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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
エクスパフォーマの走る広告塔
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第31話 私はアメジスタの恥なんですか(7)

 ヴァージンは、聖堂の前の広場に投げ出されたまま、しばらく呆然としていた。エクスパフォーマのトレーニングウェアは青年の足で踏みつけられ、白いウェアにその靴跡がはっきりと残っていた。そして、時間を追うごとに左足からあふれ出す血が、その足で戦い続けるヴァージンに痛みすら与えていた。

(そんなはずじゃないのに……)

 これまでヴァージンは、どのレースでもアメジスタの選手として走り続けてきた。アメジスタの国旗と同じ色のレーシングウェアを着て走り続けてきた。だが、その走る姿は未だにアメジスタで流れることはなく、また後で画像をつけて紹介されることもない。そのことは、ヴァージンが世界に旅立って6年間、変わらなかった。

(私は……、どのスタジアムに言っても声を掛けられるのに……、応援されるのに……、一番大事にしてきたアメジスタから……、誰も私の走りを……評価してくれない……)

 ヴァージンは、青年の足がヴァージンから離れると、何も言葉を発することなく、すすり泣く声を上げた。アメジスタの希望だと、自らをそう言っていたヴァージンは、それでも泣くしかなかった。

(結局、アメジスタの国外で頑張ってる……アルデモードさんと、何も変わらない……。世界で頑張っても……、アメジスタを捨て……、アメジスタに何も与えていないって思われてる……)

 アルデモードは、夢を叶えるために、やむなく亡命した。だがヴァージンは、今の今まで故郷アメジスタを捨てることなく走り続けてきた。アメジスタにとって、二つの魂の全てが同じだとは思いたくなかった。

(私が、アメジスタのために走ること自体、無意味なのかもしれない……。私がいることで……、アメジスタは一つになれないのかもしれない……)

 アメジスタにとって、ヴァージンの抱いてきたはずの希望はなかった。ヴァージンの残してきた輝かしい結果もなかった。あるのはただ、何もかもが疲弊した先に訪れた、動くことのない絶望だった。

 そして、それはアスリートの敗北だった。



「アメジスタの輝く星に、何てことしてするんだ!」

 まだ全身に痛みが残るヴァージンの耳を貫く、鋭い声が響き渡った。ヴァージンは、かすかに目を開けた。

(もしかして、私の危険を察して……マゼラウスさんが、ここまで追いかけてきてくれた……)

 だが、ヴァージンが少し考えるだけで、その可能性はまずないことが分かった。アメジスタ行きの飛行機が昨日今日で飛んでいるわけがなく、エクスパフォーマの本社から飛び立ったセスナにマゼラウスが乗っているわけがなかったからだ。そうなると、誰かがあの青年を止めているという選択肢しかなかった。

「アメジスタは、いつからそこまでバラバラな……、希望を持てない国になったんだ!」

「なっ……、何をする……。この嬢ちゃんは金持ちのくせに、勝手に世界でアスリートとして戦って……、俺たちに何も見返りをよこさない、最低のアメジスタ人だ!いらねぇんだ、こんな奴!」

「世界じゅうの人々に、そしてアメジスタの全ての人々に、彼女は夢や希望を与えている!違うのか!」

(えっ……?)

 ヴァージンは、青年の腕を押さえて怒鳴りつけている、一人の紳士の姿に見覚えがあった。白と黄色のストライプが入ったYシャツを照らす光に輝かせ、まるで学校の先生のように硬そうな表情をその場で見せている。一度は見たことがあるが、それが誰であるか、ヴァージンがその場で思い出すことはできなかった。

「というか……、そっちこそ誰だ!アメジスタ人の面だけして、こんな奴を擁護するのか!」

「私は、ジェームス・ブライトン。この街で建築設計をやっている!」

(ジェームス・ブライトン……。なんか……、なんか思い出してきたような気がする……)

 ヴァージンの記憶の中で、うっすらと糸が繋がりかけた。まだ、アメジスタから外に出ることができなかったあの時――無理やり就職活動をさせられたとき――、飛び込んだ会社がブライトンの会社だった。そこで出会ったのは、目の前で青年を叱りつけている紳士と全く同じ服装で、同じ顔つきをしていた。

(たしか……、あの時私は、アスリートになりたい……って言って……、それを少しだけ後押ししてくれた)


――今日は、君を不採用にするよ。君が本物のアスリートになってほしいから。


 あの時夢を語っていたヴァージンに、ブライトンは「優しく」そう答えた。あそこで採用されていたら、ヴァージンという一人のアスリートは、その場から姿を消していたのだった。

 そして、今もなお、ヴァージンの持っている力を信じて疑わない、そんな存在だった。


 ヴァージンがそこまで過去を思い返していたとき、青年の腕をようやく離したブライトンは、肩にかけていたカバンから一枚の紙を取り出した。ヴァージンは、ブライトンの持っていた写真に、思わず息を飲み込んだ。

