第六依頼 精霊の涙 8話
地上より遥か上空には、地下世界同様異なる空間が存在している。そして、その中を一隻の船が浮いていた。白く、異常に大型な船で、中央の甲板からは一本の大木が生えている。
そんな船の中にある、狭い一室にリアエルはいた。電気の点いていない部屋の中に蝋燭が敷き詰められており、呪いの儀式をしているかのような異様な雰囲気だ。
『わるけわ をしたわ いめいせ いしらたあ うがね いがね』
リアエルの詠唱とともに、蝋燭の火が全て消えた。
『てけあをめ あさ!』
蝋が溶けていき、一つの塊になる。大きく、白いその塊にリアエルは優しく触れた。
蝋の塊は動き、形を変えていく。ゆっくりと、ゆっくりと。やがて、少女の姿へと変わった。
血色のいい肌の色。サラサラの白髪。どこからどう見ても人間にしか見えない。
リアエルがパチンッと指を鳴らすと、部屋が明るくなった。
「ほら、起きるですよ」
「んっ……」
少女がゆっくりと目を開ける。リアエルと同じ青い瞳が、自身の主人を映した瞬間──少女は片膝をついた。
「おはようございます、リアエル様」
「うんうん。ちゃんと作れてますですね。真面目に眷属を作ったのは久しぶりだったから心配してたですよ。お前、自分が作られた意味は分かってるですね?」
「はい。私が存在する意味は星檻を使う人間──八崎陸の監視です」
「そうそう。ちゃんと分かってて偉いです」
リアエルは機嫌がよさそうに少女の頭を撫でる。
「お前の体は人間に極限まで似せていますです。加えて、認識阻害の魔法もかけたです。お前と僕の繋がりに気付く者はいないでしょう。……ですが」
直後、リアエルは少女の髪を掴み上げた。少女は痛みに顔を歪める。
「痛っ……」
「でしょう?人間に似せたので、耐久力や能力も人間と同レベルになってしまいました。一応、その姿を放棄すれば眷属としての力は使えるですが、地上では星檻の罰が下るです。時と場合を見て、元の姿と今の姿を上手く切り替えさい」
「は、い。承知いたしました」
少女の返事を聞き、リアエルはやっと手を離した。
少女は立ち上がりお辞儀をすると、「では行って参ります」と部屋から出て行こうとする。それをリアエルは呼び止めた。
「待ちなさい。最後に伝えておくことがあるです」
「何でしょうか?」
「名前です。普段は名付けなんてしないですが、地上で活動するならあった方が便利でしょう。僕、ちゃ〜んと考えてきたですよ」
コホンと咳払いをした後、リアエルはニッコリと笑って少女の名を告げる。
「天除キフシ、これがお前の名です」
「てん、のけ?」
「はいです。『キブシ』っていう花があるのですけど、そこから濁“点”を除けてキフシ。どうですか?気に入りましたか?」
「はい。とても」
「ふふん、ならいいです。もう行っていいわ。ちゃんと情報を持って帰って来るのですよ〜」
「はい。リアエル様のご期待に添えるよう尽力いたします」
♢♢♢
「ふんふふふ〜ん」
陸は上機嫌で公園を歩いていた。その手にはパン屋の紙袋があり、陸の周りには美味しそうなパンの匂いが漂っている。
(いつも買えない、パン屋ルビーの人気のカレーパンが買えたぞ〜!今日はいい日だな)
思わず立ち止まり、パンを食べる妄想をして涎を垂らす陸。そんな気の抜けた姿を見つめる影があった。天除キフシだ。
キフシは公園内にある木に身を隠しながら、陸を監視している。
(見つけました、八崎陸!ふふ、私に見られているとも気付かず呑気ですね)
隠れながらニヤニヤと笑っている姿は、傍から見れば不審者だろう。だが幸い、ここには陸とキフシしかいない。通報される心配はなさそうだ。
(!動き出した)
歩き出した陸を見失わないよう、キフシも木から離れる。だが、数歩進んだ所で体がふらつきだした。
「へっ?」
吐き気のような気持ち悪さに、痛む腹。足元も覚束ず、立っていられない。キフシはドサっと大きな音を立てて地面に倒れた。
ダラダラと冷や汗を流しながら、今の状況を理解しようと思考を続ける。しかし、つい先程目覚めたばかりのキフシには何も分からなかった。
そして、そんなキフシを更に追い詰めることが起きる。
「おい!大丈夫か!?」
「!」
(や、八崎陸!やばい、まずい、どうしましょう〜!?)
