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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
エクスパフォーマの走る広告塔
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第31話 私はアメジスタの恥なんですか(1)

「私の思った以上に、素晴らしいシューズだ。適度な強さと適度な軽快さを、ここまで兼ね備えているのは、長いこと陸上に携わってきて、おそらく見たことはないだろう」

「ありがとうございます。これがエクスパフォーマのシューズだって……、最初履いたとき驚きました」

 「エクスパフォーマ・トラック&フィールド」の立ち上げイベントから1週間後、ヴァージンのもとに新しいシューズ「マックスチャレンジャー」が届いた。トレーニング用4足とレース用2足の2種類が届き、トレーニング用は先日エクスパフォーマの本社で試着したレース用よりもややエアーを抑えたものになっているほか、色もイエローと、レース用の輝くような赤とは完全に別れていた。だがマゼラウスは、ヴァージンの持っていたトレーニング用のシューズに触れただけで、この上ないほどの表情を浮かべて賞賛したのだった。

「お前には、エクスパフォーマの協力でもっと頑張って欲しい。お前の契約金は破格だが、セントリックから離れた私も、そのお前から報酬をもらわなきゃいけないからな。今まで以上に……、気を抜くなよ」

 ヴァージンは、マゼラウスの言葉に大きくうなずいた。これに関しては、先日ガルディエールとマゼラウスとの三者で話し合ったとき、マゼラウスにレースでの賞金の3割を報酬として支払うと決まったが、エクスパフォーマとの契約金が想像以上の高さだったことからあまり気にはしていなかった。この取り決めでは、ヴァージンが賞金を取れないとマゼラウスに1銭も入ってこないことになるが、そもそもそのように決まったのも、ヴァージンの実力を信じてのことだった。


(やっぱり、トレーニング用でも、すごい気持ちよく走れる……。足が軽いような気がする……!)

 この日も、オメガセントラル総合室内競技場に入り、200mトラックの中で1000mずつのタイムトライアルを行った。距離が短いぶん、400mを65秒と普段よりも速いペースで走ってみたものの、5回走って最後まで足が重く感じることはなかった。やはり、それが新しいシューズの「実力」だった。

(もしかしたら、速く走ればもっと楽になるって、あの時言ってたことは本当なのかも知れない……)

 実際のレースでエクスパフォーマのシューズを履いていないのに、コーチの前でそれを言い出すのはさすがのヴァージンも思いとどまった。だが、口から出てしまいそうな表情を浮かべるのはどうすることもできなかった。

(もう少し速く走ってみて……辛くなかったらスピードレベルをラップ1秒くらい上げようかな……)


 マゼラウスに初めてシューズを見せたその日、夜10時頃に電話がかかってきた。ガルディエールからだった。

(この前、コーチの報酬を決めるときに会ったような気がするけど、今度は何だろう……)

 電話を取った。すると、この日のガルディエールの声は最初から軽々しい口調だった。いい知らせでも持ってきているとしか、ヴァージンは思えなかった。

「この前会ったのに、また電話して悪いね。君にどうしても伝えないといけないことがあってね」

「もしかして、またどこかの有名ブランドと契約する話ですか?」

「それは違うな。さすがにエクスパフォーマと専属契約を結んだ以上、これ以上スポーツブランドと契約は結びづらい。イクリプスも、私のところに契約継続をと泣きついてきたんだけど、首を縦には振れなかった」

「ガルディエールさん……。あそこまで素晴らしいシューズが届いたら、もうイクリプスさんとは……、考えた方がいいのかも知れません。切るのは辛いですが、エクスパフォーマも黙っていないと思いますし」

 ヴァージンは、ガルディエールの言葉に、淡々とそう返すだけだった。たしかに、今まで世界記録を出し続ける原動力になってきたイクリプスのシューズは、それで悪くはなかった。だが、全く次元の違うレベルでヴァージンの足に合っており、しかも扱われ方を考えたとき、ヴァージンにはもうイクリプスへの未練はなかった。

「分かった、イクリプスには、そう伝えておくよ。でも、今日は君にそんな話をしようとしたわけじゃない」

「はい」

「実は、エクスパフォーマの開発本部長、ヒルトップからウェアのことで話がしたくて、私に相談があった」

「ヒルトップさんが……、ですか。どういった相談があったんですか?」

 シューズだけではなく、ウェアもフィッティングをしてもらって、ヴァージンのもとには数日後に届くことになっている。だが、ウェアはイベントなどでも特に商品名が発表されているわけではなく、雰囲気から察するに陸上競技用のベーシックウェアを試していたように思えた。

