第30話 異次元のランニングシューズ(7)
「では、『エクスパフォーマ・トラック&フィールド』契約選手の未来と、ブランドの発展を願って……」
「かんぱ~いっ!」
オメガセントラル最大の歓楽街、フルグラス地区の一角にあるワインバーに、エクスパフォーマの未来を背負った4人のアスリートが集った。最初に言い出したカルキュレイムが、音頭を取り、赤白入り交じったワインのグラスが一斉に音を立てた。
「さっきも、グランフィールドが言ってたんだけど、こうして他の種目の選手と話す機会ってないじゃん。だから、今日はみんなの趣味とか、聞きたいこととかざっくばらんに話そうよ」
「趣味って言ってもなぁ……。俺は、走ることが趣味だな。それ以外考えたことがない」
カルキュレイムの提案に、1秒のブランクも空けることなく、100m走の有名選手オルブライトが真っ先に言葉を返した。4人の中で最も競技の時間が短いオルブライトの口からそのような言葉が出ることに、その正反対にいる長距離選手ヴァージンは、目を丸くしてオルブライトを見て、そして言った。
「私も、オルブライトさんと同じです。ライバルと一緒に走って、そのライバルを追い抜くの、昔から大好きでしたから!」
「えっ……、僕はグランフィールドが……ペットとかアクセサリーとか、そういう女の子ぽい趣味を持っていると思ったんですけど、趣味も仕事も走ることだとは思わなかったです……」
走り高跳びのジョンソンが、意外そうな表情をヴァージンに向けたので、ヴァージンのほうが逆に当惑した。そのジョンソンの言葉に、ヴァージンは軽く左手を左右に振って返した。
「なかなか、アメジスタで……遊ぶことを考える余裕、なかったんです。むしろ、私が世界に通用するかもしれない一つの趣味で成長した方が、将来のためになると思ったんです」
「なるほどね……。でも、グランフィールドもそうだったなら、みんな趣味は体動かすことになっちゃうじゃん。自分だって、フリスビーとか趣味だったからやり投げになったんだけど」
「そこは、円盤投げじゃないのか?」
「まぁまぁ、細かいことは気にしない」
カルキュレイムは、自ら堀った穴をオルブライトに指摘され、赤面した。ちょうどヴァージンが先程見たようなジョンソンの表情に似ているのだった。普段から陸上競技場で本気で戦う選手たちの表情が次々と崩れる。
すると、ジョンソンがこの雰囲気を断ち切るように、話を切り返した。
「僕はピアノですね!」
「ピアノ……?もしかしてジョンソン、音感がいいから走り幅跳びの助走の時、リズムが取れるんじゃない?」
「そういうことにはなるだろうね。でも、純粋に人に聞かせたいという気持ちはあったかな」
ジョンソンは、カルキュレイムの言葉に、少し笑って返す。ヴァージンも、その表情をじっと見ていた。
「それ……、ものすごく大事なことじゃないですか……。何か意思を持って取り組むの」
「まぁ、グランフィールドの言う通りだな。趣味は一人でやっててもつまらない」
オルブライトが、半ば強引にその場を締めると、4人は一斉に笑った。しかし、簡単に締められたことで言い出しっぺのカルキュレイムが、笑った直後に困惑した表情に変わった。
「趣味は……、超人たちの集まりだから面白くなかったかも知れないね。だったら、みんなでさ、聞いてみたいこととか話してみようよ」
カルキュレイムが次の提案をすると、すぐにジョンソンが軽くうなずき、話し始めた。
「もしかして……、僕もあまりよく分かってないんですけど、今この状態って、グランフィールドにとっては逆ハーレムみたいなものですよね?言葉の使い方間違ってたら、すいませんですけど」
「逆……、ハーレム……ですか?」
当の本人であるはずのヴァージンが、真っ先に首をかしげた。たしかに、これまでアルデモードと何度かデートをしたときにはほぼ必ず1対1で、時には路上でキスしたのを撮影されて軽く問題になったことはあったが、話のニュアンスを聞いている限り、未だ告白もされてない相手からの言葉なので、そのことではなさそうだった。
「もしかして、グランフィールド、ハーレムの意味知らないんじゃん?」
これには、カルキュレイムも薄笑いを浮かべないといけなかった。だが、それと同時にカルキュレイムの目がジョンソンを鋭く見つめるのも、ヴァージンにははっきりと感じられた。
「はい……、何度か聞いたことはあるんですが……、その意味を知ったことはありません……」
「じゃあ、俺が説明すんよ。グランフィールドな、ハーレムって言うのは、男が何人もの女性に囲まれて、多くの女性から告白とかちやほやされるっていう状況だ。想像できるか」
