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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
エクスパフォーマの走る広告塔
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第32話 アメイジング・スター(2)

 ヴァージンが、最後は全速力で実家に戻ってくると、フローラは慌てて手に持っていたストップウォッチを止めた。普段のトレイルランニングより少し早いタイムだとフローラが想定していたようで、これほどまでに早く戻ってきたヴァージンを、半ば震えるような目で見つめた。

「ヴァージン、すごすぎます……。まさかこんなタイムで帰ってくるなんて思わなかったです……」

 ヴァージンは、ストップウォッチを見た。そして、表示されていたタイムに自ら息を飲み込んだ。

「31分19秒89……」

 この新しいシューズで2分縮める、と言ったにもかかわらず。実際にはそれをも大きく上回る2分半以上の短縮だった。体感的にもそれは感じていたが、実際にそのタイムを目にして、改めてシューズの力を思い知った。

(なんだろう……。トラックで練習していたとき以上に、軽く走れるような気がする……)

 エアーで足にかかる力をやわらげ、そして次へのステップへのパワーを生み出す。「マックスチャレンジャー」の中でも、長距離走向けに開発されたものは、特に上り坂でその力を存分に発揮するのだった。人間は、たとえ歩いていても上り坂では苦しくなるが、このシューズは上り坂を上りたくなるような感覚にとらわれる。

(これは……、本当に疲れないシューズなのかも……!)


 これから祖国の素材をもとに作られるだろう、新しいウェアとともに、ヴァージンはより強くなるための手ごたえをアメジスタで感じた。そして、家族にしばし別れを告げ、アメジスタからオメガ国に戻った。

 だが、イーストブリッジ大学の3年生として、オメガについたその日には必修の授業を受けに大学に行かなければならなかった。それでも、この日は長旅の疲れなど感じないほど、好奇心に満ちていた。

(この必修の授業が終わったら、あの坂を本気で駆け上がってみよう……)

 アメジスタでのトレイルランニングよりも、はるかに急な坂道が、大学の裏門へと続いている。部員の不祥事により陸上部が解散することになってから、ほとんどその坂で走りこむことがなかったが、その間に伸ばした記録と、新しいシューズを武器に、ヴァージンはこの急坂に挑もうとした。

(坂の下から裏門まで1000m……。ラップ70秒とは言わず、もっと速く走っていいのかも)

 1000mインターバルのトレーニングでは、ラップ70秒、1000mで2分55秒は絶対に守らなければならないタイムであり、トラックの上ではそれマイナス10秒のタイムが求められる。これまでマゼラウスが何度もヴァージンに言ってきた目標だった。勿論、ここはトラックではなく坂道も付いてくるので一概には言えないが、それでもラップ70秒を切ることだけはいつも意識していた。

(少なくとも、この坂で自己最高のスピードを出してみる……)

 スピードを上げられる限り上げる。ヴァージンはそう誓い、坂の下からコースを軽く眺めた。


(よし……)

 ストップウォッチのスイッチを入れた瞬間、ヴァージンは急坂を駆け上がった。陸上部で何度も駆け上がったときと同じストライドで、最初のカーブまで駆け上る。以前であれば、そこで多少は足に負担を感じ、二つ目のカーブでスピードも落ち始めていた。だが、この日はシューズから力が湧いてくるような感触を受けた。

(この坂に挑もうと、足がそう言っている。まだ、この距離に、このスピードは物足りないのかもしれない……)

 二つ目のカーブをクリアした瞬間、ヴァージンはこれまでよりもより速いテンポで足を地面に着地させた。足の裏にエアーを感じる時間は多少短くなったものの、相変わらずヴァージンの足は疲れを感じない。これでラップ68秒ペース。それでも、残り600mであることを意識すれば、その足はまだまだ上を目指せた。

(もう少し上げたら……、どうなるのだろう……)

 ここは、決して本番ではない。横にぴったり付いて走るライバルもいない。無理はしないほうがいいと何度も言われてきている。だが、軽くなった足は、いい意味で言うことを聞かなかった。

 第5カーブをクリアし、ヴァージンはさらにスピードを上げた。感覚として、ラップ64秒ほどだ。そのスピードまで達したとき、ヴァージンはようやく足に軽い負担を感じるようになった。

(ここにきてやっと、足を戦わせているような気がする……。限界に向かってひた走る、いつもの私が……出てきているのかもしれない!)

