第31話 私はアメジスタの恥なんですか(6)
(どうして……)
ヴァージンは、首都グリンシュタインの変わり果てた姿に、立ち尽くすしかなかった。ゴミの山の向こう――ヴァージンの実家に帰る方向であり、かつてヴァージンがアメジスタの貧しい人々の暮らしを見て、声をも掛けたエリア――は、ほとんど歩いている人がいない。もう動くこともできない体も、ヴァージンの目には見えた。
かたや、政府省庁に近いエリアでは、未だに張り詰めた空気が流れ、ヴァージンが一度左右を見ただけで、何人か銃を構えた人が立っているのが分かった。
(血生臭い……。立っていても……、何がここで起きたのか分かってしまう……)
すると、立ち尽くすヴァージンの背後から、ボロボロのジャケットに穴の開いたズボンを着た、ヴァージンとそれほど年の離れていない青年がヴァージンの肩をポンと叩いた。
「嬢ちゃん。よそ者は、グリンシュタインから立ち去ったほうがいい。この街は、アメジスタ崩壊の象徴だ」
「よそ者じゃありません。私は、アメジスタで生まれ、何度かこの街も訪れています」
「本当か?増税に反対するような貧民層は……、この街の中で一掃したことぐらい知ってるよな?」
「何となくは分かります……。見ても分かりますし、あの問題で、そういうことになっていると思いました」
ヴァージンは、はっきりと言った。ここまでの惨状になっていることは、オメガ国のニュースでは実際報じられておらず、あくまでヴァージンの推測に過ぎなかった。だがその青年は、その言葉にうなずくどころか、ヴァージンを上から下まで見て、信じられなさそうな表情をヴァージンに露骨に見せた。
「アメジスタじゃ見ないような服だな。こんな立派な服があるなんて、信じられないよ」
「これは……、国外のスポーツメーカーの……、ウェアです」
ヴァージンは、心の中で深いため息をついた。レース前の陸上競技場であれば、もはやヴァージンは姿を見せるだけで声を掛けられる。だが、故郷ではアスリートとして声を掛けられることは、今回もなさそうな気がした。
それどころか、ヴァージンはこれから青年が何をするかすら、全く読めなかった。だが、青年はいったんヴァージンから目を背け、やや遅れて車から降りてきたドクタール博士の前に立った。
「こいつもまた、変な爺さんなこと。車を運転するなんて、どこの富裕層だ」
「わしは……、アメジスタの片田舎から……、用事があってここまで出てきたんじゃ……。車は必要じゃ」
そう言いながら、ドクタール博士は両腕を大きく広げて、青年に車に近づかないようジェスチャーする。それでも、青年はさらに一歩ずつドクタール博士に近づく。目は殺気立っていた。
「アメジスタに富裕層なんかもってのほかだ!車でも売り飛ばし、俺たちに必要な物を買え!」
「それはできん。車を失ったら、わしは……、超軽量ポリエステルの……工場に戻ることが……できなくなる」
「超軽量ポリエステル?なんだそれ、アメジスタにそんなの必要だと思ってるのか?あるいは……、密輸か?」
(密輸……?そんな……)
超軽量ポリエステルが何に使われるか、はっきりと分かっているヴァージンは、思わず体が震え上がった。エクスパフォーマは、決してドクタール博士と密輸取引をしに来たわけではないはずだ。だが、素材が素材だけに、一般のアメジスタ人には受け入れられない様子に見えた。
(私の活躍が報じられないのと同じように……、ドクタール博士が特許を取った話も、報じられてない……)
科学の分野で特許を取れば、ニュースとしてはトップではないことが多いが、それでも業界紙などを中心に何かしらの形で報じられるはずだ。だが、ここアメジスタでは、そういったニュースもほとんど流れない。
そう思った瞬間、ヴァージンの目の前で、その若い青年の手がドクタール博士に鋭く伸びていった。
「そんな答えられないような仕事をやって、こんな危ない街にのこのこ、何しに来た?」
「人材を探すためじゃ……。一緒に、超軽量ポリエステルを作ってくださる……、仲間をな……」
「それは、俺たちのためになるのか?アメジスタ人が、そんなもの使うと思うか?」
(そんなもの……)
ヴァージンは、そのように言いのけた青年をじっと見た。アスリートに希望を持てないと言われ続けたこの国で、それが何に必要なのか言ったところで相手にされないかもしれない。だが、ある程度のところで止めなければ、より速く、そしてより力強く走りためのウェアは失われてしまう。
ついにヴァージンは動き出した。ドクタール博士の真横に立ち、その腕でドクタール博士の肩を抱いた。
