第32話 アメイジング・スター(7)
日の光をも反射させるような、紫色と黒の縦のストライプが、ヴァージンの目に焼き付いた。エクスパフォーマの陸上競技用グラウンドの駐車場に続々と降りてきたのは、サッカーのリーグオメガでいま最も強いと言われているチーム、グラスベスの選手たちだった。
そしてその中に、チーム解散でミラーニから移籍した、フェリシオ・アルデモードの姿があったのだ。無造作に束ねられた茶色の髪は、ヴァージンにとって、グラスベスの他の選手とは全く異質の存在であるように見えた。
(そうだ……。アルデモードさんのチームは、エクスパフォーマのユニフォームを使っているんだった……)
最初にエクスパフォーマのことを紹介してくれたのが、アルデモードだったことを、ヴァージンはすぐに思い出した。彼のユニフォームに、ヴァージンが毎日見るようになった「X」の文字が輝く。
「あっ……」
列になって、スタンドへと向かうグラスベスの選手たちが、ヴァージンの前を通り過ぎ、列の後ろのほうにいるアルデモードの顔がはっきりとヴァージンの目に見えた。ヴァージンは、声を掛けようとして口を閉じた。
(ここで声を掛けたら……、アルデモードさんがチームメイトに何か言われてしまうかも……)
その時だった。アルデモードが、無意識にヴァージンに振り向いた。そして、アルデモードのほうが、逆に何かを言いかけようとしていた。前に向かって歩きながら、その目だけはヴァージンを見つめるしかないようだ。
(私がここに来るってこと……、アルデモードさん、知っていたのかな……)
おそらく、グラスベスの選手たちには、「エクスパフォーマ・トラック&フィールド」のCM撮影ということが伝えられているだろう。そして、いつも気にしてくれているアルデモードのことだから、エクスパフォーマのモデルになったということも知っているに違いない。ヴァージンは、そう思うしかなかった。
(アルデモードさん……!私、エクスパフォーマの一員として、頑張るから!)
スタンドへと去っていくアルデモードに、ヴァージンはいつしか手を振っていた。
だが、この時ヴァージンにはかすかな不安要素がよぎった。
(どうしよう……。また、一緒にいたい人が、二人同じ場所にいることになってしまった……)
ヴァージンの脳裏に、止めることもできないままアルデモードが大けがを負った、あの夜のことが突然蘇った。ヴァージンは、首を何度か横に振ってその記憶を消そうとするが、アルデモードのことを思ったとたん、すぐにその記憶が復活してしまう。
(カルキュレイムさんが……、そこまで過激な人じゃなきゃいいんだけど……)
ヴァージンは、たまらなくなってスタンドへと上がった。もう一度、カルキュレイムの顔、そして目を確かめたかった。カメラに映ってしまえばカルキュレイムの撮影がやり直しになる可能性があり、後でヒルトップから何を言われるか分からない。それを覚悟してのスタンド入場だった。
しかし、スタンドに上がり切ったヴァージンを待っていたのは、カルキュレイムの甘いマスクではなく、聞き慣れた甘い声だった。
「あれ?君がCM出るわけじゃなかったんだ……」
ヴァージンは、思わず後ろを振り返った。会談に一番近いところに、アルデモードが座っていた。ヴァージンの立っているところから見れば、ちょうど手すりを挟んだ反対側に、彼がいた。
「アルデモードさんこそ……、ここに座っているとは思わなかったです……」
「いやぁ……、エクスパフォーマのウェアを着て走る姿がカッコよかったよ、って一番に伝えたいからさ。だから、ルイス・カルキュレイムのやり投げを応援することになるなんて、残念だよ」
「アルデモードさん……。大丈夫です。私、この後走るんです!」
「それはよかった……。君は、何と言っても、アメジスタの輝く星だからさ」
(アメイジング……、スター……)
アルデモードの言葉に、ヴァージンはほんの少しだけ体を震わせた。先日、ヒルトップから言われたことと全く同じ言葉が出てくるのは、偶然としか思えなかった。
「アルデモードさんだって……、私よりもずっとずっと前から世界に向けて輝く星です!もう国籍は違いますけど……、私にとっては、アルデモードさん、いつまでもアメジスタ人だと思っています」
ヴァージンは、そこまで言った後に、思わず口を手で押さえた。彼がアメジスタ出身であることは、オメガのサッカー界では公になっていないかもしれないと思ったからだ。
しかし、アルデモードは決して顔をしかめることなく、逆にヴァージンにこう語りかけた。
「そうだね……。僕だっていつかは……、アメジスタの国旗を背負いたいからさ」
「アルデモードさん……!」
その瞬間、ヴァージンは思わず手すりに体を乗り出し、アルデモードに抱き着こうとした。アルデモードだけではなく、周辺にいたグラスベスのチームメイトまで、アメジスタ生まれの女子陸上選手の動きに釘付けになる。
「危ないよ、危ない!」
その声に、ヴァージンは我に返った。両足が床から離れていて、重心の移ろいを、幅数センチほどの手すりに任せるしかなかった。アルデモードに伸ばした腕は、手すりを掴むタイミングを逸していた。
(あ……、私、ものすごく恥ずかしいところを見せてしまう……)
――ガシッ!
