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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
大学生ヴァージンを襲う祖国の危機
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第22話 一つ、また一つと消える光(2)

 失意の中で、ヴァージンは大学のキャンパスでその日の講義を受けた。彼女を知る人が見れば、ヴァージンの服装が通常ではあり得ない「一般人」のそれであることをすぐに悟られてしまうため、ヴァージンは極力周囲の目を気にせずに大学の中に溶け込むことにした。

 だが、帰り際、聞き覚えのある一人の男性の声で、ヴァージンは思わず立ち止まった。振り返ると、そこにはマスト・ウッドソンが青い髪を蛍光灯の光に輝かせながらヴァージンを見つめていた。

「グランフィールドにしては珍しく、トレーニング用の服を着ていないね」

「ウッドソンさん……。ちょっと、今日は気分で違う服を着ようかと思って……」

「そっか……。トラックでケガをしたし、何よりインカレ翌日だものね、休みたくなるのも分かるよ」

「そうですね……」

 ヴァージンは、自分でも明らかに作り笑いと分かるような表情で、ウッドソンにこう返し、また作り笑いと言われてもおかしくないような表情を見せて、スッと体の向きを変えて大学の表門へと歩き出した。

(トレーニングをする気じゃないって、ウッドソンさんには絶対言えない……)

 ヴァージンは、表門を出たところで立ち止まり、空を見上げていた。普段ならこの後再びアカデミーに戻って、マゼラウスの指導の下で夕方の練習に取りかかるところであるが、この日はそれを最初からキャンセルして自分の将来を考えることにしていた。だが、ヴァージンを見下ろす白と水色の空を見上げるだけでは、彼女自身の将来を何一つ見つけることができなかった。


「私は、何のために走るんだろう……。何のために走らなきゃいけないんだろう……」


 オメガ国に入り、プロのアスリートとしての生活を始めて4年。アメジスタの中等学校で陸上部に入ってからは8年。自宅の周りを走るようになるのは、それよりも前……。その間、ヴァージンは毎日のようにトレーニングを欠かさなかったし、どんなに時間がなくてもほぼ毎日何千メートルもの距離は走るようにしていた。それは、大会で記録を残し、ライバルよりも0.01秒でも前にゴールするためのはずだった。

 そこまで思い浮かべたヴァージンは、少しだけ下を向き、力なく首を横に振った。

(でも、大会に出ることができなくなった今、そのために頑張ることに何の意味があるのだろう……)

 そこまで考えて、ヴァージンはもう一つの可能性を考えてみた。それはアメジスタから世界に飛び立つときに何度も口にしてきた言葉だが、祖国アメジスタの夢や希望のために走るということだった。世界を相手に戦っては打ちのめされ、そもそもアスリートに夢や希望も持てないアメジスタを、その足で変えるはずだった。

 けれど、そこまで思い浮かべたところで、ヴァージンは再び首を横に振った。

(でも、いくら私が走ったところで、アメジスタのデフォルトは回避できなかった……)

 週が明け、様々なメディアでアメジスタについて扱われ、その度にアメジスタについて酷評するコメントが寄せられていた。ヴァージンも、もはや見飽きるほどそういった酷評を見てはため息をついていた。その度に、ヴァージンの力はアメジスタに対して全くの無力であることを悟っていた。

(それに、地元帰っても、荒れ果てた競技場はそのままだし、みんな私が世界記録出したって知らなかった……)

 一昨年の暮れに1週間アメジスタに戻ったとき思い知らされた現実が、いまヴァージンに蘇ってしまう。

(考えるだけでも苦しい……)

 気が付くと、ヴァージンは正門横のベンチに座り、ガックリと肩を落としていた。そして、ベンチの前に落ちていた小石を、いつもはトラックを力強く叩きつけるはずの右足で、力なく蹴った。

「私は、何のために頑張っているんだろう……。陸上以外、できることなんて何もないのに……」


 幸いにして、正門脇で落ち込んでいたヴァージンの姿を見た陸上部員は誰もおらず、その日はそのままやり過ごすことができた。だが、水曜日の全体練習の日、ヴァージンの低いモチベーションがついにバレてしまった。

