黒井探偵事務所 1話
八崎陸は普通の高校一年生だ。勉強は苦手だが運動は得意。友達もいて家族仲も良好。どこにでもいる一般人である。
「またな陸ー」
「お〜また明日!」
友達と別れ、1人家路に就く。明日も明後日も、この普通の日常は当たり前にやってくると思っていた。──けれど、それは案外簡単に壊れてしまうものだったようだ。
「あ!明日小テストなのに教科書忘れた。入学してまだ1ヶ月なのに直ぐにテストか〜。取りに戻るのだりぃ……ふぁぁ〜」
顔を上げ、大きく欠伸をした陸の口の中に、空から勢いよく石が落ちてくる。
「ぐっ!?」
ゴクン
石を吐き出す前に反射的に飲み込んでしまった。数秒後、激しい頭痛が陸を襲う。蹲るのを我慢し、近くの物に寄り掛かろうと歩く。けれど意味はなかった。
「は!?何……!?」
陸の足元に小さな穴が空いたのだ。抵抗する余裕なんてあるはずがない。陸はあっけなく落ちていく。
穴の中は何も見えない程の暗闇だった。辺りからは呻き声だけが聞こえてくる。陸は恐怖で目を瞑り、心の中で助けを求める。……すると、脳内に幼い少女の声が聞こえてきた。その声は、陸を安心させるように優しい声色で告げる。
『大丈夫じゃ、陸。お前には鍵を渡しておる。困ったらこの言葉を思い出せ──』
(?お前は──)
しかし、それ以上先の言葉は聞こえない。陸は思わず目を開けたが声の主はいなかった。代わりに視界に映ったのは賑やかな街並みと──化物達だった。
♢♢♢
「鞄は消えたし、知らない場所だし……何でこんなことに……」
穴を落ちて辿り着いた場所は、ゲームや漫画で見るような中世のヨーロッパの街並みに似ていた。ただし、中央には縦長い建物があり、それだけは近代的な技術で造られている。
陸は噴水近くのベンチに座りながら辺りを見渡す。左右には屋台が並んでおり、見たことのない色々な物が売られている。
「楽しそうだな〜……化物の存在が気になるけど」
街にいる生物の半分は人間ではなかった。顔に口しか付いていない者、陸より大きな二足歩行の猫、様々な姿の化物達が当たり前のように生活している。こちらに危害を加える気はなさそうだが不気味だ。
「これ異世界ってやつかな……あ、なら明日のテストやらなくていいな!やったぜー!」
そう言ってバンザイをするが、所詮は空元気。直ぐに溜息をつく。
(座っていても仕方ないよな。ひとまずこの辺を歩いてみるか〜)
立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。人間と化物が共存しているからか、陸を不審な目で見る者はいない。
どうするかと悩み、チラリと近くの屋台を覗く。並んでいる物はピンクの丸い玉、白と黒の刺々しい物……やはりどれも見たことがない。
「こんにちは〜」
「え?あ、こんにちは」
店主に声をかけられ顔を上げると、優しそうな女性が笑いかけてくれていた。一瞬普通の人間だと思ったが、髪が触手になっているのを見て違うことを理解する。……そう言えば言葉が通じるな、と気付いたが、考えても分からないので(まあ、良っか!)と流した。
「あら?お兄さん元気ないですね〜大丈夫ですか〜?」
「えっと、大丈夫……ではないな。頭がいっぱいいっぱいというか……」
「ん〜、何か大変そうですね〜。……よし!これ、差し上げます〜!食べて元気を出してください〜!」
「わっ、ありがとうございます」
女性からピンクの玉を渡される。『食べて』と言うからには食べ物なのだろう。女性から悪意は一切感じない、食べても大丈夫だと判断して口元に運ぶ。
「おっと、失礼」
齧る前に後ろから手が伸びてきてピンクの玉を取られる。驚いて振り返ると、美しい顔立ちの人間が立っていた。キラキラと輝く黄色の瞳に、艶のある黒く長い髪。それを後ろで1つに結い、瞳と同じ色のリボンをしている。中世的な顔をしているので女性かと思ったが、声からして男性だろう。
「ん〜やっぱり……辛い。美味しくない」
「じゃあ何で食べたんだよ!」
男性は嫌そうにピンクの玉を食べ切る。行動の意味が分からない。
「灯さん、何をするんですか〜!そのお兄さんに食べてほしかったのに〜!」
「ごめんごめん、お腹が空いていてね。お金は払うよ」
ぷりぷりと怒る女性に対し、灯と呼ばれた男性は上辺だけの謝罪をしながらコインを置く。そして陸に笑いかけてきた。
「キミもごめんね。ボクは黒井灯というんだ。お詫びをしたいから付いて来てくれるかい?」
「えっと……」
怪しい。これ以上なく怪しいが、化物でもなく会話もできそうだ。行き先も決まっていないのだから一旦付いて行くのもいいだろう。
陸が肯定の意味を込めて頷くと、灯は満足そうな顔をした。
「それじゃあボク達は行くよ。じゃあね」
「失礼します」
「あっ、待って〜!私、オクトです。お兄さんは?」
「オレは陸って言います。八崎陸」
「陸君。私よくここでお店を開いているんです。だからまたいつでもいらしてね〜」
オクトは出会った時と同じ優しい笑みを浮かべ、控えめに手を振る。正直、怪しい灯よりオクトと一緒にいたい……だが、灯は置いて行くぞと言わんばかりに先を歩いている。名残惜しいが先に進むしかない。
「ありがとうございます」
陸は手を振り返し、別れを告げてから軽く走る。灯には直ぐに追い付いた。暫く無言が続く。……気まずい、何か話しかけた方がいいだろうか?
