第六依頼 精霊の涙 5話
「鮫は……いないな」
「スイバを探しているのだろう。だが、好都合だ」
「好都合?」
灯は陸の近くに寄り、耳元で囁く。
「この辺りで戦えば、テケルに星檻を見られてしまう。できれば離れた場所に行きたい」
「あ、そっか。そうだよな」
灯は陸から離れ、上を指差した。
「もしかしたら赤い水の所に戻っているのかもしれないね。行ってみようか」
あくまで自然に、疑われないように移動を始める。
しばらく泳ぎ続け、目当ての場所に着いた。辺りを探してみるが、赤い水の中には鮫どころか他の魚もいない。
陸は拍子抜けしたような気分になりながら次に行く場所を考える。すると──
「陸!下だ!」
「っ!」
灯に言われ、下を見る。そこにはあの鮫がいた。鮫は陸達に気付いており、どんどん接近して来ている。
ひとまず避けるしかない。そう考え、陸が動こうとすると、灯が止めた。
「少し待ってくれ」
灯は鮫から目を離さず、陸と反対方向に動き出す。するとどうだ、鮫も灯の方へ向かっていくではないか。
「やはり……陸!ボクが鮫を引き付けている間に星檻を!」
「わ、分かった!」
状況はいまいち理解できないが、質問は後だ。陸は手を前に出す。
『我、星の鍵を握る者』
現れた金の鍵を力強く握り、続ける。
『全てを呑み込む星の海 闇に沈むは罪ある者』
灯に咬みつこうとスピード上げる鮫。その体を、どこからか伸びてきた黒い手が掴んだ。手は鮫を力強く押さえている。
『管理者、八崎陸の名において現界を許可しよう』
陸が詠唱を進めるとともに、鮫より大きな檻が、灯と鮫の近くに現れた。
(っ!)
灯は息を飲む。ここまで至近距離で星檻を見たのは初めてだった。
いつもとは比べものにならない程の恐怖心が心臓を、脳を、血管の一本一本を支配していく。理屈ではない、思考なんてできない。まるで脳と体が切り離されたように動けなくなるのだ。
『──星檻よ、幽世を開け』
扉が開き、中から腕が伸びてくる。そして灯の目の前で鮫を掴んだ。鮫は怯えながら弱々しく抵抗するが、そんなもの意味がない。檻の中に引きずり込まれてしまう。
檻は鮫を閉じ込めると扉を閉め、ぼやけて消えていった。
檻が完全に見えなくなると、赤い水も本来の青に戻っていく。あの色は鮫の影響だったようだ。
異常がなくなり静けさを取り戻した海の中で、陸はホッと息をつく。そこでやっと灯が動かないことに気付いた。
「あれ?灯さーん!大丈夫?」
「う、うん。問題ないよ」
灯はぎこちなく笑いながら陸の方に向かう。
「ひとまず鮫は倒せたな!でも、何で灯さんを狙ったんだろ?」
「ああ、それはボクがスイバの髪を持っているからだろうね。敵の狙いはスイバの可能性が高いと思って、何かに使えるかと念の為に1本だけ拝借しておいたのさ」
成程と陸は納得する。鮫はスイバを優先的に追うようになっていたのだろう。
灯は髪の毛を捨てつつ、チラリと横を見る。
「で、ボクの考えはあっているのかな?ねえ、覗き見君」
「!」
「……気付いていたか」
その声とともに、1人の男性が姿を現す。男性は陸達より高い位置で、見下ろすように立っていた……もとい、水に浮いていた。
男性は灯に向けて拍手をする。そして、教師が出来のいい生徒を褒めるように「素晴らしい」と賞賛を送った。
「姿は完全に消していたはずだが、よく分かったな」
「ボクは耳がいいからね。キミの心臓の音が聞こえてきたのさ」
「嘘だな」
「嘘だよ」
口調は軽いが空気は重い。灯も男性も貼り付けたような笑みを浮かべており、鈍感な陸でも警戒し合っていることが感じ取れた。
男性はやれやれといった態度で話し始める。
「全く……私にそんな態度を取っていいのか?私は今、お前達の仲間をいつでも殺せるのだぞ?」
「……は?」
陸は目を見開く。言っている言葉の意味が分からない……いや、分かりたくない。
「ど、どういうことだよ!?」
「理解できなかったか?私の倉庫代わりの小屋に、無策で突っ込んで来たお前達の仲間だよ。私が何の対策もしていないと思ったのか正面から入って来てね……流石に驚いたよ。馬鹿過ぎて」
「そ、そんなこと……」
「信じられなければ信じなくてもいい」