 足の負担を感じたものの、それをはねのけるパワーは、ヴァージンの足に十二分に残されていた。シューズの持つ反発力を駆使し、ヴァージンはスピードを緩めることなく残り三つのカーブに挑んでいった。

 そして、そのままのスピードで、ヴァージンはゴールの裏門を駆け抜けた。

(2分44秒……!)

 ヴァージンは、ストップウォッチを止めた瞬間、その目を疑った。ラップ70秒マイナス10秒という、トラックの上で行う1000mのトレーニングで当たり前に出してきたタイムを、この過酷な坂で叩き出した。駆け終えたヴァージンの両足は、多少膝が重く感じるだけで、すぐにでも次の1000mを走ることができた。

(エクスパフォーマのシューズ……、坂道には強い……。もしかしたら、ハイペースのレースでも、十分食らいついて行けるような気がする……)

 今や、ヴァージンにとってのライバルと言える選手は、多くが先行逃げ切り型のレースを意識し、最初からラップ70秒よりも速いペースでレースを進めていく。普段のヴァージンは、つけられた差を後半にかけてじわじわと縮めていく展開を何度も作り上げたが、このシューズは全体的な底上げをすることや、最初から先頭集団についていくことに対し、ある程度の余裕があった。


 その後も、ヴァージンは「マックスチャレンジャー」を履いてトレーニングに臨んだ。インドア施設でのトレーニングが続いているものの、そのシューズがヴァージンのもとに届いてからは、5000mで14分30秒を下回ることはほとんどなく、マゼラウスからは絶えずこう言われた。

「次の世界記録は、もう間違いないな。インドアも、アウトドアも、そして10000mでさえも……」


 そして、ヴァージンにとって23歳最初のレースが訪れた。専属契約を結ぶ選手のスケジュールを確認したところ、それは同時に「エクスパフォーマ・トラック&フィールド」のデビュー戦でもあった。

「外は寒いけど……、今の私はどんなタイムでも出せそうな気がする!」

 外は冷たい風の吹き荒れる、イルタゴ共和国・フランデーベフの1月の空。だが、そこへと向かうヴァージンは、その風に臆することなく、エクスパフォーマのウェアとシューズに身を包み、軽々しく会場へと向かう。勿論、今回はブランドにとっても初めてのレースのため、会場入りするときも他のブランドではなく、特徴的な「X」の文字をはっきりと見せながらの参戦となった。

(あれ……、これ……、見覚えのある私がいる……)

 室内競技場の入り口に、エクスパフォーマの広告が目立つような大きさで掲げられていた。つい先日、販売の予約を開始した「マックスチャレンジャー」の広告だ。黄緑色の軽そうな色のシューズの背後に、4人のアスリートの姿がモノクロで描かれている。その4人とも、まさにエクスパフォーマ本社でのフィッティングの時に、ガラス張りの部屋の中で見せた動きだった。ヴァージンは、最後の「直線」を全力疾走する姿が足から写っていた。

(そう言えば……、ガラスの部屋に入る前に、カメラが入るということを言われたような気がする……。でも、もしかしたら私が聞いていなかっただけなのかもしれない……)

 とは言え、ヴァージンにとって自分の姿がレース会場ではっきりと映し出されているのを見るのは、新鮮だった。しかも、未だに世界で4人のアスリートしか試したことのないシューズを履いて。

(私は……、今日、広告塔になる……)

 ヴァージンは、右腕をギュッと握りしめた。


「やっぱり、いざエクスパフォーマを身に纏ったヴァージンを見ると、羨ましく感じる」

 女子5000mのスタート時刻が迫る中、集合場所へと向かうヴァージンはヒーストンから声を掛けられた。本来なら、女子長距離のモデルとなるはずだった赤い髪の選手は、最終的にそのブランドの顔となったヴァージンを上から下まで見た。

「ヒーストンさん、やっぱり羨ましいですよね。いろいろ言いたいですけど、一つ言えることは……、エクスパフォーマを着るようになってから……、体が走りたいって叫ぶようになったということです」

「やっぱり、一流スポーツブランド。製品に備わっているパワーは、あるのかもしれない」

「そうですね……。だから、今日は間違いなく、今までの自分を超えてみせます」

「グランフィールド、インドアでも世界記録を持っているのに……、それをも更新しようとしているのね」

 ヴァージンは、ヒーストンの言葉にはっきりとうなずきながら、集合場所に急いだ。ヴァージンが歩くと同時に、そのすぐ横で「To the World Record」の大きな横断幕が姿を現した。

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