第31話 私はアメジスタの恥なんですか(3)
「だ……、だ……、誰じゃ……。こんな……片田舎まで……、やってきたなんて……」
ヴァージンの目の前にいた男性は、何度も目を開けたり閉じたりして、状況を飲み込んでいる。顔にはしわが生えていて、髪も白髪になっている。男性というより、むしろ老人と言ったほうが適切かもしれない。
「突然訪ねてすいません。以前から……、お話ししておりました……、エクスパフォーマの件で……」
ヴァージンにとっては、このような場所に人が生息していることは当たり前のことだった。だが、その場所に何をしに来たのかを伝えるのは、とても難しかった。
だが、慣れたアメジスタ語だけは、その男性の耳にはっきり聞き取れたようだ。
「なるほど……、な……。まさか……、お前と……、手紙を……、交わしていたとは……」
「いえ、私ではありません。あちらにいる担当のヒルトップさんが、手紙を交わしたと思います。私は、アメジスタ人として、通訳でここまでやってきたのです」
ヴァージンがそこまで言ったとき、ようやくヴァージンの横にヒルトップが立った。ヒルトップは、その男性の暮らしぶりや、オメガ国で決して見るような顔ではないその姿に、思わず肩を震わせ、そして一呼吸おいて名刺を差し出した。
「スポーツブランド、エクスパフォーマの開発本部長をしております、ジェームス・ヒルトップと申します」
「こちらこそじゃ……。私は……、元科学者……、ハノス・ドクタール……。見苦しいところ、見せてしまったようじゃが……、今じゃ田舎の塵みたいな存在だ……」
「そんなことないですよ……。アメジスタで、そこまで偉大な人なんて数えるくらいしかいません」
ヴァージンは、ドクタール博士に向かってほほ笑んだ。ヒルトップとドクタール博士が話した言葉を別の言語に訳さないといけないが、そのことを忘れかけそうだった。
「で……、さっそく以前お手紙でお話したことを……、今日は相談しに来たのです……」
ヴァージンが、ヒルトップの言った言葉をアメジスタ語に訳すと、ドクタール博士はエクスパフォーマから手紙で送られた資料を引っ張り出してきた。そして、やや下を向いて言った。
「とても……、うちの設備でできるような……、内容では……、なさそうに見えるんじゃ……」
「そうですか……。ですが……、どうやって作るかを教えていただければ……、後はこちらで作れます」
「たしかに……、この素材、超軽量ポリエステルは……作れなくなったわけでは……、ないんじゃ……」
「と申しますと……、設備のキャパが問題ということなのでしょうか……」
(やっぱり……、そんな簡単に話がまとまるようじゃない……)
ヴァージンは、二人の言葉を次々と翻訳していくものの、序盤から一気に雲行きが怪しくなっているように思えた。アメジスタの産業に期待することの難しさを、ヴァージンが誰よりも分かっていた。
だが、それと同時にヴァージンは、自身が世界に羽ばたいた奇跡を思い浮かべた。
(アメジスタがもっと大きくなるために……、このチャンスを逃しちゃいいけない……)
ヴァージンはヒルトップにオメガ語で告げた後、すぐにドクタール博士に告げた。
「一度でいいから、見せてください。素材と施設を見れば、もしかしたらヒルトップさんも動くかもしれません」
ヴァージンの言葉に刺激されたように、ドクタール博士が何度かうなずきながら立ち上がった。
「そうじゃな……。ここから歩いて10分ぐらいのところに……小屋があっての……。機械はそこに……ある」
「そうですか。ぜひその施設を見せていただけませんか」
ドクタール博士は、草を分けながら、大きな山の見える方向に進んでいった。ドクタール博士の生活している場所は完全に草を刈っているが、そこから小屋に向かうまでの道もまた、周りに比べると草の背丈が低くなっていた。
「もう少しで……、着くんじゃがな……」
車が全く通らない道路を横切り、再び草原地帯に入ったとき、ドクタール博士が静かにそう言った。その言葉を聞くと同時に、ヴァージンとヒルトップの視界に、草と同化したような色の小屋がはっきりと見えた。
(これじゃ気付かない……。もしかしたら、気付かれちゃいけない理由でもあるのかもしれない……)
ヴァージンは、そう思いながらドクタール博士に付いて行く。そして、小屋の入り口にたどり着いた。
