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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
突然の別れは奇跡の出会いの始まり
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第29話 セントリック・アカデミーの消滅(2)

 ルーキャピタルのスタジアムの照明がオレンジと白に輝き、女子10000mのスタートまで50分ほどとなった。その眩しい照明に照らされながら、ヴァージンはサブトラックで最終調整に入る。

 この日、ヴァージンは不思議なほどライバルと出会わなかった。だいたいは、ロッカールームかその前の受付でばったり出会ってしまうことが多かったのだが、10000mでのライバルの顔をこの日全く見ていなかった。

(誰が出てくるか、だいたいは分かっているはずなのに……、トラックで顔を合わせることになる)

 ヴァージンは、軽くサブトラックを一周し、ベンチに座った。その正面から、ガルディエールが顔を覗かせる。

「君にとって、新しい道を賭けた勝負の時だ。いけるか?ヒーストンに勝てるか?」

「大丈夫です。トレーニングで、今までの最高タイムを出したくらいですから」

 ヴァージンは、1週間前にアカデミーのトラックで、10000mを30分26秒18と、先日メルファでヒーストンが叩き出したタイムを上回る記録を見せている。もっとも、ヒーストンの自己ベストは、それより13秒も上なので、ヴァージンとしてはまだまだ物足りなさはあった。

 ラップ75秒を意識してトレーニングをしていたが、ここ最近は意図的に73~74秒で走る時間を長く取っており、なおかつ最後に力を余すことができていたのだった。

「じゃあ、君の走り、私は期待しているからな。エクスパフォーマに、その走り、見せてやれ」

 ヴァージンは、ガルディエールの声に、大きくうなずいた。


 ヴァージンがメイントラックに入ると、この世界競技会で「宿敵」と言ってもいいヒーストンは、既に集合場所の近くにおり、足を軽く上下させながらトラックを見つめていた。そこにヴァージンは駆け寄った。

「グランフィールド。こんな大舞台で10000mを一緒に戦えて、本当に幸せね。でも、私は勝つから」

「勝つのは私ですよ。10000mでも、最近は怖いものなんかなくなりましたから」

「言ってくれるわ……。30分の夢の勝負、どっちの実力が上か、すぐに分かると思う」

 その時、点呼の職員が二人の前を横切り、18人の出場選手の名前を次々と呼んだ。そして、ヒーストンを最も内側に、ヴァージンをそこから数人外側に離して、集合場所に並べた。

(ヒーストンさんの他にも、エクスタリアさんとか……、世界記録を持っているサウスベストさんもいる……)

 ともに、2年ぶりの顔合わせとなる。女子5000mの世界記録こそヴァージンがたびたび更新し続けているものの、サウスベストの持つ女子10000mの世界記録は、この5年間誰も叩き出せていない。

 ヴァージンが、茶色い髪をなびかせるサウスベストを軽く見つめていると、サウスベストが振り向いた。

「もしかして、ヴァージン・グランフィールド……?」

「はい。サウスベストさん、こうやって話すの初めてかも知れませんね……」

 一昨年の世界競技会では、サウスベストの姿をヴァージンが見かけたものの、スタートでもフィニッシュでもあまりに離れすぎていたので、声を掛けることができなかった。

「たぶん、初めてだと思う……。今日は、私だってできれば世界記録を更新したいから……、世界記録のことなら何でも知っているグランフィールドに、力をもらいたいと思ってる」

「何でも知ってるわけじゃないですよ。レースでは何が起きるか分かりませんし、世界記録は狙えると思ったときに、意識するものだと思っているのですから」

「そうね……。ふぅ……、私もそう思っているわ」

 サウスベストは、そうため息をつきながら言った。そして、ほんのわずかな時間、ヴァージンを細い目で見つめた。10000mの「本当の女王」の突き刺さるような視線は、ヴァージンだけではなく他のライバルにも、かすかに届いていたに違いない。勿論、今まさに世界記録に迫ろうとしているヒーストンでさえも。

(私は、その中で勝てる……。勝てるはず……)

 そう思ったとき、ヴァージンの目に始まりを告げる声が響いた。

「On Your Marks……」


 号砲と同時に、最も内側からスタートしたヒーストンが飛び出した。すぐにラップ73秒ほどのスピードまで上げ、内側からスタートするライバルを引き離していく。ヴァージンは、そのすぐ後をついて行こうとしたが、外側からスタートした集団とともに、大きな2位グループに閉じ込められた。人数にして10人ほどだ。