陸がキフシの内心に気付くわけがない。走り寄ってきた。
「どうしたんだ?調子が悪いのか?」
「えっと……ち、違います。わざとですよ」
「わざと?」
「はい。私は自然を直に感じたいから倒れているだけ。決して謎の不調に困っているわけではないのです」
「そ、そうか?なら──」
グゥウゥゥ
その時、大きな音が辺りに響いた。獣の唸り声のような恐ろしい音に、キフシは思わず息を飲む。相変わらず体に力は入らないが、このままでは危険だ。
「な、何ですか今の!?もしかして敵……?に、逃げてください!私のことは構わないので貴方だけでも逃げて!」
「いや、敵というかその、女子に対して言いづらいけど……今の、お前の腹の音だよな」
「は、腹?」
「おう。腹が空いてたんだな、お前。待ってろよ〜」
陸は紙袋に手を入れ、1個のパンを取り出した。白い包みに入っているそのパンからは、食欲をそそる美味しそうな匂いがしている。
グゥゥ
キフシの腹の音がまた鳴る。陸は苦笑しながらパンを差し出してきた。
「ほら。ここのパンは美味いから食ってみろよ」
「あり、がとうございます。でも、あの、起き上がれなくて……申し訳ないのですが食べさせてくれませんか?」
「ええ……いいけど……」
陸はパンをキフシの口元にもっていく。キフシは食べづらそうに一口だけ齧った。そして直ぐに目を見開く。
「な、な……なんて美味しいのでしょう!」
キフシは勢いよく起き上がった。先程まで動けなかったのが嘘のような速さだ。パンを持つ陸の手を掴み、バクバクと食べ始める。
陸は呆気に取られたものの抵抗せず、その状態で食べさせ続けた。
キフシは完食してから、やっと陸の手を離す。
「ご馳走様でした」
「お、おお……凄ぇ食いっぷりだったな。いつから食ってなかったんだよ」
「これが生まれて初めての食事です」
「そっか〜なら仕方ないな〜」
「むっ、信じていませんね」
キフシが不貞腐れていると再度腹が鳴った。あれだけでは足りかなかったようだ。流石にキフシも恥ずかしくなり、腹を押さえる。
その様子を見た陸は、公園にあるベンチを指差した。
「はは、まだ腹が空いてるのか。じゃあ他のパンもやるよ。あそこに行こうぜ」
「い、いえ。これ以上は本当に申し訳ないです」
「気にすんなって。結構買ってるし。それに、困った時はお互い様だからさ」
「……で、では」
そうしてベンチまで移動し、貰ったパンを1個食べたキフシだが、彼女の体はそれでも満足しなかった。その度に陸からパンを貰い、結局は全てのパンを食べ尽くしてしまう。
キフシはベンチから立ち上がり頭を下げる。
「ごめんなさい!美味しいからって、貴方のパンを全部食べてしまいました!」
「気にすんなって。オレが好きでやったんだから」
「駄目です!せめて何かお詫びをさせてください」
「お詫びか……じゃあ、お前名前は?」
「え?キフシ……天除キフシです」
「オレは八崎陸!なあキフシ、お前さえよかったら友達になってくれないか?」
「友達、ですか?」
不思議そうにしているキフシに、陸は太陽のように明るい笑顔を向けた。
「おう!今のパンを買ったパン屋以外にも、オススメの店が沢山あるからさ、今度一緒に行こうぜ」
「それはつまり……この世界にはあのパン以外にも美味しいものがあるということですか?」