「こちらじゃ」
ドクタール博士が、そっとドアを開けた。埃臭さの残る小屋から、大きな鉄の塊にいくつもの管がついている装置が現れた。さらにその奥には、多くのドラム缶が眠っていた。
ポリエステルは、そもそも石油とエチレンから取り出した化学物質を化合させて作る物質なので、装置以前に石油とエチレンのストックがなければならない。そこにあるドラム缶は、おそらく石油やエチレンのストックであるように、ヴァージンには見えた。それと同時に、これらの物質は世界中で需要が高いため、このストックを外国から守るためにあえて小屋を分かりづらくしていたのだと確信した。
「こちらが、石油とエチレンのストックということになるんですね」
ヒルトップは、小屋の中を一周すると、すぐにドクタール博士に尋ねた。翻訳するヴァージンも、何の躊躇をすることなく、アメジスタ語でそう伝えた。だが、ドクタール博士は、ヴァージンの言葉が終わらないうちに、首を横に振った。
「よく……勘違いをされるんじゃが……、これは……、石油でも……エチレンでもない……」
(えっ……)
科学的な知識に乏しいヴァージンでも、ドクタール博士の言葉に思わず息を飲み込んだ。この日のために、ポリエステルの素材を多少は調べてきたものの、それを根底から覆すような返答だったからだ。
その返答に、ヒルトップが思わず身を震わせながら、ドクタール博士に尋ねる。表情は唖然としていた。
「石油でも……、エチレンでもないということは……、どうやってポリエステルを作るのでしょう……」
「合成じゃよ……。もう、このドラム缶の中には……、超軽量ポリエステルの素材が……、入っておる……」
「もしかして、ドクタール博士の特許は、その合成ということでしょうか」
「そうじゃ。その生成方法が……、独特なんじゃ……」
ドクタール博士は、そこまで言うと機械に手を触れた。ヴァージンが見た感じ、もう何年も使っていないような機械だったが、ドクタール博士が何の躊躇もすることなしにスイッチを押すと、機械が地響きのするような大きな音を立てて動き出した。
「まだ、この機械の中には……、かなりの量の原料が残っとる……。その原料というのがな……、石油とは違い……、誰にでも持ち運べるものなんじゃ……」
「誰にでも持ち運べるもの……、ですか……」
ここで、ヴァージンが思わずドクタール博士に尋ねた。すると、ドクタール博士は機械のすぐそばでしゃがみ、地面の土を手ですくった。あまりにも細かい粒が、ヴァージンの目に見えた。
「砂じゃ……。ただ、よく見るような……砂じゃない。海底火山の噴火で……細かい石が熱せられて……、こういう奇跡の砂になったんじゃ……」
「そうなると、ドクタール博士。ここでしか原料が採れないということなのでしょうか」
「そうかもしれんな……。わしには分からんが……、少なくとも……、グリンシュタインには……見ない」
「そうでしたか……そして、その奇跡の砂からポリエステルを取ることも、この機械でできるんですね」
「もちろんじゃ。ただ、液体の状態までしか……ここでは作れん……」
今度はドクタール博士が一度機械を止めて、その一番下のポケットを開けた。先程ドクタール博士が見せた砂とは全く違い、中からは黒ずんだ細かい石だけが取り出された。どうやら、機械の中でポリエステルに使うものとそうでないものに振り分けたようだ。そして、ドクタール博士は一つだけ色の違うドラム缶を取り出し、その中に入っていた液体をビーカーに200mlほど取り、すぐにビーカーの中に原料を入れた。
(なにこの……、はじけ飛ぶような泡……)
シュワーッと広がっていく音が、ヴァージンの耳にはっきりと聞こえ、次の瞬間にはその原料の石は見えなくなっていた。どうやら溶けたようだ。
「これはすごい……」
ヴァージンとヒルトップは、ここでようやく特許の意味を知った。石油とエチレンではない物質から、独特の機械や製法を使って液体のポリエステルを作ったのだ。もちろん、これを固めればお目当ての超軽量ポリエステルになるわけだが、ドクタール博士はそれ以上先を見せようとしなかった。
その代わり、ドクタール博士は液体の入っていたドラム缶をもとの位置に戻すと、ため息をついた。
「一応、この製法は……、世界で特許を取った……。だが、これを使う……ところが……、これまで現れなかったんじゃよ……」