第32話 アメイジング・スター(5)
「で、話を戻すけど、ヒルトップさんはどういうヴァージンのCMを作ろうとしているのでしょうか?」
CMという二文字から横道にそれ始めたので、マゼラウスがヒルトップに体を向けて言った。すると、ヒルトップは待っていたかのように、大きくうなずいた。
「そうおっしゃると思いました。とりあえず、グランフィールド選手のCMは、二つ考えていますよ」
「二つ……。エクスパフォーマは二つもCMを作ってくださるんですか?」
ヴァージンが驚いたようにそう返すと、ヒルトップは少しの間首を横に振った。
「本当は、スタジアムをも魔法に包み込んでしまうくらい素晴らしい選手ですから、二つとも流したいのですが、それだと他の専属契約選手が黙っちゃいませんよ」
「最近流れている、専属契約の4人をフィッティングの時に撮った画像を使ったCMとは違う形になるんですか」
「いえいえ、今回もあくまで『エクスパフォーマ・トラック&フィールド』のCMになります。『マックスチャレンジャー』のような特定商品を宣伝するわけじゃありません。もっと言えば、グランフィールド選手にスポットを当てて、私どもの製品を輝かせるというものです」
「そうなんですか……」
ヴァージンが感心していると、ヒルトップはバッグに手を伸ばし、中から二つの企画書ファイルを取り出す。それをテーブルの上にゆっくりと置き、ヴァージンの目の前に差し出した。
「とりあえず、グランフィールド選手がどちらか選んで欲しいんです。これと……、これなんですけどね……」
早速、ヴァージンがその片方を手に取ってみるも、見た瞬間にヴァージンはじっと見入ってしまった。
「一つ目のCMは、これは走りたいという、女子の純粋な気持ちを表したものです。最近は、健康のために公園をジョギングしたり、マラソン大会に出たりする女子がかつてないくらい多いですから、長い距離をひたすら走り続けるグランフィールド選手は、そんな女子たちの何よりの憧れではないかと思うのです」
「私が走るシーンを撮るだけなのに……、すごくメッセージ性があるみたいですね……」
「たしかに……、撮影はスタートからフィニッシュまでの断片的なシーンだけでしょう。けれど、それをバックに、途中に入れるキャッチコピーが、走る女子を刺激すると思うんですよ。一番単純なのが、グランフィールド選手が真正面を向いたときに映る『走りたい。まだ見ぬ自分の限界まで』の1行だと思うんです。きっと、グランフィールド選手も、走るときにそう思っているかと推測するんですよ」
「はい……。たしかに、私は目標を持って……、それに向かって走っています。自分の世界記録は、まさにまだ見ぬ自分の限界、という言葉を表していますね」
ヴァージンは、そこまで言うと企画書を机の上に置いて。大きくうなずいた。
「そう言ってもらえると、嬉しいですよ。そうしたら、こちらはどうでしょうか」
ヒルトップは、ヴァージンから見て向かって右手に置いた、もう一つの企画書を指差した。同時に、ヴァージンはその企画書を手に取って、今度もまたじっと眺めた。
(これ……、ものすごく……ゾクゾクする……。今まで、たくさんの壁を乗り越えてきた私みたい……)
「この二つのCM案を考えたとき、グランフィールド選手がいま見ているほうが、私としては気に入っているんですよ。今まで、アメジスタだからって見向きもされず……、アメジスタの人々からも不可能と言われて……、でも結果として、今はこうして笑っていられるということを60秒のCMで再現するんですよ」
「私も……、こっちをやってみたい気はします。今までの私を、ものすごくコンパクトにまとめていますし、シューズを履きたいとかウェアを着たいって気持ちにさせてくれると思いますし……、何よりもそこまでして世界の頂点を勝ち取れるっていう素晴らしさを、エクスパフォーマと一緒に分かち合えるような気がするんです」
「……では、こちらで考えておきましょう。具体的な撮影スケジュールとかは、予めグランフィールド選手と、コーチ、それに代理人にはお知らせいたしますが、場所はエクスパフォーマ・トレーニングセンターで行います。陸上競技用トラックの整備が終わりまして、来月には普段のトレーニングでも使えるようになりますが、オープンの数日前に、グランフィールド選手に撮影に入ってもらいましょう」