(ヒーストンさん、たしか前は5000mを過ぎてから伸びていったような気がする。でも、今日は全く違う……)

 ヴァージンの目には、ヒーストンが最初から勝負を諦めさせるような走りを見せていることに気が付いた。トラック競技の中では最も距離が長く、抜け出すタイミングが後半になりがちな10000m走において、この時点で先頭に立って引き離すことは、5000m以上に独走状態を作りかねなかった。

(どこまで引き離していくのだろう……)

 ヴァージンは、2位グループの中心から懸命に前に出ようと、その足をトラックの外側に向ける。だが、左にも前にもライバルの姿がおり、このグループから抜け出すのは容易ではなかった。そのまま5周、6周とラップだけが過ぎていき、序盤の3000mが過ぎたときにはヒーストンが60m近く2位グループを引き離していた。

 すると、かすかに首を右に回しかけたヴァージンの目に、サウスベストの姿が飛び込んだ。サウスベストは、ヴァージンのすぐ右にぴったりつけており、同じく前にも後ろにも行けない状況だった。

(サウスベストさんも、世界記録を出したいのに、この集団の中でもがいている……)

 ヴァージンがそう思ったとき、サウスベストもかすかにヴァージンを見つめていた。すると、サウスベストは自ら集団の外側に出て、ヴァージンをヒーストンのいた場所に通す。そうすることで、ぎっしり固まっていたはずの2位グループが、かすかに崩れ始めた。前に出ようとする者がなるべく前のポジションに出ようと足を前に出し、そして迫りくる足音に怯え始めた者が次々と追い抜かされていく。

 その中で、ヴァージンは2位グループを横から一気に抜き、グループの先頭に立った。そして、ヴァージンはそのすぐ後ろからサウスベストの呼吸も感じていた。

(この二人で……、ヒーストンさんに挑む。ここから中盤、そして終盤……、どう組み立てていくか……)

 相変わらず、ヒーストンのラップ73秒ほどのスピードはほとんど変わらない。多少遅くなったようにヴァージンに見えても、すぐにスピードを戻してはヴァージンやサウスベストを突き放しにかかる。ヴァージンが懸命に前に出ようとしても、ヒーストンとの差が縮まらない。

 そのまま、6000mが過ぎた。ヒーストンとの差は100m近くに達した。

 残り10周でレースは終わる。


 その時、ヴァージンはついに、心に言い聞かせた。

(もう少し、速く走れるかもしれない……。まだ力が余っている)


 ラップ73秒で何周も走り続けるのは、ヴァージンにとって未だに試したことがない。しかし、トレーニングではほぼそれに近いことができている。そして何より、これまで15周もそのスピードで走り続けてきたライバルがいるのだった。

 ヴァージンがかすかにうなずき、トラックを強く蹴り上げた。かすかにスピードを上げ、じわじわとヒーストンとの差を詰めていく。ヒーストンも、ヴァージンの足音を感じたのか、18周目でついに後ろを振り向いた。

「……っ!」

 ヒーストンが歯を食いしばるような表情を見せる。それでも、ヴァージンは怯えず、逆にさらにスピードを上げ、数周かけてヒーストンとの差を半分ほど縮めることに成功した。

(50m差……。スパートで何とかできるくらいまで、あと少し……)

 ヒーストンも、なかなかスピードを落とさず、むしろスパートをかける。その中で、ヴァージンはそれをわずかに上回る走りを見せていた。9000mを過ぎ、残り距離がほとんどない中、ヴァージンがさらにギアを上げた。


 その時、ヴァージンは10000mのレースでは聞いたことのないくらい大きな歓声を聞いた。

 ヒーストンを捕らえるだけではなく、その先に見えかけたものへの希望だった。

(体感的に、28分03秒程度……。もしここでトップスピードを見せれば……!)

 ヴァージンは力強くうなずき、右足に強い力を加えた。これまでほとんど縮まらないヒーストンとの距離が、あっという間にほとんどなくなっていき、最終ラップの鐘が鳴り響く前の直線でヒーストンを一気に抜き去った。それでも、ヴァージンは後ろを見ない。残り1周を「いつもの」スパートで駆け抜ければ、世界記録が見えてくる。

(10000mでも……、私が……世界記録に……!)

 第4コーナーを、ヴァージンは体を傾けながらハイスピードで回り、最後の直線に挑んだ。声援は大きくなるばかりだ。その中で、ヴァージンは10000mのゴールラインへと飛び込んだ。


(世界記録……っ!)

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