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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
大学生ヴァージンを襲う祖国の危機
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第20話 最速を懸けた記録会(5)

 翌週の水曜日、ヴァージンは入部後2度目となる陸上部の全体練習と、その後のミーティングに参加した。ヴァージンほどのスピードで入部した新入生は珍しいそうで、この週からわらわらと1年生が新入部員として入ってくる。前の週はそれほど混んでいるイメージのなかった129教室が、3人がけの机を3人で使わなければ入りきらないほどだった。

「今日は、新入部員が62名も集まりました。全体練習ではなかなか紹介する時間がなかったので、今回はここで簡単に自己紹介をお願いします」

 メリアムが言うと、ヴァージンから向かって左手の席から次々と新入生が立ち上がっては、名前と学部、パートや意気込みなどを述べる。その中で何人もの新入生が言った言葉がこれだった。

「憧れのヴァージン・グランフィールドの同学年の部員として、早く世界のトップアスリートになりたいです」

(私、同級生からも憧れの的なのですね……)

 ヴァージンは、そのように言った新入部員ひとりひとりに顔を向けては、軽く会釈を返した。今や、イーストブリッジ大学はおろか、世界中で知れ渡る存在になっていることを、彼女は改めて感じたのだった。


 その後、ヴァージンは上級生から飲みではなくカフェテリアでの食事会に誘われた。新入生の大半も付いていったが、その目的が履修相談だったため、基本的に同じ学部の上級生と新入部員でテーブルが分けられることになった。だが、肝心のヴァージンが入学した社会学部の新入部員が次々と帰ってしまい、入口から一番遠いテーブルにヴァージンとウッドソンが座ることになった。

 ヴァージンは、テーブルの上に文系学部用の時間割とシラバスブックを置いた。

「俺が社会学部だってこと、グランフィールドに何も言ってなかったね」

「いえいえ。大学の中で何度もウッドソンさんらしき人と会ってる感じがしたので、同じ学部かも知れないと思っていました」

「なるほどね……。で、グランフィールドは社会学で何か興味持っている分野とかあるの?」

 ウッドソンの笑みに、ヴァージンも軽く笑いながら返す。

「分野……ですか?」

「そう。何を学びたいかだよ。入ったときには決まってないと思うから、何となくでいいよ」

 ウッドソンはそう言うと、ルーズリーフを取り出して、メモを取る準備を始めた。ヴァージンは、やや首を下に傾けながら数秒待ち、ゆっくりと顔を上げた。

「貧困社会学です」

「……グランフィールド、すごく専門的なものに興味持っているんだ」

「はい……。私の故郷の国がすごく貧しくて、私にできることを見つけようとしているんです。貧困って何なのか、そのための調査の方法とか、支援の方法とか……そういうのを学ぶために、イーストブリッジ大学に入りました」

「すごいじゃん」

 そう言うと、ウッドソンもバッグからシラバスブックを取り出してページをめくった。ヴァージンに見せたページは、ゼミ紹介のページだった。

「うちの大学では、2年の後期からゼミに入れるんだけど、最初からこの人についていく感じだね」

「……こ、この先生ですか!」


 ――シリル・ハイドル!


 ヴァージンは、ウッドソンの広げたページに目をやった。そこにははっきりと「貧困社会学」と書いてあった。

「貧困社会学の第一人者がいるという話を聞いたことがあるのですが、ハイドルさんなんですね」

「もちろん。格差とか貧困、そういう分野の社会学は、この人が世界的権威だよ」

「なるほど……。そうだったんですね」

 そう言うと、ヴァージンはシラバスブックから目を離して時間割を開いた。

「できれば、1年生からハイドルさんの授業を取った方がいいですか」

「それは、グランフィールドに任せるよ。でも、1年生から先生の考えていることを知った方が、いきなりゼミに入ったときに困らずに済むのも確かかな」

「なるほど……。1年生向けに開かれているハイドルさんの授業を探します」

「それだったら、土曜1限の社会学基礎が一番なんじゃないかな。社会学部の必修科目で、そこは今年もたしかハイドルがやってたはずだよ」

 ヴァージンは、土曜日の時間割を開いた。そこには2限にはっきりとシリル・ハイドルの社会学基礎が書かれてあった。1年生から受けることのできるハイドルの授業を他の曜日も含めて探してみたが、どうやらそれだけだった。社会学基礎という科目は他に三つ開かれているが、それ以外のコマに用はなかった。

