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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界最速のアスリート いま再びトラックに立つ
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第24話 ヴァージンのようになりたい!(5)

 学校訪問から1週間後、リバーフロー小学校とのレースという新たな目標を掴んだヴァージンは、アカデミーでトレーニングに励んでいた。小刻みに併走する相手が変わるため、これまでのレースではあまり意識してこなかった細かいスピード変化に惑わされないためのメニューをマゼラウスに相談したところ、マゼラウスは言った。

「お前は、お前の走り方で挑め。スピードの変化に踊らされない方がいい」

「はい……」

「お前は、あくまでも長距離走者だからな。とりあえず、今日はペースがバラバラのランナーとして、私が横に付こう」

 だが、たとえマゼラウスが横についていても、ヴァージンは普段5000mを走るときには感じないほど違和感を覚えた。集中できなかった。走り終えた後、ヴァージンは難しいとマゼラウスにアピールした。

「やっぱり、これだけ変化があると集中して走るのは難しいか」

「はい」

「ウォーレットやメリアムは、あまりペースに変化つけないで走るから、余計やりづらいだろうな……」

「これだけ変化があると、ヴァージンでも、言葉は悪いが目障りになるのかもしれないな。そこで自分に集中してこそ、本来のお前の走りが取り戻せると思うのだが、間違ってないか」

「おっしゃる通りです。コーチ」

 ヴァージンがそう言うと、マゼラウスは一度首を縦に振って、ヴァージンに10分間の休憩を告げた。その時、アカデミーの建物から事務員が一人、封筒を持って小走りに近づいてくるのが、ヴァージンには見えた。

「お知らせしたいことがあるのですが、今ちょっとよろしいですか?」

 ヴァージンが、首を縦に振ると、事務員は封筒の中から一枚の紙を差し出した。差出人は、レウァン・ウェリトスと書かれており、その横にリバーフロー小学校教頭と書かれていた。

「同じ手紙を、フェアラン・スポーツエージェントにも送っているそうです。ぜひヴァージンさんにも目を通して欲しいということです」

「こ……、これって……!」

 ヴァージンは、その手紙を開いた瞬間、軽く息を飲み込んだ。リバーフロー集落に暮らす教頭が、集落一番の大地主で、所有する土地に土でできた400mトラックを作るということ、そしてヴァージンと小学校との勝負はそのトラックで行うこと、の二つが図を使って示されていた。たしかに、ヴァージンには森の中の道が体感で5000mと思われたが、それでも正確に5000mとも限らない。それ以上に、車も走る通りでレースをするよりも専用のトラックで走った方が、普段と近い緊張感でレースができる。

「あの教頭先生……、本当に私のことを……」

 ヴァージンは、マゼラウスにだけ聞こえるほどの小さな声で、そっと呟いた。


 小学校との勝負、開催は翌週日曜日の昼頃と提示され、エージェントのガルディエールも了承し、レースのスケジュールが決まった。6月に入り、日中のレースをするには気温が高い日も現れてくる頃だったが、小学生たちの希望ということもあり、時間帯も含めてあっさりと事が決まった。

 そして、当日。トレーニングウェアで上下を揃え、サウスティア空港に降り立ったヴァージンを、教頭ウェリトス自らが出迎えてくれた。あの時は教頭らしき人物だとヴァージンは思っていたが、この日初めて空港でその肩書きを告げられた。

「私が、教頭のレウァン・ウェリトスだ。先日の素晴らしい授業、本当に感謝しています」

「こちらこそ……。また呼んで頂けるなんて、夢のようです」

 ヴァージンとウェリトスは、固い握手を交わした。その後、ウェリトスからこの日の詳細なスケジュールが手渡された。

「まず、この後12時に、リバーフロー集落に新しく作られたトラックに集合し、子供たちと教員、合わせて71人と5000mの勝負をします。そしてレースが終わった後は、集落の有志が作ってくれた郷土料理を私たちと一緒に食べて交流を深める、ということになります」

「子供たちだけじゃなくて、教頭先生とかも走るんですか……?」

 ヴァージンがおそるおそる尋ねると、ウェリトスは首を縦に振った。

「私だけじゃなく、校長も走ります。学校全体で、初めての運動会を盛り上げていこうということです」

「校長先生まで走って頂けるんですか……。それは本当にありがたいことです」


 5000m、つまりトラック12周半をヴァージンは普段と同じように一人で走りきる。対してリバーフロー小学校はリレー形式で、1・2年生22人がまず50mずつ走り、その後教諭8人と3年生10人が50mずつ、その後4年生8人が100mずつ、教頭と校長が50mずつ、最後に5・6年生21人が100mずつ走る。目の前で70回バトンが手渡される中を、ヴァージンは一人で勝負するのだ。