「エクスパフォーマは、次の一手として、マラソンや長距離走向けに、より吸湿性の高いウェアを開発しようとしているみたいなんだ。それで、君に協力して欲しいし、君にぜひ着て欲しいと言っている。もちろん、君向けに作るアメジスタカラーのレーシングウェアも、その新しいタイプのウェアで開発するとのことなんだ」

「分かりました。でも……、ガルディエールさんがそこまで言うということは……、何か奥がありそうです」

「あるんだ。この話を君にしなければいけない本当の理由がね」

 ガルディエールは、電話口の向こうで数秒息を止めた。ヴァージンは、次の言葉を待った。


「エクスパフォーマが、世界でも類を見ないほど超軽量のポリエステルを、ウェアの素材に使いたい。その特許を何十年も前に取ったのが、アメジスタの研究者なんだ」


「アメジスタに研究者がいたんですか……」

「そう。ほとんど世界に出回っていない、すごく軽い素材だ。それを、君の故郷で開発してたんだよ」

「知らなかったです……。ポリエステルって、たしか化学繊維だと思ったので……、アメジスタで作られているなんて、考えもしなかったです」

 中等学校卒業まで、アメジスタの学校で国の地理や産業を学んできたが、羊の放牧、小麦の生産、それにせいぜい土建工事までしか習わなかった。そもそも機械と呼べるようなものをほとんど見かけたことがなく、機械を使って人工的に素材を開発することなど、ほぼ不可能だった。

 そこまで考えたヴァージンは、さらに言葉を続けた。

「でも……、なんかすごいアメジスタ人じゃないですか、その特許を取った人」

「そう。彼は、世界に認められたアメジスタ人。まさに、君と同じ立場の人なんだ」

「奇跡ですね。ある意味」

「そういうことになるね」

 ヴァージンは、まだ名前も顔も知らないその科学者を、頭の中で思い浮かべた。エクスパフォーマの本社で見た、データを分析するような人をとりあえず想像し、心の中にしまっておくことにした。

 すると、しばらく間を開けてガルディエールが、電話口の向こうでヴァージンにこう告げたのだった。

「それで、君には通訳のために、ヒルトップさんと一緒に、どうしてもアメジスタに行ってもらいたいんだ。エクスパフォーマにいる誰も、アメジスタ語を話すことができないから……」

「そうですよね……。でも、ちょうど新しいウェアやシューズを、実家に見せてあげようかと思ってましたので、そんな忙しい時期じゃなかったら引き受けます」

「そうか……。なら、向こうにはそう伝えておくよ」


 その電話から数日経って、今度はヒルトップから電話が入った。

「この前代理人のガルディエールを通じて話した、ウェアの素材の件、聞いていますよね」

「はい。たしか、私も一緒にアメジスタに行って欲しいっておっしゃってましたね」

「そう。その日付が決まったので、君に伝えようと思ったんですよ。勿論、ガルディエールにも伝えてますよ」

「はい。で、いつになったんですか……?」

「10日後。早朝にオメガを旅立って、10時間でアメジスタに着くという計算です。それまでの間に、手紙のやりとりでできる限りのことはしておきますから、最後の詰めを私と一緒にやってください。1日で終わりますよ」

(えっ……?)

 ヴァージンは、ヒルトップの話を最後まで聞こうとしたが、すぐに首をかしげた。世界一貧しい国に、そんな簡単に渡れるはずがない、とヴァージンが誰よりも分かっていた。

「あの……、ヒルトップさん。アメジスタへの飛行機は、たしか週に1便しかなかったと思うんです。だから、行ける日も限られていますし。着いたら1週間はアメジスタにいないといけないんです」

 だが、ヒルトップはヴァージンの心配をよそに、あっさりと切り返した。

「会社所有のセスナですよ。運転士も、うちにセスナ操縦歴20年のベテランがいるから彼にやってもらいます」

(すごい体験を……、することになりそう……)

 初めて、普通じゃない方法でアメジスタに帰ることになる。ヴァージンはそう心に言い聞かせ、返事をした。

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