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初夏の送別

作者: 冴吹稔
掲載日:2026/06/03

「初瀬、今日定時に上がれる? 帰りちょっと付き合って欲しいんだけど」


 同じ営業部の二年先輩にあたる女子社員、染井由佳がそんなそんな風に持ちかけてきたのは、六月初めのからっとよく晴れた午後のことだ。

 飲みの誘いだとちょっと嬉しいな、と思った。そろそろビールが美味い季節だ。先輩にその気がなくても、まあ誘ってみる余地はある。


「……いいですよ。今日予定してた先方との打ち合わせ、流れちゃいましたからね」


「そりゃ大変だ……君、なんかやらかした?」


「別に俺の落ち度じゃないです。お偉いさんの使い込みが発覚したとかで、取引どころじゃなくなったみたいですね。まあ災難ですよ」


「あー、なんかネットニュースででちらっとやってた気がする。君の商談相手だったか……じゃあそれも肴に一杯」


「いいですね。ちょうど飲みたい気分でした」


「なら話が早い。駅前からちょっと入ったとこの居酒屋ね。大分前にお昼一緒したとこ」


 染井先輩はよしよしとうなずくと、残務を片づけに自分のデスクに戻って行った。

 

 

(どうやって誘おうかと思ったけど、何のことはなかったな……)


 たぶん、先輩も飲みたい気分だったのだろう


 染井先輩とは入社当時、配属先で教育係としてつけられて以来のつきあいになる。グラマラスな美人だが鼻っ柱が強すぎて、頼りにはしたが女性として意識することはほとんどなかった。

 むしろそれがかえって幸いしたのか、現在までいい友人関係を維持できている。

  

 東京近郊の地方都市に本社を構える、中堅どころの建機リース会社に就職してはや五年。お互い三十近く、そろそろ人生に何か転機があってもよさそうな頃だが――

 

 

 駅前の繁華街を少し歩くと、指定の居酒屋はすぐに見つかった。店内を見廻すと染井先輩は既に注文を済ませたらしく、背の高いシリンダーグラスに注がれた薄いはちみつ色の液体と向き合っていた。

 

「きたきた。先にやってるよ」

 

「ビールじゃないんですね」


「あの酔い加減があまり好きじゃなくてさ。なわけで梅サワー」


「あー……」


 シリンダーグラスに浮かぶ大玉の梅を見れば、どうしても言いたくなるギャグがある。


「……わしの梅サワー!」


 だいぶ古いロボットアニメの珍セリフ。と言っても俺自身は切り抜き動画やMADと呼ばれる珍奇な編集をされた動画を通じて、断片的に知ってるくらいだが。

 

「やめなよ、地球が停まっちゃうでしょうが。あとが続くわけでもないし」


「そっすね」


 こういうネタも通じるのが先輩のありがたいところ。俺たちはともに、同世代のいいオタク仲間でもあるのだ。

 

「それで……今日は何の話です? ただの飲みって訳じゃなさそうですよね?」


「ああ、うん。たまに勘がいいよな、君」


 先輩は梅サワーを脇に置くと、居住まいを正してこちらへ向き直った。

 

「実は、九月からポーランドの提携先に出向することになった」


「へえ!? そりゃまた……でもなんで九月に?」


「知ってるかと思ったが……あのね、ヨーロッパやアメリカはじめ、海外では年度の切替わりが九月ってとこが多いのよ。小麦の収穫時期と関係あるらしいんだけど」


「あ、なるほど。そういえば昔読みました。クレメントの『二十億の針』で主人公の学校休みが……」


「渋いとこきたねぇ」


「子供向けのリライトですけどね。図書館で借りて、夢中になって読みましたよ」


「まあそれはさておき、ポーランドね。あそこ、お隣(ウクライナ)の復興に協力してて、重機いくらあっても追いつかないらしくてさ……二年くらいいることになるかな? それで、来月に送別会をやってもらうことになったんだけど――」


「ええ。それで……?」


 先輩の話の引き方になぜか不穏なものを感じて、俺はわずかに身構えた。

 

「うん、どうしても君に、頼み(たなび)たいことがあるんだ」


 チャージマンネタまで挟みつつも、先輩は一呼吸おいて、この場ではひどく場違いに響く単語を吐きだした。

 

「……アンブロシア」


「げえッ?」


 ギリシア神話の、神の食物とされる果物。だが、こと俺にとってはまた格別の、全く別の意味を持つ。

 

「間違ってないという自信はあるんだけど……君だよね? アンブロシアこと『観月灯』。十年前に動画サイト専門で鳴らしたネットアイドルユニット、『MYTH PRODUCE(神話の果物)』のセンター」


「な、なんで……何でそれを」


「しかしてその実体は、まさかまさかの『男の娘』。今は黒岸建機リース営業部員、初瀬明人」


「アイェエエ……アンブロシアナンデ!?」


 重度のアンブロシア・リアリティショックを発症した俺は、ひとしきり座布団の上でもがいた後、眉間に先輩のもっちりした手刀を頂戴して正気に戻った。

 

 

 

「うう……そもそもの始まりは、小学校の家庭科実習なんです。調理のためにエプロンと三角巾をつけた自分の姿が鏡に映って、なんかすごく可愛いなって思って、それから……」


「あー、いいからそういうのは。まあわかる……っていうか、わからなくはないけど」


 三杯目の梅サワーに口をつけ始めた先輩の前で、俺はしょんぼりとうなだれていた。高校を卒業すると同時に女装はやめて、「MYTH PRODUCE」も活動を停止した。足跡は徹底的に消したつもりだった。

