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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界記録の重み
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第35話 破滅のサプリメント(7)

「これから、ヴァージン・グランフィールド選手の記者会見を行います」

 司会者の低い声に合わせて、ヴァージンは履き慣れないヒールで中央の机へと向かった。そして、記者たちの前に立つと軽く一礼をした。

(緊張する……。でも、言わなきゃいけないことを落としてはいけない……)

 ヴァージンの目には、カメラマンが今にも撮影しようと動くタイミングを待っているように見えた。まだ何も話していないのに、いくつかのカメラが動くのも分かった。その中でヴァージンは立ち上がり、息を吸い込んだ。

「この度は、お集まり頂きありがとうございます。今回の問題で、私を支えてくださるスポンサーの方々、応援してくださるファンの皆様に、ご心配をお掛けしていることをお詫びいたします」

(なんか……、緊張しているのに言葉が出てくる……)

 ヴァージンは、記者会見で言う言葉を一字一句覚えたつもりはなかった。それなのに、ここまでスラスラ出てきてしまうことで、逆に恐怖を覚えた。肝心の内容を抜かしてしまうのではないか、と。

 深く下げた頭を元に戻すまでの間に、ヴァージンははやる気持ちを抑えた。そして、頭を戻すと椅子に浅く腰掛け、一度うなずいてから言った。

「今回、メリアム選手がドーピングで陽性反応が出たことで、同じサプリメントを送られた私も使用したのではないかというニュースが流れました。ですが、結論を申しますと、私はメリアム選手の使用していたサプリメントを、一袋も開けていません。その証拠がこちらになります」

 そこまで言うと、ヴァージンは手に持っていた袋から、彼女の家に送られてきたサプリメントの封筒を全て机に置き、一つずつ中身を出した。中は全て、届いたときと同じ14錠で、袋を破った形跡はなかった。

「8月のオリンピック後から、私のところにウェス・サプリメントという会社から、試供品の形で届きました。たしかに、含まれている成分の多くは、私たちの使っている通常のサプリメントと同じ成分でしたが、代理人を通すことなく行われたことに、私は最初から疑っていました。怪しいと思っていました。既に、同じエクスパフォーマとスポンサー契約を結ぶヒーストン選手が警察への届け出を行っていますが、私もシーズンオフに届け出を行おうと思っていたところです」

 ヴァージンは、言おうとしていたことを次々と頭に思い浮かべていた。まずは、ドーピングに関与はしていないことをはっきりと伝えた。あとは、そのサプリメントに対するヴァージンの意見をまとめるだけだった。

「私は、今回送られてきたサプリメントに対して、試供品という扱いにはなっていますが、様々な感情を覚えています。特に、そのサプリメントを使用したメリアム選手が、レースが終わった直後に検査室に連れて行かれてから、その思いは強くなっています。ですが、これは私が首を突っ込むべき話なのか迷っているところですので、今はコメントを差し控えます。最後になりますが、私は何もしていません」

 再びヴァージンが頭を下げると、いくつものフラッシュが輝いた。すると、ヴァージンの目の前にいた一人の記者が右手を挙げた。

「質問があります。グランフィールド選手は、エクスパフォーマのモデルアスリートとして活躍されています。今回、エクスパフォーマの3人が疑いをかけられ、そしてそのうちの一人は陽性反応まで出ています。今後、メーカーのプロモーション活動を続けるつもりでしょうか。また、エクスパフォーマも責任があるとお考えですか」

(鋭い質問だ……)

 ヴァージンは、飛んできた質問に思わず息を飲み込もうとした。だが、ここで弱さを見せてしまえば、記者たちはそこに好き勝手に突っ込んでいく。ヴァージンは、表情の変化を必死にこらえて、こう言った。

「あのサプリメントが、エクスパフォーマと契約を結ぶ女子長距離選手にだけ送られたことは、事件を知るまで私は気が付きませんでした。実際に、こちらの袋に10000mでタイムを縮めた選手の話も載っていましたので、他のスポーツメーカー、他のスポンサーと契約を結ぶ選手にも送られているとばかり思っていました。今回の件は、エクスパフォーマにも迷惑をかけてしまいましたが、私がやっていないと証明されれば、イメージダウンはそれほどないと考えています。ですので、プロモーション活動は続けたいと考えています」

 ヴァージンがそこまで言うと、質問をした記者は「ありがとうございました」と言い、マイクを置いた。すかさず、二つ後ろにいた記者が手を挙げた。

「私からも質問させてください。机の上に置かれた封筒を見る限り、今回5回にわたってウェス・サプリメントからサプリメントが届いたことになります。ですが、グランフィールド選手はここまで持っていたわけです。どうして怪しいと判断したものを送り返さなかったのでしょう」

(ついに、そこに踏み込んできたか……)

