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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
エクスパフォーマの走る広告塔
201/503

第33話 ブランドの力 己の力(2)

 トラックの内側から、自己ベストの順に、ヴァージン、メリアム、ヒーストンと並んだ。全15人で行われるエンブレイム選手権、女子5000m。ヴァージンにとって、オリンピックに向けた最初の一歩になろうとしていた。

 ヴァージンは、メリアムの紫色の髪に包まれた真剣な表情を横目で見た。普段以上にというよりも、半ば恐ろしい目つきになっているかのように、前をしっかり見ているようだった。

(やっぱり、「マックスチャレンジャー」も履いている……)

 大きな「X」の文字が目立つ、イエローのシューズをメリアムはその足でしっかりと踏みしめていた。ヴァージンと違い、スポンサー契約でエクスパフォーマのシューズを着用するメリアムの足は、以前に見てきたシューズよりもやはり軽かった。ヴァージンの履いているものよりも、少しだけエアーが入っていない程度で、メリアムの姿を見ても、次元の違う走りを見せることをレース前から言っているようだった。

(よし……)

 最後に、ヴァージンは自分自身の足を軽く見た。燃えるような赤のシューズに、力が入った。

「On Your Marks……」

 ヴァージンは、普段以上に心を落ち着かせ、エクスパフォーマと心を一つにした。


 ヴァージンが察していたとおり、号砲とともにメリアムがまず飛び出した。ヴァージンも、普段より2歩目を早めに叩きつけたが、スタートダッシュで飛び出すメリアムよりも体一つか二つ分、後ろに位置した。

(でも、ここまでは私の計算通り。あとは、メリアムさんにどう食らいついていくか……。問題はそこだから)

 ヴァージンは、とりあえずラップ70秒に足の動きを抑えながらも、序盤の展開を足と相談することにした。エンブレイムのトラックは、エクスパフォーマのトレーニングセンターよりも少し硬い材質でできているものの、その分シューズのエアーの力が増しているように思える。足の負担は、普段と全く変わらない。

 1周終わって、ヴァージンの目ではメリアムと1秒ちょっとの差。8mほどしか離されていない。それでも、序盤のうちにメリアムのアドバンテージを、ヴァージンは削って「みたく」なった。

(なんだろう……。1月のフランベーデフ室内選手権では完全に独走だったから意識してなかったけど……、前にライバルの姿を見ると、本当に何かをしたくなるような気がする)

 5000mを走りきっても、以前のように足にギリギリまで負担をかけずに済むのは、あのシューズを履いてから何度もヴァージン自身の足で証明できている。だからこそ、ヴァージンの足はそれ以上のことを望んだのだ。

(ラップ69秒、いやメリアムさんにぴったりくっつくぐらいまで上げてみよう……)

 そして、足に宿った、一種の戦闘本能にヴァージンは従うことに決めた。トレーニングでも何度となく刻んできた、足を叩きつけるペースがほんの少しだけ速くなる。これまでペースを組み立てるだけで精一杯だったことの多いヴァージンに、わずかながら余裕ができることを意味した。

(69秒を、わずかに切るスピード。これでしばらく引き離されることはない……)

 体感的にも、目標のスピードを感じたヴァージンは、3周、4周とメリアムとの距離をほぼ変えることなくラップを重ねていった。一方、最初の1周でほんの少し後ろに追いやったヒーストンの足音は、まるで懸命に食らいつくように小刻みになるが、やがてフェードアウトしていった。ヒーストンもまた、エクスパフォーマのシューズを身につけているはずだが、そのパワーを使いこなせていないようにしか、ヴァージンには見えなかった。

(こんな早い段階で、「マックスチャレンジャー」を履く二人だけの勝負になるなんて、エクスパフォーマとしてはこんな嬉しいことないし……、何よりも私自身がやる気出てくる)

 アスリートモデルとしてCMまで出ている以上、目の前にいるメリアムに、最後負けるわけにはいかない。いくつもの壁を振り切って、女子5000mでは世界トップクラスの実力を手に入れた、その証としての専用シューズが、メリアムを追いかけ続ける。


 5周が終わり、ヴァージンの体感では5分47秒ほど。ここで、メリアムが後ろを振り向き、舌打ちをしたような表情を見せる。そして、トラックを踏む足に力を入れた。メリアムのペースはラップ68秒から69秒で変わっていないものの、ヴァージンが食らいついてからその差をほとんど広げることができない。

