第5話 夢と現実
大地を踏み締めている感触が足から伝わってくる。
しかし、踏み締めているにも関わらず見えるのは闇だけ。
それが目を閉じているからだと解るのに時間はかからなかった。
1人の少年はゆっくりと瞳を開く。
だが、そこに映ったのは少年が見慣れた風景ではなく“黒と白”の世界。
見慣れている筈の街並み、空までもが純白に染まり、その純白に染まった道路には漆黒の黒が浮かび上がっている。
少年は、それを見て叫び声を上げそうになった。
その黒は――人の形をしていたのだ。
いや、人だけではない。
所々に犬、鳥、猫などの形の黒が蠢いている。
目を閉じていた方がまだ良かったかもしれない。
まだ小学生になったばかりの少年には吐き気すら催すほど、この光景は悲惨だった。
“黒と白”
街を染め上げ、塗りつぶしている色はそれだけしかない。
「なんなんだよ、これ……」
少年は無意識のうちに呟いた。
いや、声に出さずとも理解していた。この光景がなんなのか。
ただ理解したくなかった。
「――あなたがやったんじゃない」
答えなど求めていない少年の問いに、背後から誰かが答えた。
反射的に振り向く。
そこにいたのは1人の女の子だった。
ただ、“普通の”と言うには些か彼女は少年にとって異質だった。
彼女の髪は黒と白。
彼女の服は黒と白。
彼女の瞳は黒。
彼女の肌は白。
腰まで届く長髪は黒と白が混ざり合い、そして黒と白のドレスに身を包んでいる。
そこから覗く肌は雪のような白く、さらに人形のように整った顔、そこにはめ込まれた瞳は真っ黒。
この光景に馴染みすぎるほど、彼女は“黒と白”で統一されていた。
「あなたがやったのよ」
もう一度少女は囁く。
澄んだ声、だがその内容は少年の心を深く抉る。
――アナタガヤッタノヨ。
頭の中で反復される言葉。
それと共に少年の頭に流れてくる映像。
――街を白く染めたのは俺で。
――人を、生き物を黒く染めたのも俺。
「違……う……!」
幾ら否定の言葉を吐いても、流れてくる映像は少年がやったと肯定する。
まるで少年の心を染め上げ、塗り潰すように。
「違う……ッ!」
「違わないわ」
吐き出した否定を、すぐさま少女は否定する。
「あなたがやったのよ。白く染め、黒に塗り潰した」
「やめろ……!」
必死に首を振っても少女はそれを許さない。
気付けば息が荒く、心臓は破裂せんと激しく脈打つ。
「ほら、あそこ」
少女はそう言うと、少年の背後を指差す。
振り向くと、少女の指は2つの“黒”を指していたことに気づく。
だが、その“黒”を見て少年は絶句する。
「父……さ……母さ、ん……?」
捻り出した言葉は、少年自身の心には届かない。
――2つの“黒”は少年の父と母の形をしていたのだから。
「あ、ぁ……」
彼の中で、何かが壊れた。
「あぁぁあああああ!!!!」
★☆★☆★
「兄さんっ!!」
大声が聞こえ、途端に伶は目を覚ます。
目蓋を開いた先に見えたのは、いつもは笑顔が絶えない妹の心配気な表情だった。
「夢、か……」
そう呟き、どこかホッとした。
足を立て、膝に頭を抑えつけて気持ちを落ち着かせるようにそのままの体制でいることに。
「大丈夫?」
「あ、ああ。心配かけて悪いな、美鈴」
少し落ち着いた頃、妹の白崎美鈴は再び心配そうな声音で尋ねた。
いつもは元気一杯の笑顔を振り撒く彼女だけに、今の表情はらしくない。後ろで束ねたポニーテールもどこか萎れているように見える。
心配させじと伶は無理矢理笑みを作り、美鈴の頭に手を置いてそのまま撫でる。
気持ちよさそうに目を細める美鈴を見て「こいつはこうでなくっちゃな」と内心で安堵した。
「朝ご飯できてるからね!」
上機嫌になって部屋を出て行った妹を見送り、ようやく起き上がる伶。
気付けば体中がじっとりと汗ばんでいて気持ちが悪い。
取り敢えずシャワーを浴びることに決め、そのまま部屋を出た。
ここは慧神学園の第一寮棟、その304号室。