「分かりました。そう言えば、エクスパフォーマとスポンサー契約を結んでいたら、専用競技場でトレーニングできるって話を、忘れていました……」
「忘れちゃいけないぞ、ヴァージン。まぁ、前のところからそんな離れてもいないから、とりあえず今度はそこを拠点にしよう」
「そうですね……。この前整備中のグラウンドを見たんですが……、本番の競技場そのものって感じです」
ヴァージンが大きくうなずくと、ヒルトップは軽く頭を下げて、エクスパフォーマの施設をトレーニング施設として使ってくれることを喜んだのだった。
次のレースは、アウトドアシーズンで最も早く開催されるエンブレイム選手権。4月からアウトドアのレースを入れるのは、ヴァージンの競技生活では珍しかったが、何といっても今年の夏は世界選手権ではなく、世界最高の舞台、オリンピックが待っている。そこでの優勝は、ブランドの知名度を一気に高めるだけでなく、活躍が少しずつ伝わっているアメジスタの人々を、一気に勇気づけさせる可能性だってある。
それでも、ヴァージンはカフェのテーブルで念のためこのことを確認しなければならなかった。
「そう言えば、ガルディエールさん。今年のオリンピック、特例枠での申し込みは大丈夫ですよね……」
「大丈夫だ。今度は、向こうも絶対に4年前の過ちは繰り返したくないと、君の出場に前向きな姿勢だよ」
そこまで言うと、ガルディエールはヴァージンに軽く微笑んだ。ヴァージンも、代理人のその笑顔に軽くうなずいてみせた。すると、代理人はより微笑みながら、さらに言葉を続けた。
「それに、ウォーレットの活躍で、チュータニアにオリンピック委員会が出来た。だから、ウォーレットは特例枠ではなくて、チュータニアのオリンピック委員会からの推薦で選ばれる」
「じゃあ……、出場を賭けた私の競争相手って……、もういないってことですか?」
「そういうことになる」
ガルディエールがそう言うと、その話を横で聞いていたヒルトップがかすかに笑って、ヴァージンを見た。
「今のグランフィールド選手には、4年前と違って、実力的にも、観客を魅了する力でも、敵はいないさ」
「たしかにそうですね!」
ヴァージンが納得したようにそう言うと、その場は一気に笑いあった。
(私は……、壁を乗り越え続けた。どんな壁をも……!)
オメガ国の2月にしては、嘘みたいに風のない、穏やかな朝。ヴァージンにとってこれまでで、最も注目されるCMの撮影当日がやってきた。歩くヴァージンの脳裏にも、自然とCMのイメージが湧き上がる。
「たしか……、このあたりだったはず……」
ヴァージンの自宅がある高層マンションから歩いて30分――ヴァージンの実力なら走って7分とかからない――という身近な場所に、エクスパフォーマのオメガ中央工場がある。新しいトラックは、そこに併設されているという。ヴァージンは、工場の建物が右手から消える時を待ち続けながら、やや早足で歩いた。
「これ……!」
工場の建物が視界から消えた先にあったのは、トラックではなく、完全なスタジアムだった。国際レースに使えるようなスタンドの広さではないにしても、大学生が集うオメガインカレが十分開催できそうなサイズの、相当本格的なスタジアムが、一流スポーツブランドの用意した施設だった。
「ようこそ、私どものトレーニングセンターへ」
ヴァージンがしばらく見とれていると、スタジアムの中からヒルトップがエクスパフォーマのトレーニングシャツを着て出てきた。その横には、撮影用にカメラクルーが複数いた。
「すごいです……。もしかしたら、前にいたセントリックよりも、ずっと本番が意識できる場所に思えます」
「そうですよ。ここは、私どもの製品を使ってくれる陸上選手なら、誰にでも開放させてあげたいくらいの、素晴らしい施設だと思います。今まで、バスケやテニスとか契約選手専用の練習施設を作ってきたから、この周辺は他の競技でエクスパフォーマのロゴを見ることも多いでしょうね」
「分かりました」
ヴァージンがうなずくと、ヒルトップはすぐにバッグから先日の企画書を取り出した。そして、もう一度ヴァージンに簡単に見せた。
「こういう感じで行いますが、撮影のイメージはいいですね」
「はい。大丈夫です。今日まで、今までの自分をイメージし続けてきました」
ヴァージンは大きくうなずき、CMの撮影に臨んだ。