第22話 一つ、また一つと消える光(4)
~アメジスタの偉大なアスリート ヴァージンへ~
お久しぶり。調子はどうかな?
最近、試合や練習が忙しくて、君の走りを全然見る時間がなかった
けど、今年もまた世界記録更新して、本当にすばらしいと思うよ。
僕も、昨シーズン何とかミラーニがオメガセカンド降格を免れ、
今年のチームは全体で8位と去年に比べたら成績を上げている。
今日は、僕からすごく大事な話がある。
僕たちの故郷、アメジスタがあんなことになってしまい、オメガに
暮らしている君が、金銭的に相当苦しんでいるように見える。
君が一番よく分かっていると思うけど、未来を思うと辛くない?
いつ手持ちのお金がなくなって、アスリートを続けられなくなるか
そういう不安に怯えながら、毎日トレーニングをしていると思う。
僕は、自分の夢を叶えるために、生きるか死ぬかの思いをした。
その結果、ミラーニでこうして自分の夢を叶えているけど、できれば
第二の僕のように、君がなって欲しくはない。
だから、僕は君を全力で守ってみせる。
幸い、僕はオメガ国籍だから、預金は凍結されていない。
僕の年収があれば、君を支えるためにいくらでも助けるよ。
だから、君に直接会いに行って、お金やモノで支援するつもり。
もし、賛同してくれるのなら、このメールに返事して欲しい。
僕の気持ちを受け取ってくれたら、嬉しいな。
君が再び笑ってトラックに立つ日を楽しみに待っているよ。
その日まで、僕は君への支えをやめない。
フェリシオ・アルデモード
「アルデモードさん……」
アルデモードからのメールを開いたとき、ヴァージンは口を開けたまま、数秒息を止めた。そして我に返るとモニタから軽く目を離して、一度、二度と首を軽く左右に振った。そして、もう一度最初から文面を読む。
(これ、ウッドソンさんと全く同じような方法で私を助けてくれる……)
アメジスタにいた頃、ヴァージンと最初に出会った日のアルデモードの表情が、モニターごしにうっすらと浮かんでくるように、ヴァージンは感じた。そして、すぐに返信のボタンを押し、イエスの意思を示した・
(預金口座にお金を入れれば、その瞬間に取られてしまう……。なら、こっそりだけど直接受けとる方がまだ使えるお金が増えるし……、一人より二人から支援を受けた方が、私の方も助かる)
ウッドソンからの次にお金が入ってくれば春先のアウトドアシーズンに一般のレースに復帰できる。そのつもりで考えていたヴァージンは、ここに来てアルデモードからもお金が入ってくることにより、年が明けてすぐのインドアシーズンも夢ではなくなってきた。エントリーの締め切りまでそう時間があるわけではないが、インドア世界記録をあと一歩のところで取り逃がした以上、本来なら何としても出たい時期であった。
(アウトドアだけじゃなく、ウォーレットさんの持っているインドア記録だって、自分のものにしたい!)
ヴァージンはモニターから目を反らし、やや上を向いて天井を見上げた。そこにはただ、白いタイルだけがあったが、ヴァージンはその先に自分が再びライバルたちと一緒に走る姿を思い浮かべていた。
だが、それがいつか書かれていないことが、ヴァージンにとって数少ない不安要素であった。
そして、その不安要素は、最悪の形で実現に至ってしまうことになることを、その時誰も知らなかった。
12月3日、ヴァージンの21回目の誕生日を迎えた。この日は大学の講義がなく、昼食後は午後の練習まで軽く自主トレをしようと食堂を出ようとした矢先、入れ違いに入ってこようとするグラティシモに呼び止められた。
グラティシモの右手には、小さめの白い箱が乗っている。ヴァージンは、その白い箱に目をやる。
「グラティシモさん……。この中に入っているのは何ですか?」
「ケーキ。この前大会に行った、ワトンソ競技場の近くのケーキ屋にお願いして、今日のために作ったの」
「今日のために……、あっ……」
ヴァージンは、そこまで言いかけて、思わず右手で口を押さえた。すかさず、グラティシモが声を上げる。
「ヴァージン・グランフィールド、21歳の誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます!じゃあ、このケーキは私が頂けるということなんですか?」
「勿論!それに、ここのところグランフィールドにとって悪い知らせが多すぎたから、同じアカデミーにいる私が、力を貸さなきゃいけないと思う。これは単に、お土産じゃない。私の気持ち」