そんな風に悩んでいると、灯が立ち止まった。急だったので陸は止まれず、灯の背にぶつかる。
「わっ、どうしたんですか?」
「ここなら誰にも聞かれる心配はないね」
灯の言葉を聞いて辺りを見渡す。考え込んでいて気付かなかったが、連れて来られたのは細く暗い路地裏だっだ。先程までの賑やかさが嘘のように静まり返っている。
(……あれ?もしかしてやばい?)
化物もいる異世界で、人目の無い路地裏。目の前には怪しさしかない人間。一瞬で後悔が押し寄せてくる。
「ねえ、キミ……陸だっけ?」
名前を呼ばれビクッと体が跳ねる。殺される?売られる?不安そうにしている陸を見て灯は「ふはっ」と噴き出した。
「何て顔をしているんだい」
「だってこれ終わりじゃん。怪しいけど、人だし美人だし行き先ないし美女だから付いて行ったらこれかよぉ…」
「あはは!面白いね、キミ。ちなみにボクは男だよ」
「分かってる……でもワンチャン女性の可能性もあったもん……」
ペショペショと泣きながら蹲る陸に合わせて灯も屈む。
「陸、ボクはキミに危害を加えないよ。むしろ助けたいんだ」
「え?マジ?」
「うん、マジ。だから答えてほしいのだけど……君は人間で合っているかな?」
「?当たり前じゃん。灯さんと同じ人間だけど」
「やっぱりか……時々いるんだよね、落ちてくる人間。あのね、ボクも街を歩いていた者達も人間じゃない」
「は?」
確かに街には化物もいたが、灯はどこからどう見ても人間にしか見えなかった。陸が困惑していることに気付いたのだろう、灯は人差し指を立てて説明を始める。
「まずはこの世界の説明をしようか。ここは人間が過ごす地上の真下、地下世界。キミ達から見たら化物の世界だよ」
「下って……地面の中ってこと?」
「うん。まあ、空間がズレているから実際に地面を掘っても辿り着けないけれどね」
「ひえ……ゲーム?」
「現実さ」
灯は一呼吸置いて説明を続ける。
「ボク達は4つの種族に分かれているんだ。まずは『地神』、1番強くて偉い奴らだね。その地神が創った生物が『眷属』で、自然発生した生物は『精霊』。そして、種族を問わず交わって生まれた生物や、それら以外の方法で作られた生物は総じて『混ざり者』と呼ばれているんだ」
「お、おう?」
「人間には変身できる者とできない者がいて──」
「待って!待って!」
陸は灯の前で手をぶんぶんと振り、待ったをかける。そして真面目な顔で一言。
「もっと分かりやすくお願いします」
「おっとごめん。つまりだ……地神は凄く強い!そんな地神に創られた眷属も強い!精霊と混ざり者は個体差が大きくて何とも言えない!」
何ということだ。分かりやすさを求めたら強さの説明しかされなくなった。灯にとって、種族の大切なことは強さなのか?
「まあ、精霊と混ざり者は基本的にそこまで強くないよ。人間に変身できない者も多い」
「はい先生!」
「はい生徒」
灯はいつの間にか眼鏡をしていた。一体どこから出したのだろうか……しかし、陸は特に気にせず質問をする。
「何でわざわざ人間に変身すんの?」
「いい質問だね。それはこの地下世界が人間との共存を目指しているからだよ。だからこの世界の7割は人間に友好的でね、人間と同じ姿をとる者が多いんだ」
「7割……じゃあ3割は人間に敵対的なの?」
「いや、1割は人間なんてどうでもいい派だよ。実質2割だね」
「2割しかと言うべきか、2割もと言うべきか……」
灯はポイっと眼鏡を投げ捨て立ち上がる。それに釣られ陸も立つ。
「多くはないが厄介だよ。ここまでだってその2割に目を付けられないように、キミが人間であることを頑張って隠したのだから」
「えっ、じゃあもしかして、オクトさんから貰った玉を横取りしたのも……」
「人間であることを隠しつつキミを助けるためさ。人間があんな物を食べたら辛さで死ぬよ」
「マジか……」
どうやらオクトの善意100%で死にかけていたらしい。あの時は灯を不審者だと思ってしまった……申し訳ない。
「まあ、安心しておくれ。直ぐ地上に帰してあげるから」
「あ、ありがとう……そう言えばさ、1つ気になったんだけど……」
「何だい?」
「灯さんは何で最初からオレのこと人間って分かったの?」
灯は微笑む。最初と同じ、怪しさを感じる笑みだ。
「ボクは少しだけ耳がよくてね、キミの独り言が聞こえただけさ」




