第六依頼 精霊の涙 2話
正直なところ陸は期待していた。『精霊のいる海』、それはさぞ幻想的で美しい海なのだろうと。しかし、現実は違った。
「な、何だよ……これ……」
砂浜には『閉鎖中』の看板が立てられ、陸達以外の人影は一つもない。そして、肝心の海も酷い状況だった。
鮮やかな青は消え失せ、赤い絵の具を溶かしたかのように赤い海。更に、水は濁っており、全く底が見えない。
入ることを拒みたくなるような光景だ。陸は唖然として立ち尽くすことしかできない。
「何でこんなこと……」
「ふむ、人がいないのは助かるね」
「いやいや!それよりも気になることあるだろ!この海、絶対普通じゃねぇよ!」
「確かに酷い状態だが、今回の依頼とは関係ないからね。それに、こんな状態でもゴミ一つ落ちていないじゃないか。一応、管理はされているのだろう。解決したいのなら誰かが行動するさ」
「え、あ……本当だ」
灯にそう言われ、陸は改めて辺りを見渡す。空缶や袋などの故意に捨てられたゴミはもちろん、漂着ゴミも一切ない。砂浜だけ見たら綺麗だと言えるだろう。
灯はテケルに声をかける。
「スイバの呼び出し方、キミが聞いているのだろう?どうするんだい?」
「うむ、任せてくれ。ダアトの奴から伝えられた『セイバが絶対に反応する言葉』、それは……」
テケルは息を目一杯吸い込み、海に向かって叫ぶ。
「『見つけたのだよ!私の愛しい素材ちゃん!』」
「げぇっ!?ダ、ダアト!?お前は俺に近付けないはずだぞ!?どこだ!?」
近くの岩陰から誰かが飛び出しくる。それは女性だった。高い背と、夏の青空のように美しい髪が特徴的だ。
女性は警戒しながら辺りを見渡す。そして、陸達の存在に気付いた。
「むっ、ダアトはいないのか?でもお前とお前からはアイツの魔力を感じるな。それ以上俺に近付くな」
「あらららら。初めましてなのに嫌われていますね、ぼく達」
「ダアトめ……」
女性はテケルとダシェリーに対し、嫌悪の目を向けている。成程、ここまで嫌われているのなら、『部下だけで行ったら追い返される可能性が高い』と言っていたのも頷ける。
警戒されているテケル達に代わり、灯が話しかけていく。
「まずは確認を。キミがスイバで間違いないね?」
「そうだが……何だお前達は?」
「我々はキミに会う為にここまで来たんだ」
その言葉を聞いた瞬間、スイバはしかめ面をする。
「俺に会う為、ねぇ。……どうせ俺の涙目当てだろ?帰れ。涙欲しさに群がってくる連中の相手はもう飽き飽きだ」
「その反応……もしかして、ダアト以外にもキミを狙う者は多かったのかい?」
そんなことは聞かなくても分かっている。ダアトが言っていたではないか。
何故そんな質問をするのかと、陸は灯を見た。だが、灯の表情から意図を読み解くことはできなかった。
「当然なことを聞くな。俺の体は涙以外も全て特別なもの。誰もが皆、俺を欲しがる。……なのに俺自身は弱いから何度死にかけたことか」
「成程、それは大変だ。だからずっと姿を隠していたんだね。……おや?なら何故、今はここに留まっているんだい?」
「……」
スイバは何も答えない。しかし、それは無視をしているのではなく、正直に答えるかを迷っているからだ。
そんな彼女に寄り添うように、灯は微笑みかける。
「ここでキミの目撃情報が頻繁にあると聞いてね、何か事情があるのではと思ったんだ」
「そ、それは……いや、お前達には関係ない」
「関係あるさ。ボク達は探偵でね、困っている者を見過ごせないんだ。ここに来たのもキミの悩みを解決する為さ」
「は?俺の涙欲しさじゃないのか?」
「ボク達は違うよ。ただ、ダアトの部下である彼女達は涙が欲しいみたいだね」
灯はテケルを指差す。
「でも、彼女達も今までの連中とは違う。キミを傷付けたくないらしいんだ。そこで考えたのだけれど、ボク達全員でキミの悩みを解決し、その報酬として涙を貰う、というのはどうだろう?」
「むむ……報酬としてか」
先程まで敵意をむき出しにしていたスイバだったが、今ではすっかりと落ち着いている。後もう少しで悩みを聞き出せそうだ。
灯はスイバに近付いて行き、更に説得を続ける。
そんな灯の手腕にテケルは感心したようだ。小声でマミに話しかける。
「なあ、マミ。彼の話術は凄いな。映画で観た結婚詐欺師に通ずるものがある」
「んっと、それは褒めてる?貶してる?」
「もちろん賞賛のつもりだ。あの技は私には真似ができない。彼は卓越した才能を持っているのだな」
「そっかぁ。観る映画のジャンルを変えた方がいいかも」
そうしている間に灯とスイバの話が終わったようだ。陸達の方へ近付いて来る。
「お前達喜べ!この俺が依頼をしてやる!解決できれば涙を与えてやろう」
「!」
心の中で陸は喜ぶ。最初はどうなることかと思ったが、これならダアトの依頼を達成できるだろう。
スイバは一呼吸おいて、ゆっくりと口を開く。しかし、それは依頼の内容を伝えるためではない。
『陸を泳ぎ海を歩く 異なる生物と共に生きる為に』
スイバが陸達に向けて両手を広げる。
『今、彼の者達に精霊の加護を授けよう』
詠唱が終わると同時に、陸達の体が淡く光り始めた。光は数秒間続き、やがて緩やかに消えていく。
光が消えたことを確認したスイバは満足気に頷いた。
「よし、久しぶりにやったが成功だ。じゃあ、俺の住処に行くぞ」
「え!?依頼の内容もまだ聞いてねぇのに!?」
「内容は移動してから話す。ここにいたら人間に見つかる可能性があるからな。分かったら付いてこい」
喋りながらスイバは海に入って行く。……海に?