「はい……。何となくは分かります……。例えば、男1対女10というのがハーレムってことですよね」
「そういうことだ」
オルブライトの熱のこもった説明で、ヴァージンは小さくうなずいた。同時に、ヴァージンは息を飲み込んだ。
「も……、もしかして……、いまこの状況が逆ハーレム!?……ってことですか」
ヴァージンが、やや裏返った声でそう言うと、目の前にいる男子3人が同時に首を縦に振った。そこでようやく、逆ハーレムの意味がヴァージンにも分かったのだった。
すると、最初にハーレムの話題を出したジョンソンが、ヴァージンに身を乗り出して言った。
「少なくとも、僕はグランフィールドのことが気に入っていますよ。実力もそうですけど、見た目本気そうだし、そう思って会っていたら、一流選手なのに言葉遣いがかわいかったりしてますから」
「あー、ジョンソン!グランフィールドを独り占めか?」
「オルブライトも、もしかしてグランフィールドに告白するために、一緒に飲み会来たわけじゃないですか?」
「半分はな……。まぁ、このメンツだと俺が一番ブサ男だから、グランフィールドのお気に召さないけどな」
「そんなことないですよ、オルブライトさん……。3人の中で一番強そうですもの」
ヴァージンは、オルブライトの目をじっと見てそう言った。すると、ジョンソンは唇を曲げて肩を落とし、カルキュレイムは少し唸りながら言葉を返した。
「グランフィールドを幸せにできるの、自分だと思う。他の二人は本気じゃない。でも、それは自分の視点から見たグランフィールドの気持ちじゃん?率直に、グランフィールドの好きな人、かタイプ?を聞かせて欲しいな」
「人かタイプ……、ですか……」
ヴァージンは、そう言ったカルキュレイムを見ようとしても、やや下を向いてしまう。そして、しばらく考えた後に、何度か首を横に振って答えた。
「私には、好きな選手がいます。同郷のサッカー選手です。実は……、エクスパフォーマとユニフォームの契約をしているチームで、陸上用ブランドを立ち上げる話も、最初は彼から聞いたんです」
「そう言われちゃうと残念だな……。もしかして、自分よりイケメンのサッカー選手ってこと?」
カルキュレイムが残念そうにそう言うと、ヴァージンは重苦しく縦に首を振った。ヴァージンの目から見れば、カルキュレイムもまた別の意味でイケメンに見えるのだが、やはりアスリートを目指すことに決めた時からその顔を知っているアルデモードのほうが、顔を思い浮かべやすいのが確かだった。
「そうか……、じゃあ、恋愛の話はもう終わりにしようか。他に、何かある人」
「俺からいいかな。この中で、モデルの提案を受ける前に、エクスパフォーマの製品を身につけてた人いるか?」
オルブライトが、再びカルキュレイムの提案に真っ先に答えた。ヴァージンは陸上競技用のウェアやシューズのアイテムしかつけたことがなかったので、真っ先に首を横に振ったが、他の二人も全く同じだった。
「僕は、違うブランドですね……。なかなかバスケのブランドを陸上選手が着るなんてなかったです」
ジョンソンが、やや困ったような表情でオルブライトに言う。だが、その言葉を聞いたオルブライトは、思わず目を輝かせた。ヴァージンの目には、どうやらオルブライトがエクスパフォーマオタクのように見えた。
「バスケのブランド、とバカにしてたかも知れないけど、エクスパフォーマはすごいブランドだぜ。バスケシューズは、ジャンプにもドリブルにも、そしてシュートでも、足の力を入れる場所を完璧に把握して製品を作ってるんだ。この前俺たちがあの部屋の中で測定したけど、バスケはあんなレベルじゃないとか聞いたぞ」
「オルブライトさん……。そこまでバスケ用の製品は本格的だったんですね……」
「そうだな。あれは、ランドスケープの先代から、ずっと受け継がれてきた強い意思だ。世界最強のバスケット選手を作る!とな。だからこそ、エクスパフォーマのロゴの『X』にもそれが現れてて、あれは3ポイントシュートを放つときの、足とボールの動きだ。右上にビッグアーチを描いてるだろ」
「躍動感あるロゴに、そんな裏話があるなんて、僕知りませんでしたよ」
「ジョンソンは、それでよくエクスパフォーマと専属契約を結べたな……」
カルキュレイムの言葉にジョンソンが真っ青になったのを見て、4人とも笑った。すぐに、仕切り直しの乾杯が行われ、4人は新しいブランドを背負って実力を出し切ることを再確認したのだった。
だが、そのエクスパフォーマと専属契約を結ぶ4人から、ヴァージンだけに極秘のプロジェクトが動いていたことを、この時ヴァージンは何一つ聞かされていなかった。