 ヴァージンは、記者に見えないように膝の上で右手に力を入れた。そして、数秒間伝えたい言葉を思い出し、それからマイクを持った。

「お答えします。私は、最初に届いたものを、ウェス・サプリメントに送り返しました。ですが、住所不明で戻ってきました。そして、ここから先は私の推測になりますが、そもそもウェス・サプリメントという会社は存在しないのではないと思います。調べても出てきませんし、どうしてエクスパフォーマの選手にだけ送られてきたかも、私はずっと不思議でなりません。それに、今回検査で出てきた薬物は、サプリメントの袋に『その他』としか書かれておらず、精密検査を行わなければ気付かないものだったことも疑問です。さらに、ファーシティでのレースが終わった直後にメリアム選手が連れて行かれたことや私たち3人のリストが出たことも、全てが異例だと思っています。もしかしたら、誰かが裏で糸を引いていると思いたくなります。もし、エクスパフォーマの邪魔をしようと思って、このサプリメントを送りつけたのであれば、私たちは訴えなければいけないと思います」


(全部言ってしまった……)


 ヴァージンは、全てを言い切ったように息をついた。その後、記者たちの手が挙がることはなかった。そして、最後にヴァージンは再び深く礼をして、記者会見場を後にした。


「すごい記者会見だった。君を長いこと見ていて、ここまで大人の対応をしている姿は初めてだな」

 控室に戻ると、入ったときにはいなかったはずのガルディエールが待っていた。ガルディエールは、会見場の最後尾の目立たないところにいて、遠くからヴァージンを見ていたのだった。

「いえいえ、ありがとうございます。最後はちょっと感情的になりかけましたが、言いたいことは言えました」

「それでいいと思うよ。こういう場があっても、本番で上がってしまう人も多いから。でも、さすがはトップアスリートの君だ。どんな強い感情を覚えていても、本番では落ち着いて事を進めることができる」

「ありがとうございます。レースと同じように、会見に集中していました」

 ヴァージンがそう言うと、ガルディエールは一歩ヴァージンに近づき、静かな声で言った。

「訴えるつもりかな?真犯人を」

「そのつもりです。少なくとも、メリアムさんは不利な立場に立たされてしまいましたから」

「そうだな……。もし裁判沙汰になったら、私も全力で戦うつもりだよ」

 ヴァージンは、ガルディエールの優しい声に思わずうなずいた。するとそこに、見覚えのある「ライバル」の姿が立っていた。

「メリアムさん……。来てくださったんですね……」

 髪を切り落とし、太くなった足をロングスカートで隠すなど、控室に入ってきたメリアムは別人の姿だった。ヴァージンは、メリアムの変わり果てた姿にうっすら涙を浮かべた。

「えぇ……。グランフィールドに、少しの望みを託すつもりで来たけど、会見は終わっちゃってた……」

「早めに終わっちゃって、すいませんでした……」

 すると、メリアムは首を左右に振って、再び口を開いた。

「いいの。実際に禁止薬物のヒト成長ホルモンが使われているサプリメントを飲んでしまったのは私だから……。あそこでグランフィールドが訴えても、私のドーピングは消えなかった」

「私は、あの場では言えなかったですが、メリアムさんは被害者だと思っています……。私だって、あの中に入っている禁止薬物を何も知らずに口にしていた可能性だってあるんですから……、訴えれば勝ちます」

 だが、メリアムはヴァージンの提案に首を横に振った。そして、声に力を溜めて言った。


「もし裁判で勝っても、私がしてしまったことは覆せない。しかも、グランフィールドが使うのを思いとどまったのに、私は思いとどまることができなかった……。どっちがアスリートとして正しい道か、世間に判断されるでしょ」


(メリアムさん……)

 責任。それは時として、勝負に挑むアスリートの息の根を止めることになるものだった。

 親戚がライバル選手を傷つけ、レースの賞金をその報奨金として横流ししていたことが明らかになったとき、エリシア・バルーナはヴァージンの目の前でウェアを引き裂き、トラックから姿を消した。その姿を、ヴァージンは瞬間的に思い浮かべた。

 そして、いま新たな「責任」が、目の前にいるメリアムにのしかかる。ヴァージンの脳裏に不安がよぎった。

(メリアムさん……。ここまで一緒に戦ってきたのに……)

 今度こそ、メリアムを引き止めたい。そうヴァージンは決めた。だが、その心配をよそに、メリアムは言った。

「私は、ペナルティーを受けるだけ。出場停止が解けたら、またグランフィールドと真剣に勝負をしたい……」

「えっ……」

 ヴァージンは、はっと我に返った。その目に映ったのは、それでも「陸上部の先輩」であり続けるメリアムの姿だった。

「メリアムさん……!私だって、いつかその時が来るの、待ってます……!」


 1週間後、メリアムは国際陸上機構から2年間の資格停止と、ファーシティ選手権で出した世界記録の無効を言い渡され、それをのんだ。実在しない会社が引き起こした事件の解決には時間がかかるが、当事者の処分だけは行われた形になった。

(届いたときから今まで……、私はどうすればよかったんだろう……)

 「スーパースピードアップサプリメント」の全ての封筒を警察に届け出て、部屋から疑惑の種が消えても、ヴァージンの心の中にはしおれた花だけが残された。

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