マミとフェリが負けるわけない。……だが、相手の戦力を把握しきれていないことは事実だ。現状では男性の言葉を完全に否定することはできない。
灯が男性に問いかける。
「へえ〜、そうかい。そこまでする程にキミがボク達に望む物は、やはりスイバかな?」
「もちろん。俺はアレの能力が……全てを癒す涙が欲しい」
灯は溜息をつく。予想通りの言葉だったらしい。
「どこでスイバの存在を知ったのかは分からないが、キミが望むような力を彼女は持っていないよ。ただの都市伝説さ」
「お前は嘘しか言わないな。無駄だ。私は彼女を……いや、彼女と親しかった人間を知っているからな」
男性は懐から1冊のノートを取り出す。ノートには魔法がかけられているようで、海の中でも濡れていない。
「これは死んだ祖父が幼少期に書いていた日記だ。祖父はこの海辺でスイバと出会い、心を通わせ、最後には再開の約束をして別れたらしい」
「!それって……」
『再開の約束』……もしかしたらスイバが言っていた友人はこの男性の祖父なのだろうか。
(けど、本当にそうならもう会えないんじゃ……)
陸の表情が曇っていく。だが、そんな変化に男性は気付いていない。いや、興味がないようだ。
話を聞いてほしい子供のように、男性は一方的に語り出す。
……………
元々、私は医者でね。沢山の患者を救い、同時に──看取ってきた。
生きたいと願う少女、死にたくないと縋る男性、そんな苦しみ続ける者達に、ただ謝罪することしかできない日々。『どうしたら皆を救えるのか』、それだけを考えて生きていたよ。
そんなある日、思い出したんだ。祖父が一度だけ語った昔話を。病も傷も、全てを癒す力を持つ精霊スイバの話を。
信じてはいなかったが、藁にもすがる思いで情報を集めた。そして、このノートを見つけ出し、ここに辿り着いたんだ。
はは、そうしたらどうだ!本当にいるじゃないか!伝説の精霊が!
スイバさえいれば世界中の人間を救える。皆を幸せにできる!これがどれだけ素晴らしいことか、お前達にも分かるだろう?
……………
男性は狂気をはらんだ瞳で陸達を見る。自分が正しいと信じているのだろう。否定されるとは思っていないようだ。
けれど、陸は男性の考えに同意できなかった。
「人を救いたいっていうお前の考えはいいと思うぜ。でも、それならスイバはどうなる?お前の考える『皆の幸せ』の中にスイバは入ってないだろ」
「当たり前のことを言うのだな。お前はトロッコ問題で3人を見捨てるタイプの人間か?私とは意見が合わない」
男性は呆れたように首を振り、冷たい目を陸と灯に向ける。
「まあいい。ならば本題に戻ろうか。改めて言おう。スイバをこちらに渡せ。さもなくば人質を殺す」
男性は本気だろう。もう冗談を言える雰囲気ではない。
しかし、この場面でも灯は余裕な態度を崩さなかった。とぼけた口調で男性に質問をする。
「う〜ん、一ついいかい?キミが言う『人質』は本当にボク達の仲間なのかな?」
「何を言っている?」
「いやなに、もしかしたら全く関係のない他人かもしれないと思ってね。勘違いで行動するのは避けたいからさ」
灯の態度に男性は苛立ちながら答える。
「チッ、黒髪の女と茶髪の大男と紫髪の男だ!」
「へ〜……なんだかキミの後ろにいる者達みたいだね」
「は?何を言って──」
「ばあ!」
「っ!?」
男性の顔の前、鼻先が当たりそうな程近い位置に、逆さの顔面が飛び出してきた。紫の髪に、この状況とは不釣り合いな明るい声。ダシェリーだ。
「お〜い、シェリ君〜」
「先に行かないでください」
上から声が聞こえてくる。男性がそちらを見ると、無傷な姿のマミとフェリが泳いできていた。
驚きで固まるしかない男性。それを無視し、ダシェリーはマミ達の元へ戻っていく。
「あらあら、申し訳ありません。ぼく達のことを話しているようでしたので」
「え?誰が……あっ!あの時の!見つけたー!」
マミが男性を指差す。
「りっくんと先生もいる!おーい!その人間、悪い子だよー!」
「うん。知っている」
「……何故」
「ん?」
「何故生きているのだ!私の部下は?あの化物
達は?どうやってあそこから逃げ出してきた!?」
取り乱した様子で質問をする男性に、マミは「えっとね〜」と、雑談をするかのような軽い口調で経緯を話し始めるのだった。