「これは、そこにいるヴァージン・グランフィールドが……、陸上の女子10000mで金メダルを取った瞬間だ。この写真が、何を意味するか分かるか!」

「どういうことだよ……。俺たちの知らない世界のことを……、グダグダ並べられても分かんねぇよ!」

「やっぱり分かってない。こっちの写真をよく見ろ!彼女が掲げている国旗は、どこの国のものだよ!」

 ブライトンの手に持っていた写真は、アメジスタの国旗を高く掲げるヴァージンの姿だった。「ワールド・ウィメンズ・アスリート」で何度も見ているはずなのに、この時のヴァージンは涙を流さずにはいられなかった。


(アメジスタで……、私の写った写真を見るなんて……!)

 おそらくこの画像は、国内にほとんど出回ることのない雑誌を除けば、アメジスタ人が全く目にすることのないものだった。新聞記事でもヴァージンの輝かしい成績が扱われない今となっては、より貴重な写真だった。

 その写真を手にしたまま、ブライトンは青年に、優しくこう言った。

「彼女も……、ヴァージン・グランフィールドも……、君と同じアメジスタ人だ。アメジスタを背負って戦って……、世界でこんなに素晴らしい成果を残している……」

 ブライトンの目は、それでも真剣だった。何度かヴァージンを見つめつつ、青年に諭していた。

「でも、その姿を見たことないからって、アメジスタ人は彼女を評価しない……。声ひとつ掛けない……。それでも……、それでも愛する故郷のために戦う彼女のほうが、私は強いと思う」

(ブライトンさん……)

 ヴァージンは、思わずブライトンの胸に飛び込みたかった。それができない代わりに、ブライトンの目をじっと見つめた。すると、ブライトンの奥にいた青年が、ヴァージンの前にまでやって来て、頭を下げた。

「ごめん……。同じアメジスタ人として……、嬢ちゃんは頑張ってる……。それだけは、評価するよ」

 これまでと全く違う口調で青年がそう言うと、ヴァージンは地面に落ちていた自身のバッグから、そっと金メダルの箱を取り出し、その青年に見せた。

「これが、アメジスタの全てを出し切った結果です。それだけは忘れないでください」


「ブライトンさん……。本当にありがとうございます……。救われ……、ました……」

 青年がその場を立ち去ると、ヴァージンはいよいよブライトンの胸に飛び込んだ。相手は、ヴァージンと一回りどころではない年齢差があった。

 すると、ブライトンはヴァージンの肩を持って、その顔に笑みを浮かべた。

「ずっと応援していたんだよ。世界で頑張るアメジスタのアスリート、ヴァージン・グランフィールドを」

「ずっと、応援してくださっていたんですね……」

「6年前に君と会って、その時から君をこっそり気にしていた。そんな君が、心ない青年に全てを否定されているのだけは、見たくなかった……」

 ブライトンの目は、ヴァージンを尊敬しているようだった。その輝くような瞳を、ヴァージンは直視しようとして、その目に涙を浮かべた。

「ただでさえ、私の会社、ブライトンハウスも街の分断で移転を余儀なくされた。デフォルトでこの国は変わってしまい、絶望しか残らなくなった」

 増税を受け入れるしかなくなったアメジスタの人々は、働かずして増税に反対した人々の命を容赦なく奪ったり、貧民街に閉じ込めたりした。そして、全ての「違うもの」を排除した、見せかけの平等を目指していった。ブライトンは、ヴァージンにアメジスタの本当の姿を説明した。

「あんまりすぎます……。でも、ここまで絶望に満ちたアメジスタだって……、私が走れば、少しずつ希望に溢れてくるような気がするんです……。ブライトンさんが、私を応援してくれるように……」

「それは、間違いない。だから、今日のことは気にするな。君は、アメジスタの希望なんだから」

「はい!」

「それと……、困っていることがあったら、私は何でも助けてやる。アメジスタにいながらでも……」

 すると、ヴァージンの目の前でずっと話を聞いていたドクタール博士が、手を挙げた。

「なら……、アメジスタ南部の……、わしの研究施設を……、手助けして欲しい……。彼女の着ている……、エクスパフォーマのウェアを製造するところじゃ……。わしは……、ウェアで応援したいんじゃ……」

「なら、私もそれに資金と……必要ならば人員を出そう。私の力で、彼女を応援する」

 ドクタール博士とブライトンが、次々と手を差し伸べる。ヴァージンは、二人に頭を下げた。

「ありがとうございます……。本当に……」

「いやいや……、言われるほどじゃない。君がアメジスタを背負って懸命に走る姿を、少しでも支えてあげたいからな」

 ブライトンは大きくうなずいた。ヴァージンに、再び力が蘇ったようだった。

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