表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界記録の重み
210/503

第34話 世界最速からの陥落(5)

 ヴァージンは、ウォーレットとほぼ同じストライドで飛び出した。ウォーレットにリードを許せば、再びラップ68秒ペースで突き進まれてしまう。そうなる前に、ヴァージンはレースの主導権を握ろうとした。

 だが、ウォーレットがわずか数歩で着地のテンポをアップさせた。広いストライドを保ったまま、流れるように前に飛び出し、コーナーを回りきるときには、ヴァージンよりも3歩、4歩先を進んでいたのだった。

 一方、ヴァージンはラップ69.5秒に合わせてテンポを組み立てていたが、ウォーレットのダークブラウンの髪が目に入った瞬間には、そのペースをわずかながら上げていた。サブトラックでウォーレットに声を掛けられたときから宿っていた、「マックスチャレンジャー」の戦闘本能が、早くもヴァージンの足を駆り立てていく。

(どこで……、どこでペースを同じにするか……)

 ケトルシティでは、3200mからウォーレットを上回るペースに変えた。それまでは、速くてもラップ69秒まで上げなかった。最後のスパートこそパワー不足になりかけたが、それでもウォーレットを抜き去ることができた。

(あの時より、少しだけ早く勝負を仕掛けるか……。シューズだって、変わっているんだから……)


 2周が終わり、1000mのラインにウォーレットが差し掛かる。ウォーレットが25mほど、ヴァージンを引き離しているように見えた。まだ十分追える、と思ったとき、ヴァージンの目に記録計が飛び込んだ。

(1000mで……、2分50秒……!)

 ヴァージンは、頭の中でその数字を読み上げた。そして、それを単純に5回足してみた。今のペースを保つだけで、ウォーレットの5000mのタイムは14分10秒だということを、その瞬間に思い知った。

(やっぱりこの前よりも、ペースが少しだけ上がっている……!)

 ヴァージンは、その次の直線に差し掛かったとき、ウォーレットの動きをじっと見つめた。体の重心がヴァージン以上に前に出ており、次のストライドを踏み出す足の動きも素早かった。ウォーレットがゆったり走っている様子は全くなく、むしろ5000mの間そのハイペースを続けていこうという、スピード重視の戦い方だった。

(これは……、ウォーレットさんにとっては、完全に中距離走なのかも知れない……)

 ヴァージンが数日前にこのスタジアムで見た、男子5000mの走り方と全く同じだった。ケトルシティで思った以上に、ウォーレットの走りは力強さに満ちていた。

 ヴァージンがそのようにウォーレットを見る間も、ウォーレットは1周10mもヴァージンを引き離す。ヴァージンの目には、ウォーレットの姿が徐々に小さくなっているように見えた。

 一方で、ヴァージンはラップ69秒を突き破ることを躊躇していた。後半でパワーを爆発させるヴァージンにとって、序盤から飛ばしていくことは勝負を捨てるようなものだった。だが、ウォーレットは待ってくれない。

(足が……、ウォーレットさんと勝負したいって言っている……。それで……、世界記録を守れるなら……)

 2000mが過ぎた。ウォーレットのタイムは、5分39秒と、ラップ68秒をも上回り始めている。何とかラップ69秒でウォーレットを追うヴァージンは、ウォーレットと7秒も離されている。さらに、ヴァージンの背後から感じる3位集団が、ウォーレットに刺激されたのか、ヴァージンに懸命に食らいついているように感じられた。

(勝負をしよう……)

 ヴァージンは、その脚に力を入れた。「マックスチャレンジャー」のエアーが、その体にさらなる力を与え、次の一歩に挑むため、強く反発した。脚とシューズになって、ウォーレットに立ち向かっていく。

(ラップ68秒……!)

 ヴァージンは、次のコーナーを回りきるまでに、自らのラップを68秒まで高めるどころか、それをも上回るペースを編み出した。ウォーレットと同じペースを意識するも、絶対に負けられない相手に対して、その脚は意識を上回るパフォーマンスを見せようとしていた。

 50mほどあったウォーレットとの差が、ヴァージンがペースを上げてからほとんど変わらなくなり、むしろわずかながら小さくなっているようにも見えた。ヴァージンの最初の追撃作戦は、成功したようだ。

 それでも、ヴァージンは、まだウォーレットを細い目で見続けていた。

(それでも……、これ以上上げなければ差を縮められない……!)