「必要です。ドクタール博士の……、超軽量ポリエステルを作る素晴らしい技術が……、世界中のために必要なんです。世界から求められてるんです!」
「世界から……?必要とされてる……?なんだよ、やっぱり俺たちをのけ者にする、密取引じゃん」
「密取引じゃありません。ドクタール博士は、アメジスタ南部の砂を、ものすごく機能的で……、軽い……ウェアに変える力があるんです……。その砂は、アメジスタでしか採れないし……、世界でその技術を使えるのは……、このドクタール博士だけなんです!」
ヴァージンが力強くそう言うと、その横でドクタール博士がうっすら涙を浮かべて、青年に言葉を返す。
「わしは……、アメジスタ人じゃ……。アメジスタ人が……、そこにあるものを使わんでどうするんじゃ……」
だが、ドクタール博士がそう言ったところで、青年の表情は決して緩まなかった。
「俺たちは、アメジスタに金と物が必要だと思っている。生きるためにだ。この爺さん、世界のためにと言って、アメジスタ人には何も残さないつもりだろ。爺さん一人、金もうけしようとしてるんだろ……!」
ついに、青年の左手がドクタール博士に伸びた。青年の手が、博士の襟首を強く掴み、手前に手繰り寄せる。
「ざけんな、ジジイ!」
青年は、右手で拳を作り、それを高く上げた。殴るつもりだ。咄嗟にヴァージンが止めに入った。
「やめてください!ドクタール博士は何も悪くないです!」
すんでのところで、ヴァージンの右手が青年の右手を抑えつけた。だが、その瞬間に青年の鋭い目は、ヴァージンへと向けられた。
「は?なんだ嬢ちゃん?勝手に入ってきて……。俺たちが、正しいこと言ってないと言うのかよ」
「アメジスタが輝くためには……、博士の技術が必要なんです!」
「アメジスタのためにならないことをいくらやったところで、俺たちアメジスタ人は生活できないんだ!働きもしないで、ただ寄付だけで暮らしているようなバカとかのせいで、一度この国はデフォルトになったんだぞ!」
(そんなのバカじゃない……。たとえ建物の間でも、その人なりに一生懸命暮らしてるじゃない……)
アメジスタ人が同じアメジスタ人を非難している現実。ヴァージンは、あまりの悲しさに、声に出してそれを言いたかった。だが、青年に対してそれに真っ向から反発することはできなかった。
その代わり、ヴァージンはやや声のトーンを下げて、青年にこう返した。
「アメジスタは……、希望の一つも持てなくなったんですか?」
「希望?ないに決まってるじゃん。みんな、その日を暮らしていくのがやっとだ。俺たちは、新しい政府の増税方針に従い、一致団結して生きている。その生活に背を向けるような奴は、アメジスタにいらない」
そこまで一気に言い切った青年に、ヴァージンも拳を握りかけた。だが、トラックの外で戦えるわけがなく、悔しがるように青年を見続けるしかなかった。
「嬢ちゃんよ、希望なんて持たないほうがいい。希望なんて捨てろ。それが、アメジスタ人の運命だ」
「そんなの受け入れられません。アメジスタのために、トラックを走る私にとって……、受け入れられません」
ヴァージンは。首を左右に振って青年にアピールした。だが、その言葉がさらに青年を刺激する。
「は?嬢ちゃん、もしかしてアスリートとかという、バカな展開はないよな?世界で戦って、何一つ勝つことのできないのがアメジスタ人だろ」
「私は、それでも世界で戦っています。そして、相手に打ち勝ち、世界記録だって手にしてます」
「それが何になる。俺たちアメジスタ人の、何になるんだよ!」
「それこそ、勇気であって、希望じゃないですか!それに賞金だって入ります。……私の走りを見てください。私がどういう想いで、アメジスタの国旗を背負って戦っているかを」
「そんなの、俺たちにとってのアメジスタじゃない!」
(……っ!)
耳鳴りのするような音を立てて、青年は拳でヴァージンの頬を激しく殴りつけ、ヴァージンは広場の冷たいタイルの上に投げ出された。左腕と、そして左足から、ヴァージンは血の臭いを感じた。
「嬢ちゃんが、一番アメジスタにいらなかったようだな。俺たちに何もしてねぇだろ!形になる物出せよ!じゃなかったら、こんなウェアを、雑巾にしてやる!」
「私は……っ!」
ヴァージンの動きかけた口は、もはや言葉にならなかった。何もできないヴァージンに、青年は上からにらみつけるようにヴァージンを見つめ、足の裏でその体を力いっぱい踏みつけた。
(どうすればいいの……)
それが、アメジスタの現実だった。