「もちろん!この辺りにもいい店が多いぜ?出汁にこだわってるラーメン屋に、唐揚げが美味い定食屋。後は焼肉もいい店があるんだよな」
指折り数えながら話す陸。次々と上がっていく食べ物の名前に、キフシはつい涎がでてしまう。
袖で涎を拭い、陸にグッと近付く。
「いいですね!いつ行きます?今からはどうですか?」
「オレは構わないけど……さっき食ったばっかなのに大丈夫か?」
「問題ありません!まだまだ食べられます!さあさあ!まずはそのラーメン屋?にいきましょう!」
「そうだな。この公園から1番近いし、オレも腹が減ったからな。行くか!」
「はい!」
そうしてキフシは、陸と雑談をしながら歩いて行った。……自分の仕事を忘れて。
♢♢♢
「……はあ」
翌日。キフシは昨日と同じ公園にいた。ベンチに上品に座り、憂いを帯びた表情をした彼女は、彫刻のように美しい。
(リアエル様に怒られました……。当然ですよね。監視対象と接触したばかりか、仕事を忘れて楽しんだのですから。でも、だからこそ今日はちゃんとしないと!)
キフシは立ち上がり、胸元でグッと拳を握る。
(幸い、八崎陸と再会の約束を取り付けることができました。きっと、もう直ぐここに来るはず。何か、リアエル様に有用な情報を引き出してみせます!)
「おーい!キフシ〜!」
「あ、り、陸さん」
陸が小走りに近寄ってくる。キフシは急いで作り笑いを浮かべ、手を振った。
「ごめん。待たせたな」
「気にしないでください。私が早く着いてしまっただけです。それで、今日はどこに行くのですか?」
「ん〜、昨日の様子を見るに、キフシはガッツリ系が好きそうだったからな〜。まずはハンバーガーはどうだ?チェーン店のだけど美味しいし」
「ええ、構いませんよ。そこに行きましょう」
「オッケ!じゃあ付いてきてくれ」
全く疑う様子のない陸に、キフシは内心ほくそ笑む。
(ふふ、やはり私の正体に気付いていませんね。昨日は本気で楽しんでしまいましたが、今日は違います。何を出されても惑わされません。覚悟しなさい、八崎陸!)
♢♢♢
「美味し〜い!!」
キフシはキラキラとした瞳で大きいハンバーガーを食べていた。一口しか食べていないようだが、口の周りにはソースが沢山付いている。
「これ、美味しいです!お肉がジュワ〜としていて、野菜とチーズも入っていて」
「だろ〜!ポテトも食べてみろよ」
「ん〜!これも美味しい!私、もうここに住みます!」
「分かるぜ。毎日食べたいよな」
陸と楽しく話しつつ、大口を開けて何度もハンバーガーに齧りつく。そして、無くなったら机の上にある包みを取る。別の味だったが、それも気に入ったのだろう。“幸せ”という感情が顔から滲み出ている。
そのまま3個目を食べ進めている途中、ふとキフシは動きを止めた。
(あれ?私、何か忘れている……?何か目的があったような?)
「おいキフシ!」
「は、はい!どうしました?」
「ここ!次この店に行こうぜ!」
「こ、これは、美味しそうなものが沢山!行きましょう!絶対行きましょう!楽しみです!」
大切なことを思い出せそうなキフシだったが、陸から見せられた食べ物の写真で全て忘れてしまう。
キフシはニコニコと笑いながらハンバーガーを食べる。
(何を考えていたのか忘れてしまいましたが、まあ、いいですよね!今大事なのは陸と行く食事のことですもの!)
結局、その日もキフシは一日遊びつくし、リアエルに怒られるのだった。