「住処って海の中かよ!?いや、他の皆は平気かもしれねぇけど、オレは普通に死ぬぞ!」
「陸君陸達、僕も死にますよ」
「私も長時間は無理かな〜」
「ええい!うるさい奴らめ!その為に魔法をかけてやっただろう!」
スイバは苛立ちをぶつけるように、騒ぐ陸達に海水をかけてきた。マミとフェリは避けたが、陸は顔面で海水を受けてしまう。
目を擦りつつ、口に入った海水を急いで吐き出そうとして気付いた。海水のあの塩辛さがしないと。
まるで飲料水のように無味無臭で、目にも入っていたはずだが全く痛みがない。
陸が驚きながらスイバを見ると、呆れながら先程の魔法を説明してくれる。
「今かけてやった魔法は、海の中でも地上と同じように生きれるようになる魔法だ。呼吸だって問題ない」
「凄ぇ!一生?」
「いや、効果はもって3日だな。相性が悪い奴は1日で切れることもある。だから、早く移動を──」
スイバが言い終わる前に声が聞こえてきた。遠くから呼びかけてくる声だ。
「おい!お前達!ここは立ち入り禁止だぞ!」
声のする方へ振り返ると、大きく距離を空けて1人の男性が立っていた。
「っ、まずい!早く海へ入るぞ!」
「えっ、ちょっ!」
「あ、おい!お前ら動くなよ!」
男性がこちらに向かって来る。これ以上話をしている時間はない。スイバが真っ先に海中へ潜り、陸達もその後に続く。
砂浜を蹴り、赤く濁った海の中へ入る。その瞬間、ヒヤリとした感覚が陸を襲う。まるで、高い所から落ちる夢を見た時のような、焦りにも似た恐怖だった。
何故そうなるのか、それは直ぐに理解できた。浅瀬のはずなのに足が着かないのだ。
陸は深呼吸して足下を確認する。海中は外から見た時よりは濁っていないが、それでも海底は見えない。暗く底の見えない暗闇だけが、ただただ口を開け、誰かが落ちて来るのを待っているようだった。
(あ、危ねぇ〜!ここが水中じゃなかったり、スイバの魔法がなかったら死んでたわ……)
陸以外も同じ思いだったようで、スイバを除いた全員が口々に驚きや文句を言っている。
「うるさいぞ!無傷なのだからいいだろう!ほら、奥に進むぞ」
言葉通りスイバは奥へ奥へ、深海に向かって進んで行く。こんな場所で置いて行かれては困る。急いで陸達も後を追う。
少しして、陸は背後から気配を感じた。不思議に思い、チラリとそちらを見る。
そこにいたのは一頭の鮫だった。口を開け、陸達を食べようと追って来ている。
「さ、鮫だー!」
叫びながらも鮫の姿を観察する。口の中を埋め尽くす程の大量の牙、苔が生えたように所々が緑色の体。誰の目から見ても普通の鮫ではないと理解できる。
スイバが叫ぶ。
「お前ら!急いで泳げ!この赤い水を抜ければ奴は追ってこれない!」
「お、おう!」
一心不乱に泳ぎ続ける。幸い、この鮫は一般的な鮫より速くないらしい。追い付かれることはなかった。
しばらくすると赤い水が薄れていき、見慣れた海水の色になっていく。
通常の海水と濁った海水の境目で鮫は止まる。そして、少しの間ウロウロと辺りを泳ぐが、諦めて戻って行った。
「な、何だよアイツ……何だよここ!」
「俺も分からん。だからお前達を連れて来たんだ」
「え、それって──」
スイバは真剣な表情で全員を見渡し、告げる。
「お前達に依頼だ──この海の異変を解決してくれ」




