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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界記録の重み
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第35話 破滅のサプリメント(2)

「カルキュレイムさん……」

 ヴァージンは涙声のまま、カルキュレイムにそう返した。決して怒ったり、軽蔑したりするような目ではなく、カルキュレイムはヴァージンに自然体の目を輝かせていた。

「さっきも言ったじゃん。そんなこと言われたら、自分だって心折れるって……。いくらグランフィールドがすごい記録を作る選手でも、そこまで言われたらプライドがズタズタになるって……」

「負けた瞬間は、記録しか見てなくて、そう思わなかったんです。でも、その後に傷が深くなりました……」

 ヴァージンは、一度ため息をつき、ようやく背筋を元に戻した。それを見て、カルキュレイムは笑った。

「傷はどうしたって意識するよね。自分だって、そうだったんだから……」

「カルキュレイムさんも、そういう侮辱みたいなこと言われたんですか……」

「言われたさ。やり投げで、1回だけ世界記録出したんだけど、1週間後の大会で全然記録が伸びなくて……、あの時はまぐれだったとか、計測間違えたんじゃないのとか、ボロボロに言われた。しかも、グランフィールドと同じように、そこで世界記録が自分のもとから離れていったんだ……」

 何度か首を横に振りながら、カルキュレイムは言った。

「それは辛いです……。最近の話ですか?」

「最近じゃないよ。5年くらい前、今は引退したイェル・フランサーという選手に、そう言われた。彼は、優勝した上に世界記録を取って、自分にそう言ってきた。あの時は、この場所に来てはいけないと思ったくらいだ」

「そんなの、ライバルじゃないです……。アスリートとして最低だと思うんです」

「グランフィールドも、そう言うと思った……。ライバルブランドの担当者が言う以上に、許せなかったけど……、それを言葉で跳ね返すことはできなかった」

 そう言いながら、カルキュレイムは右手を軽く丸めた。そして、ヴァージンを向いて軽くうなずいた。

「だから、しばらくは泣くしかなかった。でも……、そのうちに自分に残された道は一つしかないって……、思うようになったんだ。侮辱されて、言葉で跳ね返せなかったら、実力で跳ね返そうって……」

「実力で、跳ね返す……」

 ヴァージンは、小さな声でそう返す。軽く首を横に振ろうとするが、何とか食い止めた。

「どうすればいいか、あの時は自分もいろいろ考えた。けれど、自分が一番やりたいことだし、ライバルに勝ちたいって気持ちはずっとあったんだから」

「私も、カルキュレイムさんのように……、少しずつ立ち直った方がいいですよね……」

「気持ちが落ち着いたらね。きっと、グランフィールドなら、記録を奪い返せると思う」

「分かりました……。ありがとうございます」

 カルキュレイムは笑った。ヴァージンも、いつの間にか一緒になって笑っていた。


 その日、ヴァージンが高層マンションに戻ると、ポストに封筒が入っていた。差出人には、「ウェス・サプリメント」と書かれていて、中には試供品のサプリメントと思われるものが入っていた。

(ウェス・サプリメント……。聞いたことない会社だ……)

 ヴァージンは首をかしげながらエレベーターに乗り、28階に着くまでの間に心当たりのある会社を考えた。それでも、これまで出会った数多くのライバルがその会社の製品を使っている記憶はなかった。

 玄関のドアを閉め、机にその封筒を置くなり、ヴァージンはいそいそと開いた。薬のカプセルほどのサイズのサプリメントが14錠入っているのが見えたが、ヴァージンが驚いたのは、むしろ商品名のほうだった。

「『スーパースピードアップサプリメント』……。長距離陸上選手のスタミナとパワーを作りだす……」

 そのものズバリの商品名が、ヴァージンの目に飛び込んできた。先日のオリンピックで、スピードもスタミナも及ばなかったヴァージンにとって、ぴったりすぎる商品名だ。実際に使った選手もいるようで、10000mのタイムを30秒以上も縮めたトップ選手の例もパッケージに書かれていた。

 それどころか、サプリメントの成分を見ても、プロテインや炭水化物、ビタミンなど、スポーツサプリメントにはよくある成分だけではなく、瞬発力を高めるクレアチンなどが大量に含まれているようだった。

(アスリートに必要な成分……、いっぱいある……。あまりにも多くて「その他10種」とか書かれてるし……)