二人部屋であるこの一室に、伶と美鈴は2人で住んでいる。
この学園には男子寮、女子寮に分けられるという概念は無い。
勿論部屋は別々なのだが、伶と美鈴に関しては兄妹――といっても本当の兄妹ではなく従姉なのだが――であるために例外だ。
二人部屋にしては広い室内は共用のリビング、キッチン、バスルームとトイレ完備、個人用の部屋が2部屋という間取りになっている。
そのリビングでは、シャワーを浴びて慧神学園の制服に着替えた伶と、同じような女子用の制服を纏った美鈴が食卓を囲んでいた。
「――そういえば」
そんな中、黙々と食事を取っていた美鈴が、味噌汁に口をつけたまま思い出したように口を開いた。余談だが白崎家の朝食は和食と決まっている。
「昨日学校から依頼があったって言ってたけど、どんなのだった?」
「どんなのって言われてもな……」
興味深々といった風に問いかける美鈴に、困ったような表情をしながらも昨日行った依頼について思いを馳せる。
『大手産業会社に立てこもった身の代金を要求する犯人を投降、若しくは殲滅せよ』それが昨日伶たち三人が受けた依頼だ。
それを聞いたときは「なんで俺たちが」とも思ったが、国直々の依頼だとあって断ることもできなかった。
依頼自体は簡単だった。ただ殲滅すればいいだけという極めて簡単な依頼だった。
――はずだった。
(使っちまったんだよな……)
思い出して露骨に顔をしかめる伶。
昨日使ってしまった彼の“力”。使ったのは少しだけとはいえ、本来は使うつもりもなかったものだ。
“人間”相手には決して使わないと自ら決めたその力を。
「に、兄さん?」
気付けば美鈴が心配そうな顔でこちらを伺い見ていた。
「どうかした、の?」
「い、いや!別に簡単な依頼だったから何もなかったって!」
「それならいいけど……」
伶の返答にどこか釈然としない面持ちをしていたが、結局それ以上追求することもなく、2人は再び箸を動かし始めた。
★☆★☆★
食器を片付け、学校へ行く準備をする。
といっても今日は始業式であるため、特に準備するものはないのだが。取り敢えず財布と筆記用具だけを鞄に入れる。
最後に鍵を制服のポケットに入れ伶は自分の部屋を出た。
扉を開けると、目の前には準備を終えた美鈴の姿。
伶が出てきたのを見計らって、トコトコと寄ってくる。そして、徐に手をこちらへと向ける。
「ッ!?」
首元へと伸びる腕を見て、反射的に身体が強張った。
だが、次の瞬間には美鈴の手が襟元に触れた。
「ネクタイ歪んでるよ?」
「え?あ、ああ」
襟に手を持って行く美鈴を見て、一瞬ビクリとする伶だったが、そのままネクタイを整え始めた美鈴に最早何も言うことはできず、なすがままになってしまった。
「――うん、これでよし!」
元気よくそう言って身体を放す美鈴。一瞬名残惜しそうな顔をしたように見えた。
「さ、さあ、行こう!」
首を傾げる伶に対して、誤魔化すように美鈴が言い放つ。
玄関へと早歩きで行く美鈴に、伶は「あのさ」と、声をかけた。
「ど、どうかしたの?」
「ネクタイ、ありがとな」
「〜〜っ!!」
笑顔で謝辞を述べる伶だったが、肝心の美鈴は更に足を速めて小走りで向かう。
しかし、その頬が朱色に染まっていることに伶は気が付いた。
「おいおい、あんまり急いで転けるなよ?」
そんな妹の姿は照れたためだと勘違いしながら、苦笑しつつ伶も玄関へと向かった。
先に靴を履き終えた美鈴も、今は通常通りの表情で伶を待っている。
伶も早々に靴を履き、金属製のドアへと手を掛けた。
「「いってきます」」
2人一緒にそう言い放ち、自分たちの部屋から外へと一歩踏み出す。
室内には、扉を閉める音だけが無意味に響き渡った
次回予告!
「おはよー」
「――取り消せ」
「俺がやりました」
「兄さん……」
「クソッ!」
「解ってるから安心しろ」
次回 第6話【格差】
「レベルが一体なんだと言うんだ……!」