 4限を終えて、全体練習や全体ミーティングがあるにも関わらず、ヴァージンは練習場とは逆の正門の方に歩き出そうとした。そこにウッドソンが声を掛けてきたのだった。

「あれ、今日もトレーニングウェアじゃないんだ」

「えぇ……。今日も、ちょっと気分的に普通の服を着ようと思っていたので……」

 ヴァージンは軽く微笑もうとした。だが、月曜日と同じ服である上、これから本来参加しなければならない全体練習や全体ミーティングに出たくない意思を表していることは、陸上部員の誰が見ても明らかだった。

「やっぱり、ここ数日のグランフィールドはどこかおかしいよ……。インカレで倒れてから」

「そうですか……?」

「だって、大学生の中どころか世界的にも素晴らしい記録を残しているのに、あの日を境に全くトレーニングしなくなるなんて、俺の目から見てもグランフィールドに何かあったとしか思えない」

 図星を言われてしまった。ヴァージンは思わず息を飲み込み、何度も首を左右に振った。それでも、出てくるのは、心の中で全く整理ができていない、言いづらそうな言葉の羅列でしかなかった。

「私の中で何かあったのは……間違いないですが、自分でも苦しんでいる理由が分かりません」

「そうか……」

 ウッドソンは静かにそううなずくと、少しだけ表情を緩めてヴァージンに告げた。

「悩みがあるんだったらさ、俺たち陸上部員に聞けばいいじゃん。答えられる範囲で答えるよ」

「ありがとうございます……」


 ヴァージンは、ウッドソンに連れられて大学近くのカフェに入った。ウッドソンも全体練習をそっちのけにする形になりそうだ。

「すいません、ウッドソンさん。私のために時間を作って頂いて……」

「いいよいいよ。世界的なトップアスリートがここまで苦しんでいるのを、見過ごすわけにはいかないからさ」

「ありがとうございます……」

 ヴァージンがそう言うと、ウッドソンはペンと白紙のルーズリーフを1枚取り出し、何かをメモする姿勢になった。そしてウッドソンの合図とともに、ヴァージンは祖国アメジスタのデフォルトと自らの危機を語った。

「それは、オメガ政府があんまりなことをグランフィールドに押しつけていると、俺は思うんだけどな……」

「私だって、そう思います。アメジスタ国籍でオメガに暮らしているの、私以外にあまり思いつかないです」

「でも、俺たちの力でその決定を覆すことなんて、できないわけじゃないけど難しい」

「たしかに……、そうですね……」

 ヴァージンが静かにうなずくと、ウッドソンは体をやや前に出して再び口を開いた。

「なら、グランフィールドが少しでも走れるように、俺たちがお金を出し合って支援すればいいと思うんだ」

「陸上部で、ですか……?」

「勿論。今日の全体ミーティング話そうよ。みんなが力を出し合えば、君がまた世界の強豪を相手にレースができる日がやってくる。賞金はないけれど、グランフィールドは大会に向けてトレーニングを重ねればいいじゃん」

「それはいい案です」


 ウッドソンから告げられた案を持って、その日ヴァージンとウッドソンは全体ミーティングから陸上部に参加した。オメガインカレが終わり、多くの種目でその年の大学生のレースが終わるこの時期、全体ミーティングはほとんど議題がなく、間もなく主将を後輩に譲るメリアムもわずか20分でそれを終わらせようとした。

「私から、皆さんに聞いてほしいことがあります!」

 メリアムが会を終わらせようとしたとき、ヴァージンは思い切り手を挙げ、メリアムがうなずくなり129教室の前の方に立った。そして、ヴァージンは全員の表情を見つめながら口を開いた。

「私の生まれ故郷、アメジスタは、みんなも知っている通り……、先週デフォルトになってしまいました。それで、私の預金通帳が全額封鎖され、賞金やスポンサーからのお金も全額没収されてしまいました。いま、私は生活することもできなくなっています……」


 そこまで言って、ヴァージンは一呼吸置くつもりだった。だが、その言葉を言った瞬間、部員たちが口々にヴァージンに言葉を返した。

「何だよ、結局お金を貸してくれとかそういう話かよ!」

「世界的に有名な選手だから、お金くらい自分で何とかしろよ!」

「まず奨学金とか、学費免除とか、そういうところから始めるのが正しい道だと思うけどな」

(それが、正論ですね……)

 ヴァージンは、次の言葉を言うために口を開こうとしても、もはや言葉が出てこなかった。ウッドソンの表情が曇っているのも見えた。ヴァージンはその場で諦めるしかなかった。

「すいません……。今の話、以上になります……」

 ヴァージンは、ガックリと肩を落として、座っていた席に戻ってしまった。

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