 ヴァージンは、車の中でリバーフロー小学校の児童たちの表情を思い出した。あの日以来、事あるごとにあの元気な表情を思い浮かべ、その日がくるのを待ち望んでいたのだった。

 やがて、車はリバーフロー集落に入る。ヴァージンは、後ろで束ねた金色の髪に手を当て、一度うなずいた。車は、小学校に続く大通りから脇道に入り、あまり整備されていないような私道をガタゴト進んでいく。

 次の瞬間、ヴァージンの目に飛び込んできたのは、新しいトラックに集まった数多くの人、それに大歓声だった。児童たちが家にあの話を持ち帰って家族に言ったのだろうか、児童や教諭だけではなく、近所の人々が総出でトラックに集まっていたのだった。

 その数、ざっと200人は超えており、リバーフロー集落に住む大半がヴァージンと小学生たちのレースを間近で見ようとしているのだった。

(よし、今日はもう一つの側面を子供たちに見せるから)

 ヴァージンは、車が止まった瞬間にドアを開け、力強く地面を踏みしめた。その瞬間、改めて子供たちから声が上がった。

「グランフィールド選手、体操着に着替えると、すごくカッコよく見えるー!」

「想像していた以上です……!」

 前回は学校を入ってから出るまで、スーツ姿しか見なかった児童たちにとって、トレーニングウェアに身を包んだヴァージンの姿は、何もかも新鮮であるかのようだった。普段テレビに映るようなレーシングウェアこそ着ていなかったが、それでもヴァージンがアカデミーでのトレーニングと同じウェアを着るだけで、児童たちの目にもヴァージンが陸上選手であるとはっきりと分かるようだった。

「ありがとう。これが、私の普段の姿ですから」

 ヴァージンは、集まった人々に笑顔で返す。意識していないのに、表情が緩んでくるのをヴァージンは感じた。それは、これから始まる真剣勝負に向け、過度に緊張しないための雰囲気作りでもあった。


(イリス君……?)

 ヴァージンが何人かの児童から声を掛けられた後、遠くにイリスの姿が目に飛び込んできた。イリスはヴァージンのことを意識的に避けているように、一人で黙々とウォーミングアップを重ねている。普段、陸上クラブで行っていると思われる軽いアップから始めて、ストレッチを入念に行うイリスの姿を、ヴァージンは遠くから見た。そして、次の瞬間、イリスはトラックの上をゴールから時計回りに小走りに進み、第4コーナーのあたりで立ち止まった。

(ここから、およそ100m……。まさか、イリス君は……)

 ヴァージンは、イリスに視線を合わせた。一人でバトンを受けるしぐさを見せた後、イリスは茶色のショートヘアを風になびかせながら、一気にスピードを上げていく。

 5秒、6秒、7秒……。陸上クラブに通っているイリスは、まさに短距離走者のフォームでゴールラインに近づいてくる。小学5年生の少年が、ヴァージン自身のラストスパートとほとんど変わらないか、それ以上のスピードでトラックの上を駆け抜ける。

 そして、ゴールラインを割った。ヴァージンの体感で、わずか12秒と少しの時間しかかかっていない。

(イリス君……、これは小学生にしてはとても速いペース……!)

 ヴァージンは、イリスに声を掛けることなく、走り終えた後のイリスを目で追った。イリスの表情は、自分に納得しているかのように晴れていた。今日この日、小学校生活の中で初めて本気の走りを見せるイリスは、最高のコンディションに調整していたのだった。

(勿論、私だって今日この日のために……、イリス君と同じように一生懸命やってきた……)


 12時。勝負の時はきた。

 児童や教員たちが各中継地点に散らばり、ヴァージンは第一走者となる小学1年生の女の子と一緒に、スタートラインの上に立った。女の子の目は、常にヴァージンを見上げながら、その姿を目にとどめているかのようだ。

 この後走ることになる、一人の教諭が号砲を手に持った。その瞬間、ヴァージンの目に広がっていたのは、普段と変わらない1周400mの、勝負のトラックだった。

 号砲が鳴る。子供たちに夢や希望を語った一人のアスリートの、その本気を見せる5000mが始まった。

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