 ケトルシティでは、3200mを過ぎたあたりでラップ66秒のペースを見せた。それで初めて、ウォーレットとの差を縮めることができた。その時は60m離されており、いま目の前でつけられている差を上回っていた。それでも、ヴァージンはウォーレットの言葉を思い出し、早めに勝負するしかなかった。


――このシューズに、グランフィールドは付いて行くこともできないはずよ。


(ウォーレットさんは……、さらに手強くなっているはず……。だから、ここで攻撃の手を緩めてはいけない)

 2600mを過ぎたあたりで、ヴァージンはその足をさらに強く踏み込んだ。ウォーレットのシューズ――明らかに「マックスチャレンジャー」を蹴落とすために作られたシューズ――を見つめ、ヴァージンは一気に加速する。ケトルシティで見せたラップ66秒を、わずかに上回るペースでウォーレットを追い続ける。

(これで……、最後の2周ぐらいで横に並べば……、スパートが少し足りなくても勝てる……)

 ヴァージンは悟った。ウォーレットのペースは、いま自らが持っている世界記録を上回っているということを。そして、そのウォーレットを追い抜けば、少なくとも14分08秒台まで世界記録を進めることができることを。

 ヴァージンにとって、世界記録を守るための条件は、それしかなかった。

(ウォーレットさんを追い抜くまで、私は勝負をしたい……。私は……、今までこの足で……、世界記録を追い続けてきたんだから……!)

 ヴァージンは、「マックスチャレンジャー」から繰り出されるパワーを武器に、その足を短い間隔で叩きつけていく。3000mを過ぎたあたりで45mあった差は、次の1周で35m、その次の1周で25mにまで縮まっていた。

 ウォーレットの背中に、手が届く。その差を一気に縮めるヴァージンは、はっきりと確信した。


 その時だった。ウォーレットのストライドが、わずかに伸び始めるのが、ヴァージンの目に飛び込んできた。

(ウォーレットさんの……、ペースが上がる……!)

 ウォーレットがその足に纏う「ヘルモード」が、より強くトラックを踏みしめた。これまでのペースが、まるで助走だったかのように、鮮やかな青に輝くシューズがウォーレットのペースをなめらかに上げていく。

(あんなペースで走り続けても、「ヘルモード」はびくともしない……。次の一歩を踏み出せるパワーが、まだその底に宿っている……)

 異次元だと感じたシューズを履いて勝負に挑むヴァージンの目にも、「ヘルモード」がそれをも上回る異次元のシューズであるかのように見えた。全ての性能を上回る、と言った言葉を、ウォーレットが自ら証明していた。

(でも……、私の足だって……、まだパワーはある!)

 「マックスチャレンジャー」の戦闘本能は、まだまだ高いはず。そうヴァージンは信じた。そのパワーで、ラスト1000mの勝負に挑もうとした。


 だが、異次元のパワーを見せつけられたヴァージンの足が、ついに悲鳴を上げた。

(足の裏が重くなってる……。スピードを上げようとしても、足の底からパワーが出てこない……!)


 ラップ65秒すれすれまで上げたはずのヴァージンの足に痛みが走り始め、これ以上スピードアップができないほどに苦しみ始めていた。11分17秒ほどで4000mを駆け抜けたウォーレットを、25m差まで捕えていたはずのヴァージンから、再びウォーレットが遠ざかり始めている。

 ウォーレットの力強い走りは全く緩まず、「ヘルモード」が次々とウォーレットにパワーを送っている。かたやヴァージンの「マックスチャレンジャー」は、エアーが間に合わなくなるまでにボロボロになり、パワーもほとんど失われていた。

(ペースが……、徐々に落ちていく……!)

 65・31・57……と、世界記録に向けて突き上がっていくはずのヴァージンの足は、一歩、また一歩とそのペースを緩めていった。意識だけは懸命にウォーレットを追い続けようとしているのに、足が付いて行かない。

 ついにはラップ70秒をも下回るスピードまで落ち、記録更新すら厳しくなっていた。オメガ国のテレビに映っているはずの、世界記録までのカウントダウンが、意味のない数字のように、一瞬だけヴァージンに思えた。

 だが、悲鳴にも近いようなスタジアムの歓声を聞いた瞬間、ヴァージンはその意味をはっきりと思い知った。

(ウォーレットさんが……、12分58秒で、最後の1周に入った……!)

 どよめきにも近い観客席の声援、それにオメガ国のテレビに映るカウントダウン。世界記録への期待を背負い、その足をさらに力強く加速させていくウォーレット。同じトラックで、その強かった足からパワーが消え、もがき苦しむ世界女王ヴァージン。二人の差は歴然だった。


 5年間手放さなかった世界記録が、ヴァージンから離れていく。全く違う意味のカウントダウンが、世界女王の体に刻まれた。

(女子5000mの世界記録が……、ウォーレットさんのものになってしまう……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