「本当に、本当にありがとうございます……!」
ヴァージンは、ケーキを受け取るなり食堂に再び戻り、そばにいた他の種目のアカデミー生何人かにお祝いされながらケーキを食べた。特注品ということもあり、そのケーキの味はこれまで食べたことのないほどおいしいものだった。
「で、誕生日祝いに……、グランフィールドにもう一つ話しておこうと思うの」
ヴァージンがケーキを最後の一口まで食べ終わると、その前に座っていたグラティシモは少しだけ顔の向きを下に傾けて、ヴァージンに小さな声でこう言った。
「私のコーチ・フェルナンド、ヴァージンから見て、最近なんか有頂天になっているように見える?」
「有頂天……には見えないです。タイムトライアルをしているときとか、走っていて時々目にしますが、そこまでフェルナンドさんが天狗になっているような表情を見せていないと思うのですが……」
「そう……。でも、何年もフェルナンドと一緒にやってきて、最近ほど酷いと感じたことはないわ。そもそも、グランフィールドのあのニュースを見て、私の完全勝利だとか言ってるぐらいだもの」
グラティシモは、フェルナンドのしていたことをジェスチャーで示す。
「私が、お金がないとか、この先どうしようとか悩んでいる時期に、そんなことがあったのですか?」
「あった。同じアカデミー生で、同じ種目を専門にするライバルなのに、グランフィールドの方がいつもタイムがいいから気にしている面はあるかも知れないけど、人の不幸をそんなたやすく笑っちゃいけないと思う」
「私も、そう思います……。その場面、私が見てもおかしいと思いますもの」
「でしょ。だから、そんな暴走するコーチのせいで、私はもっとグランフィールドのことを支えたくなってきた。また賞金が手元に入ってくるようになるまで、私はグランフィールドを支えるから」
そう言うと、グラティシモはヴァージンの手を取って体を前に出した。グラティシモの目は輝いていた。
「本当にありがとうございます。支援の数は、多ければ多いほど私にとって助かりますから……」
そう言うとヴァージンは、グラティシモの手を取って大きくうなずいた。そして、その日のトレーニングは、あのインカレが終わってからのトレーニングでは最高タイムとなる、5000m14分16秒に乗せて終えたのだった。
(誕生日に、こんな嬉しい思いをしたのは初めて……)
オメガ国に来てから5回目の誕生日を迎えたが、ヴァージンはこの年ほど爽快な誕生日を味わったことはなかった。できれば、この楽しい思い出と楽しい時間がいつまでも続けばいい、とさえ思っていた。ワンルームマンションに戻り、眠りにつき、朝がやってきてしまう頃には、それが冷めてしまいそうな気がしていた。
「ふぅ……」
ワンルームマンションへと続く一本道に差し掛かり、部屋まで残り200m。ヴァージンは軽く息をつく。
その時だった。
(えっ……?)
突然、背後からスポットライトで照らされたような気がして、ヴァージンは振り返った。そこに立っていた人物の表情が見えた途端、ヴァージンは思わず目を大きく広げ、その場に立ち止まった。
「アルデモードさん!……びっくりした」
「お誕生日、おめでとう」
アルデモードは、今まで何度もヴァージンに見せたように、甘いマスクを浮かべる。そしてアルデモードは、懐中電灯と思われるライトの電気を切って、茶髪を揺らしながらヴァージンに近づいてきた。
「本当にサプライズでした。まさかアルデモードさんが、こんな派手なことをやるとは思わなかったです」
「せっかくの誕生日なんだからいいじゃん。それに、今日は言葉だけじゃなくて、アレも渡さなきゃいけないし」
「アレ……って、もしかして私に対する支えですか?」
ヴァージンがそう言うと、アルデモードは大きくうなずきながらバッグから封筒を取り出した。
「勿論!だって、僕は君のこと心配だし、ずっと走り続けて欲しいんだから……」
ヴァージンに向かってゆっくりと伸びていく、アルデモードの右手。ヴァージンの手が、アルデモードの右手にしっかりと握られた封筒に届いたとき、ヴァージンは思わずアルデモードの肩に飛び込もうと、体を前に傾けた。
「ありが……、と……!」
しかし次の瞬間、アルデモードがよろけるのをヴァージンは感じた。そして、アルデモードの顔と肩の間から何者から姿を覗かせているのがはっきりと見えた。