第28話 世界女王の選んだスポーツメーカー(2)
メルファスタジアムから戻った翌日、ヴァージンは珍しくアカデミーには寄らず、朝からイーストブリッジ大学へと向かった。大学2年生の後期テスト期間に入っていたのだった。何度か大会で講義を休んだこともあり、この後期は特に熱を入れてテスト勉強をしたのだった。
(あんまり、満足のいく答案が書けなかった……)
基礎専門科目の統計学概論のテストをまずまずの形で終え、集中が切れてしまったヴァージンは、2時間後に始まる次のテストまでの間、気晴らしにパソコンルームに向かった。
しかし、ヴァージンの出場したレースの記事を検索しようとしたヴァージンの目に、ある記事が留まった。
(ファーシティ・ミラーニ消滅……、王者グラスベスと合併……?)
ヴァージンは心の中でヘッドラインを読み、すぐにパソコンに顔を近づけ、息を飲み込んだ。アルデモードの所属するサッカーチームの名前が、合併で消えてしまう側にあったのだ。しかも、その相手は、一昨年の冬にヴァージンの目の前でミラーニが大差をつけられて破れた相手、グラスベスだったのだ。
(アルデモードさん……、どうなってしまうんだろう……)
ミラーニがシーズン最下位に沈み、リーグオメガからの降格が決まったのが、つい2週間前。降格により、スポンサーが撤退し、チームの経営状態が悪くなったため、シーズン王者のグラスベスと合併することになった、と記事には書いてあった。それでもヴァージンは、そのチームにいるアルデモードが、気が気でなかった。画面の向こうに、あの日ピッチでグラスベスに立ち向かっていったアルデモードの姿を思い浮かべた。
(チームを吸収されてしまったアルデモードさんを勇気づけるため、話をしたほうがいいのかな……)
ヴァージンは、パソコンからアルデモードのアドレスに、簡単な文面でメールを送った。すると、わずか5分もしないうちに、ヴァージンのアドレスに返信メールが届いた。
――勇気づけられるメール、ありがとう。ちょうど僕も、君に話をしようかなと思ってたんだ。
もしよかったら、僕がオフになる金曜日の夜に、アカデミーの門の前で待ってるよ!
ヴァージンは、アルデモードからの誘いにすぐに了解のサインを返した。
それから数日間、ヴァージンはテストとトレーニングを行ったり来たりする日々が続いた。アカデミーがいたって落ち着きを取り戻しており、マゼラウスの口からもメルファスタジアムから急遽戻った理由を聞かされることがなかったため、ヴァージンもそのことを日に日に気にしなくなっていた。
そして金曜日の夜、ヴァージンがアカデミーで軽く晩飯を食べて、門の外に向かうと、目の前に見慣れた茶髪の青年がヴァージンに向けて手を振っていた。薄紫と黒のストライプが縦に幾重にも連なった、一目でサッカーチームのユニフォームを着ているのが、遠目でもはっきりと分かった。
「待ってたよ。アメジスタの偉大なアスリート」
「アルデモードさん……。本当に、アカデミーまで来てくれたんですね!信じられないです……」
「行くと書いたからには行くよ。こんな今だからこそ、僕は君の元気な顔が見たかったし、それに何より、あのメールじゃ伝えられないことがたくさんあったんだよ」
アルデモードは、いつものように甘いマスクで笑ってみせた。その表情に、ヴァージンは軽くうなずく。
「そうだったんですか……。とりあえず、ここじゃなんだから、近くのカフェとか行きませんか?」
「カフェ……かなぁ。雰囲気的には、近くの噴水公園に行きたいな。そこで、二人並んで話をしようよ」
ヴァージンが声に出さずにうなずくと、ヴァージンとアルデモードはほぼ同時に、同じ歩幅で噴水公園に向けて一歩を踏み出した。セントリック・アカデミーから噴水公園までは徒歩で10分ほどだが、ジョギング禁止の公園になっているため、ヴァージンが足を踏み入れたことは一度もなかった。
週末の夜の噴水公園は、愛し合っているように見えるたくさんの人たちが、幻想的なライトに照らされた噴水を見ていた。夏の夜に向かって勢いよく上がる噴水が、二人の恋を加速させるかのように。
その中で、噴水の近くで偶然にも空いていたベンチに、ヴァージンとアルデモードは並んで座った。そして、先にその口を開いたのは、アルデモードの方だった。
「たぶん、君は僕のことが心配でたまらないんじゃないかな、って思ってるんだけど、違うかな?」
「すごく心配です。今までミラーニでやってきたのに、同じリーグのチームに取られてしまうと思うと……」