(珍しく、あんな顔を見せた……。メリアムさんは、ここでスパートをかけて、振り切るのだろうか……)

 ヴァージンがそう思った途端、これまで2秒しかなかったメリアムとの差がすぐに3秒に広がった。ほんの100mほどの短い間だけ、メリアムがペースを早め、それからまた戻したのだ。

 しかし、短い時間だけのスパートは、メリアムの足を余計に疲労させるだけだった。これまで68秒台前半で進んでいたメリアムが、ペースを加減した後に徐々にストライドが小さくなっているように見えた。7周目を終えたとき、メリアムは完全にラップ69秒になり、ヴァージンの目にもはっきりと差が縮まっているように見えた。

(メリアムさんが、少し遅くなっているように思える。ここでペースを上げなくても、最後の1000mを思い通り走れれば、ワールドレコードは間違いないかも知れない……)

 一方で、ヴァージンの足はそれでもパワーを感じていた。完全に追い抜くまで、メリアムとの勝負を続けたいと言っているかのようだった。だが、少しずつ足の裏に衝撃を感じ始めたこともあり、ヴァージンは普段から勝負と決めている4000mまで、その作戦を保留することにした。


 運命の4000mで、ヴァージンはメリアムの後ろにぴったりとつき、一気にスパートをかけると、いま唯一となったライバルを、瞬く間に抜き去っていった。

(4000mの通過タイム、たぶん11分32秒……。たぶん、私は、次の世界記録を手にすることができる!)

 ここまで、メリアムとの勝負に夢中で、タイムすら見ていなかったヴァージンは、体で感じるタイムに次の世界記録を確信した。衝撃を感じていたはずの足が、ほんの少しだけ軽くなったように、ヴァージンには思えた。


――Break the 1410……!


 ヴァージンは、その足に爆発的なパワーを感じた。これまでよりもはるかに速く、シューズをトラックに叩きつける。徐々にスピードに乗るヴァージンを、「マックスチャレンジャー」が体と一緒になって支える。

(65……、31……、そして57……)

 トレーニングで何度も意識している、ラスト1000mのペースを、ヴァージンは足の裏に叩きこませ、一気にギアを上げていく。メリアムをはるか後ろに置き去りにし、あとはヴァージンが自分自身の壁に挑むだけだ。

(足を強く踏んでいるけど……、まだエアーが残っている……。足も、それに膝も十分余裕がある!)

 そして、最後の1周を告げる鐘が、ヴァージンの耳に鳴り響いた。これまでもざわついていたスタジアムが、ここで異様なほどの盛り上がりを見せる。ヴァージンに対する、次の世界記録への期待。

(これが、ヒルトップさんの言っていた「魔法」……)

 ヴァージンは、最後の1周のラインを踏んだ瞬間、かすかにうなずいた。そして、初めてタイムを見た。

(13分12秒か……。ちょっと体感のタイムがズレていたのかも知れない)

 それでも、13分12秒ならば57秒をプラスすれば目標としているタイムを破ることができる。ヴァージンは、足をさらに強く踏み込んだ。ヴァージンの力とシューズの力が、一緒になってトラックを駆け抜ける。

 トップスピードに乗って、ヴァージンは最後のコーナーを駆け抜けていった。後ろからライバルの足音が迫ってくることはない。ゴールラインに向けて、突っ走っていくだけだった。

(記録……っ!)

 ヴァージンは、体の重心を前に傾けゴールを割った瞬間、記録計を振り返り、その目でタイムを確かめた。


 14分10秒29 WR


 新たな世界記録に、スタジアムは湧き上がる。電光掲示板にも、「ヴァージン・グランフィールド 世界新記録」の文字がいつものように浮かび上がる。ヴァージンも、体ではその記録を喜ぶようなパフォーマンスを見せた。

 だが、表情に表れない部分だけは、正直だった。

(あと0秒29だけ……足りなかった……)

 ヴァージンは、まだパワーを足に送っているシューズを見た。躍動感溢れる「X」の文字が、心なしか小さく見えた。勝負の時間は、終わってしまったのだ。

(記録は嬉しいんだけど……)


――Break the 1410……。


 その言葉をもう一度空で言ったヴァージンは、直後に正面からメリアムに抱きつかれた。

「世界記録、おめでとう!『マックスチャレンジャー』を履いたグランフィールドの走り、たくましかった!」

「ありがとうございます……!」

 ヴァージンは、メリアムの目を見て、すぐに笑ってみせた。

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