。が……」

 ヒルトップは、シューズ内側のかかと部分に人差し指を置いて、撫でるように指を左右に動かす。それをヴァージンの目は追っていた。

「やはり、グランフィールド選手のモデルなんですから、そこはシューズに命を吹き込む感じで、名前をつけてみましょうか。選手モデルとして、恥ずかしくないような商品名ですよ」

「商品名……。すぐには思いつかないです。でも、なんか私の姿を現すような名前にしてみようと思います」

「私の姿を現すような名前……。なんか、ものすごく期待が持てそうだね」

 ヒルトップがそう言うと、ヴァージンは首を小さく横に振った。

「はい。アメジスタでの私の知名度が、もっと上がってくれると嬉しいんです。例えば、シューズだけを取って……、私が走っている姿をイメージできるような、そんな名前のほうがいいと思うんです」

「たしかに、アメジスタでの知名度は……、言っちゃ悪いですが信じられないですよ……」

 そう言いながら、ヒルトップは小さくため息をつく。そのため息の流れを見ながら、ヴァージンが切り出す。

「実は私、卒論を書いてるんです。アメジスタに再び光をともすには、どうしたらいいのかって……。もし、私をイメージできるランニングシューズを見て、アメジスタのみんなに……、私が頑張っていると思わせれば……、もしかしたら今のアメジスタも少しだけ変わるような気がするんです」

「たしかに……。その可能性はあるかも知れませんね。ただ、私どもとしたらビジネスになりますから、ちゃんとした想いを見てから、検討しないといけません」

「たしかに……」

 以前、アメジスタにヒルトップが入ったときには、往復セスナだったことをヴァージンは思い出した。その時点でプロモーションが難しいのは、ヴァージンには百も承知だった。だが、この時の彼女には、かすかな期待が自然と湧き上がっていた。

 ヴァージンが少しだけ顔をヒルトップに突き出したその時、ようやくヒルトップは口を開く。

「だからこそ、グランフィールド選手の想いをぜひ読みたいんですよ。卒論ができたら、一度その原稿をエクスパフォーマまで持ってきてくれませんかね」

(えっ……)

 ヴァージンは、すぐに言葉を返すことができなかった。まだ1文字も書いていない状態で、ヴァージンの卒論がどのような結論になるのか、想像もできなかった。だが、新しいシューズを履いた瞬間に感じた想いは、止まっていた卒論に、その一歩を踏み出す力になっていた。

「分かりました。卒論ができたら、ヒルトップさんにお見せします!」

「お待ちしています。その時までに、名前をぜひ決めてくださいね」

「はい」

 ヴァージンは、再び新しいシューズを履き、新しいシューズのプロモーション撮影に臨んだ。撮影スタッフの指示を受けながらトラックを軽く走る間、初めて履いたシューズから彼女の足の裏に、はっきりとしたパワーを感じていた。初代の「マックスチャレンジャー」が最初トラックを軽く踏んでいるような感じだったのに対し、新しいシューズはトラックを優しく踏み込み、そこから一気にパワーを出すような印象を与えていた。


(本番で13分台を目指そうとする私に、このシューズはどんな力を与えてくれるんだろう……。なんか、ものすごく楽しみになってきた……)

 撮影が終わり、撮影に使ったプロトタイプは、エクスパフォーマ社内での検討のために回収された。初代の「マックスチャレンジャー」に履き替えたとき、踏み心地が明らかに違うように思えた。同じメーカーということもあり、新しいシューズでも全く違和感がなかった。それと同時に、これまで慣れ親しんだはずのシューズが、一世代前になっていくのを、その足の裏ははっきりと感じたのだった。

(あとは、どうその想いをアメジスタのみんなに伝えるか……)

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