ヴァージンは、体全体が何か軽いものに引っ掛かったような気がして、目を開けた。そこは、腕の中だった。鍛え上げられた腕からあふれ出る、優しく包み込むようなオーラを、ヴァージンは感じた。
「君の気持ちは……、僕に十分伝わったよ……。アメジスタの……、スーパーヒーロー」
「アルデモードさん……!」
真っ逆さまに手すりの向こう側に倒れそうになったヴァージンの頭を、アルデモードが腕で包み込んでいた。その瞬間、ヴァージンはこれまでほとんど感じたことのない熱を顔いっぱいに感じ、慌てて手すりを両手で掴む。だが、一度目の前に飛び込んだアルデモードから、目と目の間の距離を広げることはできなかった。
「僕は……、同じアメジスタ人として……、君をずっと支えていくからさ……」
「私だって……、アルデモードさんに何度勇気づけられたか……、分からないです……」
「僕が……。そう言ってくれると、僕はますます君のことが……」
だが、次の瞬間、ヴァージンの背後からメガホンで叫ぶ声がはっきりと伝わった。
――スタンドは、静粛にしてください!
(あー……、やっちゃった……。アルデモードさんとのシーン、もしかしたら映ってるかもしれない……)
実際には、そのようなヴァージンの心配はなかった。カルキュレイムのCM撮影もやり直すようなことなく、順調に進んでいったが、この一件でエクスパフォーマのフロントにも「ヴァージンに恋人がいる」という、今まで目立つことの少なかった事実がバレてしまったことは確かだ。
ヴァージンは、慌ててアルデモードに別れを告げ、急いでスタンドから1階に降りていった。そして、何事もなかったかのように、敷地内のサブトラックを軽く走り出した。それでも、ヴァージンに宿った熱は、CMの撮影が再開する直前まで消えることがなかった。
そして、エキストラも参加するヴァージンのレースシーンの撮影が始まった。
「では、グランフィールド選手と一緒に走ってくれる選手にも入ってきてもらいます」
「ヒルトップさん……。エキストラの皆さんを相手に、本気で走っちゃって大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。きっと、画になるようなエキストラも登場しますから、本気で走ってください」
ヴァージン、ヒルトップの言葉を聞いた途端、嫌な予感がした。このトレーニングセンターは、エクスパフォーマの製品を着る者なら誰でも練習しに来ていい、ということだったはずだ。そうなれば、候補は最低一人いる。
(ヒーストンさん……。たぶん、モデルアスリートを譲っても、頂点だけは譲りたくないような……)
だが、ヒルトップの手が上がった瞬間に、ヴァージンの目に飛び込んできたのは、予想を大きく上回る光景だった。たしかに、レースで見かけたことのないような、本当の意味でのエキストラはいるものの、そのエキストラを引っ張るのが、ヒーストンと、そしてメリアムだった。
メリアムの紫色の髪と、ヒーストンの赤い髪が、薄青のトラックに彩りを添える。
「彼女たちも、エクスパフォーマのスポンサーとして契約した選手です。グランフィールド選手のような広告塔としての立場じゃありませんが……、私どもが支える偉大な選手です」
「そうなんですか!なんか、ものすごくトレーニングに行くのが楽しみになりました!」
ヴァージンは、ヒーストンとメリアムを見つめながら、大きくうなずいた。その後のCM撮影こそ、ヴァージンの独り舞台だったが、この先エクスパフォーマを背負うヴァージンにとって、違った意味でのライバル出現は喜ぶべき展開だった。
そして、撮影から1ヵ月が過ぎたとき、トレーニングを終えたヴァージンのもとに、ヒルトップから電話が入ってきた。
「グランフィールド選手の映っている、エクスパフォーマのCMが今日からオンエアになるようだ。今はトラック&フィールドの売り出し期間だから、他の競技そっちのけで、グランフィールド選手かカルキュレイム選手のCMが高確率で流れますよ」
「ありがとうございます!」
ヴァージンは、そう言うが早いが、すぐにテレビの電源を入れた。すると、見慣れたアスリートの姿が映っていた。
(これが……、私……)
映っているヴァージンの姿に、ヴァージンは自分から見入ってしまった。だが、それ以上にヴァージンが気になったのは、そのCMで描かれていた「ヴァージンからのメッセージ」だった。
――アメジスタからアスリートなんか出るわけない。
その言葉をバックに、CM撮影中に軽く足慣らしをしているヴァージンが、こちらを見つめていた。
――世界に立ち向かうなんて、無理だ。
続けて出てきた言葉に、首を小さく横に振るヴァージン。そしてアップになる。
――私は、この足でそれを否定する。
スタートラインに立ち、軽くジャンプし、前を見つめる。スタートラインを映すカメラだ。
続いて、走るヴァージンを正面、背後から映す。そして、シューズを力強く叩きつける姿を映す。
――夢を、諦めたくないから。
最後に、エキストラが映って一斉にスタートを切る。そして、先頭でゴールし、ヴァージンが笑う。その姿がアップになった瞬間、最後の文字が映った。
――パフォーマンスを極限まで高めるギア。私はその力を信じる。
(うそ……。こんなにもCMで胸が熱くなるなんて……!)
ヴァージンは、自身の姿に思わず泣き出した。これから、その姿を見て、夢や希望を抱く全ての人に、この感動を伝えたい。ヴァージンはそう心に決めた。