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後日談:紙の余白

 翌週の火曜は、家で静かに過ごした。

 机の上にはA4のまとめ資料が三枚。「番号廃市(2:07)で困らないための手順」。成瀬が作って、桂一と相沢で直したやつだ。

 表紙の右上にインデックスシール。二枚目はチェックリスト、三枚目はよくある質問。どの行にも**小さな□**が付いている。


 夜、二時前。

 窓を少しだけ開けて、外の音を聞いた。高架は遠くで低く鳴る。

 携帯は機内モードにして、目覚ましのアイコンだけ残す。

 紙のチェックリストの□に✔を入れ、手帳の今日の欄に赤い丸を付けた。


 何も起きない夜は、ただの夜だ。

 眠りやすい夜は、それだけでありがたい。


 水曜の朝、NPOへ行くと、掲示板の保守告知が変わっていた。

 前はモノクロ一枚だったのが、今日はA4カラー。黄色の帯に「2:00–2:15通信が不安定になることがあります」。右下に「窓口で紙の本人確認ができます」と太字。

 成瀬が掲示の下で、A5のリーフレットを差し込める透明ポケットを取り付けていた。


「昨日から新しい文面です。庁舎の中も同じにしたって」


「いいね。『紙で対応します』って一言、あるだけで動ける」


「はがきサイズの案内も刷りました。カバンに入る大きさで」


 相沢が一枚取って、裏に油性ペンで「近所に配る」と書き足した。

 表には、□住民票の写し □在籍証明 □領収書 みたいな小さなチェック欄。困ったときの「紙の出番」を並べてある。


 昼、商店街の掲示板にも行った。

 文具店の前で、店主のおばさんが画鋲を手にして待っている。


「これ、あんたらが作った紙だね。うちの前にも貼っていいかい」


「もちろん。助かります」


 A4カラーのリーフレットをコルクボードに固定する。

 風で端がめくれないよう、四隅を透明テープで押さえた。

 店主はレシートロールの箱を指で叩いた。


「感熱紙はね、日光が敵。奥にしまっておくよ」


「ありがとうございます。保存のコツ、裏側に小さく書いてあります」


 午後、白鳥匡からメールが来た。件名は「説明の追加」。

 添付はPDF二枚。開くとA4横の図入りで、「保守時間の注意」と「窓口の臨時対応」について、噛み砕いた言葉で書いてあった。

 最後に一文。「個々の生活の事情に合わせた運用を優先します」。


 相沢が肩をすくめる。


「前よりだいぶマシ。言い切りじゃなくなった」


「うん。紙にすると、言葉が柔らかくなるんだよな」


「メールだけじゃ伝わらない人もいるしね。印刷して職場の掲示にも貼っていい?」


「もちろん」


 プリンターのトレイにA4を補充し、両面で印刷。

 余白にホチキスを二カ所。クリアファイルに入れて、角をそろえた。


 夕方。

 四人の被害者へ電話で近況を聞いた。

 Aさんは「窓口で住民票の写しを出したら、保育園の手続きが通りました」と明るい声。

 Bさんは「会社の勤怠、紙の申請書も残す運用になった」。

 Cさんは「店長がレジ横に紙のメモを貼ってくれて、エラーの時はそれでOK」。

 Dさんは「L判写真に名前を書いたら、家族アルバムがすっきりした」。

 電話の最後に、みんな小さく笑った。その笑いが、部屋の空気を軽くした。


 木曜の午前。

 地域センターでミニ勉強会を開いた。タイトルは**「紙で困らない夜の手順」。

 出席票は複写式のA5**。ボールペンの筆圧が二枚目へ沈む。

 机にはクリップボードと付箋、L判のサンプル写真、A4の手順書。

 相沢が前で話し、桂一は段取りを手伝い、成瀬はICレコーダーで記録する。


「二時七分の時間帯は、慌てないで、紙を先に出しましょう。住民票の写し、在籍証明、レシート、診察券。どれも人が読める情報です」


「スマホは使っていいです。でも、スクショだけに頼らないで。**紙に貼る台紙(A4)**も配ります」


 参加した人たちが、チェックリストに一つずつ✔を入れていく。

 最後に**アンケート(A5)**を書いてもらい、回収用封筒に入れた。


 その帰り道。

 白鳥から「近くにいるので、五分だけ」と連絡が入った。

 駅前のカフェで会うと、彼はクリアホルダーから紙の資料を出した。

 中身は、掲示の文面案と、問い合わせ窓口の台本。言葉が前より柔らかい。


「現場の声、助かっています。『紙で説明する』前提のほうが、伝わりますね」


「現場も楽になります」


「それから——」


 白鳥は声を落とした。


「“記憶安全室”という名前が独り歩きしています。正式名称ではありません。匿名化テストの話は、どこでも慎重です。僕から言えるのは、生活に影響を出さない形に寄せ直す、ということだけです」


「わかりました。こちらは、紙で守るを続けます」


「お願いします」


 彼は一枚の名刺を置いて、少し頭を下げた。

 名刺の紙は少し厚手。角は丸型。

 人間の温度は、紙で伝わる。


 週末。

 祖母からはがきが届いた。表は季節の切手。裏は丸い字で「元気ですか」。

 桂一はペンを取り、返事用のはがきに短く書いた。


「元気です。紙で落ち着きました。たい焼きがおいしい週でした」


 ポストに入れる前に、スマホで写真を撮っておく。あとで相沢に見せるためだ。

 ポストの口に落ちるはがきの音は、軽くて心地いい。


 その夜。

 机の端にL判の集合写真を置いた。

 表の余白には、いつものように油性ペンで「水野桂一」。

 アプリの顔タグは、まだ空白だ。

 でも、紙はきちんと受け止めてくれる。線は迷わず、黒ははっきりしている。


 お湯を沸かし、マグカップにティーバッグ。

 たい焼きは、もうない。紙袋だけが、甘い匂いを少し残している。

 A6の単票メモに、一行だけ書いた。


 ——次の二時七分も、家で過ごす。紙をそろえて、眠る。


 窓の外は静かだ。

 高架の音は遠く、風はやさしい。

 クリアファイルの背見出しは、今日付けで一段増えた。

 増えるたびに、肩の力が抜けていく。


「紙は噂より重い」


 声に出すと、部屋が落ち着いた。

 明日の予定は手帳に書いてある。

 それだけで、もう十分だった。

読了ありがとうございました。

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