 そこまで思ったとき、ヴァージンは電話を取った。落ち込んでいたヴァージンにとって、喉から手が出るほど欲しい、スピードアップのためのサプリメントを、誰がプレゼントしてくれたのか、それだけが気になった。

(ガルディエールさんが……、落ち込んだ私のために手配してくれたのかな……)

 電話のコールが鳴る間、ヴァージンははやる気持ちを抑え、できるだけ遠回しに言おうと言葉を組み立てた。

「お久しぶり。残念な結果だったみたいだね……」

「ガルディエールさん……、本当に悔しいです。何よりも、世界記録をウォーレットさんに出されたことが……」

「やっぱり、そうか……。CMも選手モデルもなくなったって、今日話があったよね」

「はい……」

 ヴァージンは、ここまでガルディエールとの話を進め、すぐに違和感を覚えた。当たり前のことしか話をしていない。代理人が手配したのであれば、やはり本人の口からサプリメントのことを聞いてくるはずだった。

 そこで、ヴァージンは話を切り出すことにした。

「ガルディエールさん。私、過去の話はあまりしたくないんです……。今日電話したのは、別の理由なんです」

「また、何かあったんかい」

「私の家に、サプリメントが届いたんです。ウェス・サプリメントというところから……」

「知らないなぁ……。食生活を乱す可能性もあるから、サプリメントには手を出さないように気を付けてるし」

 ガルディエールは、はっきりとヴァージンに告げた。戸惑いながら、ヴァージンは言葉を返す。

「『スーパースピードアップサプリメント』です。送った覚えはありませんか?」

「聞いたこともない……。そもそも、私のところにサプリメントの話が来てないのに、送るわけない」

「そうでしたか……。ありがとうございます」

 ヴァージンは、絶対に抜き返す、と最後に言ってガルディエールへの電話を切り、もう一度「スーパースピードアップサプリメント」を手に取り、それをじっと見た。

(ものすごく、タイミングが良すぎるような気がする……。ガルディエールさんが知らないということは……、ウェス・サプリメントという会社が私の住所を調べて、送りつけてきたとしか思えない……)

 ヴァージンは、サプリメントの包みを開けず、送られた封筒に戻して、さらに一回り大きな封筒に入れてウェス・サプリメントの住所と会社名を書いて戻した。

(体の環境が少しでも変わったら、私の走りだって変わってしまう……。潔く送り返すしかない……)


 翌日には、ヴァージンはエクスパフォーマのトレーニングセンターでのトレーニングを再開した。マゼラウスの前では、決して落ち込んだ表情を見せず、懸命にトレーニングに励んだ。

 それでも、1日のトレーニングが終わる頃には、マゼラウスに見破られてしまうのだった。

「ヴァージン、やっぱり自信を失っているようだな……。私にはそう見える」

「はい……。できるだけいつも通りにトレーニングしようと思ったのですが……」

「私には、そこが着飾っているようにしか見えないんだ。お前の動きを見てても、ほんの少しだけ、良かったときから狂い始めているような気がする」

 たしかに、1000mインターバルでもストライドを想定より短めに取ってしまうことがあるなど、この日のヴァージンの動きは不安定だった。見破られないようすぐに修正したが、それがマゼラウスには不自然に見えたのだ。

「コーチ。率直に答えて下さい」

「どうした、ヴァージン」

 マゼラウスは、滅多にそんなことを言わないヴァージンの声に、軽く耳を近づけた。

「私が、ウォーレットさんから世界記録をもう一度奪い返すのは、簡単だと思いますか」

「その弱気なところが、お前らしくないな」

 マゼラウスは、軽く首を横に振って、両手の人差し指で軽く×の字を描いた。

「世界記録という、誰からも憧れの的にされる、夢のような存在。それが、たった一度のレースで消えて、お前もついに現実を気にするようになってしまったのか……」

「そうだと思います。今までは、夢物語しか言わなかったかも知れません」

 ヴァージンは、小さな声でそう答えた。すると、マゼラウスは目を細め、ヴァージンに告げた。


「それでもお前は、その夢物語を現実にしてきたんじゃないか」


「コーチの言うとおりです。やっぱり、気にしちゃいけないですね」

「そうだな。だから私は、お前の心の傷も癒やさないといけないと思っている。それは分かってくれ」

 そう言うと、マゼラウスはヴァージンの肩を軽く叩いた。その瞬間、ヴァージンの胸が熱を感じた。

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