「土曜日に授業やるっていうのは、なかなか珍しい先生だよ。2年生向けに土曜2限に貧困社会学、そしてゼミが土曜3・4限という珍しい先生なんだ」

 ウッドソンがそう言うと、ヴァージンは再び時間割の土曜日のページまで戻り静かにうなずいた。

「そうなると、この先のことを考えると土曜日は必ず大学に来なきゃいけないですね」

「あれ、グランフィールドはそうじゃなくても土曜日に来なきゃいけなかったはず」

「えっ……」

 ヴァージンは、思わずウッドソンの顔を見た。すると、ウッドソンは時間割の土曜日のページを広げたまま、指をゆっくりと下ろした。

「この、オメガ語(留学生用)という科目。オメガ語を母国語としていない国から来た学生は、二つ取らなきゃいけない第二外国語のうち一つは、必ずこれになるんだ。土曜の3・4限に、1年生は必ず受けなきゃいけない」

「あまり気にしなかったです……。というか、トレーニングに夢中でどうやって授業を取っていけばいいのかもほとんど忘れてしまいました……」

「だ、大丈夫?グランフィールド。俺たち、一応大学生なんだから、聞いてないじゃ済まされないよ」

「そうですね……」

 既に、新学期が始まって講義も月曜・火曜・水曜のぶんは初回が終わっているが、ヴァージンは大学に来ては半ば適当に出ていたのだった。幸いにして、月曜3限の「社会学調査法基礎」、水曜1・2限の「アフラリ語」、水曜4限の「研究基礎」といった必修科目には出席しているものの、それぞれ「調査をしなきゃいけない」「ウォーレットの国の言葉を学びたい」「研究の方法を知りたい」といった偶然に近い出席だった。

 そもそも、アメジスタの中等学校では生徒が時間割を選択すること自体なかったぐらいだ。

「グランフィールドは、今日ここで時間割決めないと大変なことになるよ……」

「すいません……。全然大学のシステムとか分からなくて……」

「大丈夫。俺が付いているって」


 その後、ウッドソンのほぼ手取り足取りで、ヴァージンが取ってみたい授業から時間割を埋めていった。もちろん、その段階でメリアムから話のあった「陸上部は水曜日だけでいい」ということもヴァージンは話した。

「じゃあ、できれば大学に来る日自体を少なくした方がいいのかもね」

「ウッドソンさん。むしろ、今までのトレーニングスケジュールのように、昼前後に大学に来て学ぶというスタイルにしようと思っています」

「なるほど……。じゃあ、他の科目もそのあたりにした方がいいかな……。木曜2限は必修の現代社会学があるけど、それと被っている社会学史は2年にして、代わりに選択専門科目の家族論を木曜4限に入れよう。4限入れて、トレーニングには影響しない?」

「たぶん、大丈夫だと思います。というか、すごすぎます……」

 ヴァージンは、次々埋まっていく時間割に、ただただ唸るだけだった。

「あとは、俺じゃ決められない一般教養かな。グランフィールドがやりたいものを選んでいいよ」

 一般教養は、日々トレーニングをしている運動部の学生については体育1コマが免除されるものの、社会学部の場合には社会科学の専門分野以外から一つ、人文科学と自然科学をそれぞれ二つずつ1年間履修しなければならない。このこともヴァージンは忘れていた。開講科目を調べて、社会科学は水曜3限の「経済学」、人文科学は木曜3限の「オメガ史」、自然科学は月曜2限の「生物学」を履修し、人文科学と自然科学の残り1科目ずつは2年以降に回すことにした。


  月曜 2限=生物学 3限=社会学調査法基礎

  水曜 1・2限=アフラリ語 3限=経済学 4限=研究基礎

  木曜 2限=現代社会学 3限=オメガ史 4限=家族論

  土曜 1限=社会学基礎 3・4限=オメガ語


「こんなに大変だとは思いませんでした……」

 時間割を組み終えたヴァージンは、深いため息をついた。免除となった体育も含めれば、1年の段階で13コマ履修したことになる。周りを見ると、他のテーブルでは履修相談ではない話題に移っており、人によってはもう帰ってしまっている人もいた。

「これで、もういつトレーニングするかも決まったね」

「はい。むしろ、これだと土曜日は4限後の長距離パートに出た方がいいですね。アカデミーは、水曜と土曜は完全にオフにして、後は授業の前後に行くことにします」

「まぁ、土曜日は朝からアカデミーに行けないからね……。そこは無理しなくていいんだからね」

「はい」

 ヴァージンは、ウッドソンの顔を見てかすかに笑った。その目線の下に映る時間割は、アスリートと大学生の両立の難しさをはっきりと物語っていた。

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