「それは言えるよ。けれど、スポーツの世界って、そのへんとてもシビアなんだ。僕一人の力じゃチームは勝てないし、僕一人の力じゃチームを救えなかった。その結果が、グラスベスとの合併という道だよ」
ヴァージンは、小さくうなずいた。初めて会った頃にアルデモードから聞いた言葉が、重なるような気がした。
「でも、あれから数日経って、ショックは少しずつ和らいでるよ。もともとグラスベスにいた選手たちと一緒に練習をしているし、今こうしてグラスベスのユニフォームを堂々と着て歩けるくらいまで立ち直ったよ」
「なら、よかったです。でも、アルデモードさん……、グラスベスのユニフォーム、こんなデザインでしたか?前にファーシティで見たのと違うような気がするんですが……」
ヴァージンがアルデモードのユニフォームを数秒見つめていると、アルデモードが体を右にひねらせて、袖に刻まれたグラスベスのエンブレムをヴァージンに見せた。
「ほら、れっきとしたグラスベスのユニフォームだよ。だって、去年からグラスベスのユニフォームサプライヤーが、エクスパフォーマに変わったからさ。胸のところに、ロゴがあるだろ」
「エクスパフォーマ……!いま、ものすごい勢いで広がってるスポーツメーカーじゃないですか!」
ヴァージンは、アルデモードのユニフォームに刻まれた、躍動感あふれるXのロゴに思わず釘付けになった。
「君がびっくりするのも無理はないよ。だって、エクスパフォーマがサッカーユニフォームに参戦したのは、このグラスベスが最初だもの」
「たしかに、サッカーでこのロゴはあまり見たことないです……!むしろ、バスケットとかでよく見かけます」
「あそこは、もともとバスケットのスパイクやウェアを専門にしてきたメーカーだもの。それからテニスとかに進出して、とうとうサッカーというビッグマーケットにまで乗り込んだわけだよ」
「なるほど、そうだったんですね!」
ヴァージンは、昨年リバーフロー小学校を訪れたとき、バスケット好きの少年たちの多くがエクスパフォーマのTシャツを着ていたことを思い出した。かつてヴァージンのスポンサーでもあったスポーツメーカーのロゴも見かけたが、数の多さでエクスパフォーマのロゴが目立って仕方なかったのだ。
ヴァージンが何度か首を縦に振ったその時、アルデモードが再びヴァージンにエクスパフォーマのロゴを見せて、やや間を置いて口を開いた。
「そうそう。今日僕が話をしたかったことは、このスポーツメーカーの話なんだよ。君がものすごくいいタイミングで、このユニフォームのことを聞いてくれたから、すっかり忘れそうになった」
「えっ……?どういうことですか……?」
ヴァージンは、思わず聞き返した。すると、アルデモードは体を正面に戻し、目線をやや上に上げつつ言った。
「これはまだニュースに出てない話だけど、エクスパフォーマが陸上競技にも参戦しようとしているんだ」
「陸上に……ですか?」
「そう。あらゆる種目でシェアを広げようと、陸上にも本格的に参戦しようとしているんだよ」
「すごいじゃないですか……!」
ヴァージンは、アルデモードに顔を向け軽く笑ってみせた。だが、アルデモードは軽く微笑んだ後、ヴァージンの目を見てさらに話を続けた。
「飛ぶ鳥を落とす勢いだよ、エクスパフォーマは。でも、それは君にとって悪いニュースにもなってしまう」
「悪いニュースですか?」
「そう、悪いニュース。僕がグラスベスのユニフォームを受け取るときに、エクスパフォーマの社長から聞いた話だから、間違ってないよ」
そこまで一気に言ったアルデモードが、ヴァージンを優しい目で見つめた。この時ばかりは不気味だった。
「陸上競技用のウェアを作るのに、セントリックから全ての工場を譲り受けるみたいだよ。つまり、セントリックは製品を作らなくなり、ゆくゆくはブランドを捨てることになる……」
(そんな……、ウソでしょ……!)
危機が叫ばれてきたセントリックの、その先がついにヴァージンの目にも見えてしまった。セントリック本社がブランドの歴史に幕を閉じれば、半ばブランドの売り上げで成り立ってきたアカデミーもこれまでのようにやっていくことができなくなる。グラティシモが決起集会で叫んだ以上のことが、現実になってしまいそうだ。
「そう。だからこそ、これは君に言わなきゃいけなかったことなんだ。まだ誰も知らない話だから」
ヴァージンは、アルデモードの呼びかけに、無言のまま一粒の涙を流した。その涙の向こうで、激しく噴き上がる噴水が、二人を見つめていた。
(セントリックが……、消える……)