 

「それが、何で……」


「何かゴメンね。世の中って結構狭いもんでさ。メンバーの面白枠で『ワクワク』って子がいたでしょ? あれ、私の従妹なんだわ」


「チキショーメー!」


 なんてことだ。元メンバーの仲間に売られたとは。

 

「それにさ、私も大学いっぱいまではコスとかやってたから、君らの活動には注目してたのよね。ああいうボーイッシュというかスレンダーなキャラは、私には無理で羨ましかったしさ」


 そういうこともあるのか、と俺はつい先輩の胸元をチラ見した。実際デカい。うんその身体でローティーンキャラは無理ですわ。


「つまり、その……まさか」


「うん。送別会で、アンブロシアをもう一度見たい、踊って欲しい」


「無理っすよ!!」


 俺は流石に悲鳴を上げた。社会人、それも営業部での五年は男のフィジカルを大きく変える。昭和平成の頃程ではないにしろ、深更に及ぶ接待での飲みや寝不足。ストレスからの過食。

 意識してジム通いなどしてフィットネスを保ってはいるが、その分筋量も増え体型も変わってしまった。たぶんダンスというより格闘技の演武になる。スリックバックの浮遊高は半分以下になる。

 

「今やったら、アンブロシアじゃなくてアンブロシウスになっちまう……」


「ねえ。ラテン語風人名の男性名になると、何でこうもおっさん味がでるのかしらね」


 したり顔でうなずく先輩。

 

 結局のところ、俺は先輩に押し切られて一ヶ月の間、非常に困難なダイエットというか役作りというか、人体改造に挑むことになったのだ――

 

 

 * * * * *



「えー、本日はお日柄もよく、といってもう夜ですし屋内なので関係ないっちゃないんですが。これより我が社営業部の精鋭、染井由佳君を送る会を、盛大に執り行わせていただきます」


 黒岸建機の二代目社長である長身の伊達男、黒岸榴一(41)が気さくすぎるトーンであいさつを終えると、万雷というほどでもないがまばらでもない、程よい感じの拍手が鳴り響いた。

 

 知り合いの経営するホテルの小ホールを借り切って、ビュッフェボード・スタイルのパーティー。あいさつの後に乾杯が交わされ、皆が思い思いに食べて飲んで、談笑。

 

 主役の染井先輩が重役たちに囲まれてお辞儀や握手を繰り返す中、俺は密かな自負と高揚感をもってその時を待っていた。

 

 頑張ったのだ。体重は二十キログラム落した。筋力も落ちすぎない程度に保ちつつ、脱毛とスキンケアに勤しんできた。角栓取るのって、なんであんなに癖になるんだろうな――閑話休題。

 

 いまなら往時のアンブロシアには遠くとも、「こんなコンパニオン呼んだっけ?」と幹事に怪訝な顔をさせるくらいの仕上がりにはできそうだ。

 

 人の輪からそっと離れると、会場の袖に待機していたホテルの内務員のおっさんに、腰を低くして更衣室の場所を尋ねた。

 

「あー、更衣室はないけど、余興とかで着替えるってんならそこの用具室使っていいですよ。積んであるテーブルとか崩さないように気をつけてね」


「あざっす」


 旅行トランクに忍ばせてきた衣装は、通販でかき集めた可能な限り当時の雰囲気によせた扮装。藤色のチェック柄を部分的にあしらった白いドレスに、丈の短いレース生地のボレロを羽織る。足はきっちり脱毛してあるが、念のため厚手の白ストッキングでラインだけを見せる布陣。

 

 全身をチェックしたいが、ここには鏡が――

 

 

「ここにいたのね、そろそろ出番よ。詳細は伝えずに音楽と照明だけ指示してあるから、ぶっつけだけどよろしく」


 用具室のドアを開けて入ってきた先輩が、手提げから少し大きめの鏡を出してこちらへ向けた。

 

「アンブロシア……」


 若くて怖いもの知らずだったあの頃、いつも一緒だったヒロインがそこにいた――微妙に「シウス」によっているが、まあそれでも美女に見える。コーディネートはばっちり決まっている。嘘みたいだ。

 

 驚いたことに、先輩もビジネススーツから着替えて、いかにもどこかのゲームかアニメにいそうな美少女キャラ風のコスチュームに身を包んでいた。

 

「呆けた顔しない。君一人に恥かかせる気はないんだって。まあ承諾させるには脅迫まがいのことも言ったけどさ……実のところ、私はアンブロシアと踊りたかったんだ。ずっと」


 差し出してきた彼女の掌には、自信が髪に飾っているものと色違いの、大きなヘアピン付きリボンがのっていた。

 

「さ、これ付けて。仕上げよ」


「……はい」



 先輩とどちらからともなく手を取り合って、俺たちはホールへと足を踏み入れた。戸惑ったようなどよめきと、面白半分の拍手が鳴り響く。

 

 ――さあ、これをいまから盛大な賞賛のアプローズに変えるからね。

 

 耳打ちの後に頬に柔らかいものが触れた気がして、体温がカッと上がった。

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― 新着の感想 ―
1ヶ月で20kgの減量及びアンブロシウスという語感と印象で脳内力石が再生されました。激痩せで会社の人に心配されてそう。 当時のファンの反応も見てみたいですね。
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