承:穴の形をなぞる
相談録音#02(要約)
白い会議室。机の上にA3の市街図が一枚。折り目が十字に残っている。赤い丸シールを三つ貼った。深夜に「対象外」が出た地点だ。
相沢由希がB5罫線ノートの聞き取りメモを差し出す。成瀬真は受付番号スタンプを押し、左上のクリップを直した。相談票はA4片面、右下に小さなチェックボックスが並ぶ。
「時間は二時七分前後で固定していいですね」
「はい。場所は全部、西側の帯です。高架沿い」
紙の上でピンが帯になる。
成瀬はA4のチェックリストを三部印刷して配った。
□ 時刻 □ 位置 □ 通信 □ 紙証拠 □ 体調。四角は空欄。埋めるのは、次の火曜だ。
市役所・情報政策課 二階の会議室
廊下の掲示板に保守告知のプリントが並んでいる。フォントは素っ気ない。
「毎週火曜 02:00–02:15 更新作業」
紙はA4モノクロ。右下に発行日。新しい。
受付で来庁者記録簿に名前を書く。複写式で、ボールペンの筆圧が二枚目へ沈む。首から入館札。丸めた紙筒に入れた市街図は持ち込み可だった。
案内されたのは、窓のない小部屋。白い机。壁際にホワイトボード。端にマグネット付きのペンが二本。
外部委託のSE、白鳥匡が入ってくる。胸ポケットからクリアホルダーを出し、**仕様書の抜粋(A4)**を机に置いた。紙は薄く、端が少し波打っている。
「昨夜の件ですが、同期の遅延です。時間が経てば解消します」
言い方は整っている。
桂一はB7方眼メモに書く。
——同期の遅延。
——時間が経てば解消。
——生活に支障は出ない(※誰の言葉?)。
「生活に支障は出ません。決済は店舗側の裁量で通りますし、本人確認は再試行で回復します」
白鳥は指で紙を揃える仕草をした。机の角にホチキスが光る。二カ所止め。
相沢が手を上げる。
「昨夜はコンビニのあと、勤怠アプリでも『対象外』でした。朝には銀行から再提出の連絡。全部、同じ言い方です」
「文言が同じなのは、共通コンポーネントを使っているからです。設計上の統一で、異常ではありません」
言葉は正しい。だが、生活のほうへ届かない。
成瀬が**相談票(A4)**の余白に短く線を引いた。
「確認します。更新作業は『毎週火曜 02:00–02:15』。事象は西側の帯に集中。文言の統一は設計上の都合。ここまで異論は?」
「ありません」と白鳥。
「あります」と相沢。
「昨夜、二本の電柱の間でWi-Fi名が同時に消えました。戻ったのは片方だけ。動画があります」
桂一はサブ端末を出し、画面を見せた。SSIDが二つ、同時に消える。白鳥の視線が、ほんのわずか止まった。
「電波環境のゆらぎです。深夜の保守で機器の再起動が入ることがあります」
言い切りだ。
桂一はペンを止め、紙の端に小さく印を付ける。
——言い切る。
「撮影は申請が必要です」
資料の撮影許可を求めると、職員が**注意書き(ラミネートA4)**を示した。
「じゃあ、申請書をお願いします」
廊下で、警備員が近づいてきた。手に腕章、胸に名札。掲示物をスマホで撮っていた相沢の手首を軽く押さえる。
「撮影はお控えください」
反射で、桂一の手が動いた。
**掴まれた手首を、外へ回して振り解く。**大げさではない。距離を作っただけだ。
「すみません。掲示物は市の広報と同じ内容ですよね。紙のチラシはありますか?」
職員が間に入り、配布台から折り三つのリーフレットを持ってきた。紙はコート紙で少し光る。
「システム保守のお知らせ——毎週火曜 02:00–」
右下に問い合わせメール。相沢は素直に頭を下げ、チラシをクリアファイルへ入れた。
覚書(水野桂一)
——白鳥の言い回し、仕様書の文体に似る。
——「生活に支障は出ません」→現場では出ている。
——保守告知A4は庁内掲示と同文。配布用チラシは持ち帰り可。
——二本の電柱/帯/02:07。
——紙→デジタル→紙、手順を固定。
夕方の下見。高架下は風が抜ける。柱に電柱番号の白ラベル。同じ数字が並ぶ二本の間、地面に黄色いラインが引かれている。
桂一はA3市街図をクリップボードに挟み、赤ペンで丸を付けた。成瀬は方位マークのスタンプを押す。地図が現場の紙になる。
「ここが帯の中心。二本の間で、昨夜と同じ手順でログを取ります」
「ライトは持ってきます。チェックリストは——」
相沢はB5ノートを開いた。欄外の黄色い付箋に「02:07」。
桂一は上級救命のカードを財布から出し、身分証コピーと一緒に**提出用封筒**へ戻した。何かあれば、見せられるように。
その足で、近くのコピー店へ寄る。セルフ機の横にはA4再生紙が積んである。
住民票の写しはコピー不可。掲示の注意書きに大きく書いてある。必要なのは卒業アルバムのコピーと地図の予備。紙が増えるたび、ファイルの重さが確かになる。
夜、NPOに戻る。成瀬が記録用フォルダを作った。
紙のバインダーには「番号廃市/西域」「境界試験02:07」のタイトルラベル。背表紙に日付。今日付けのインデックスシールを貼る。
「まとめます。地理×時刻×番号。この三つがそろうと『対象外』が起きやすい。いまは仮説です」
「仮説でいい。次で、再現すればいい」
桂一は、A4のチェックリストに自分の名前を書いた。インクが乾く前に、紙が少し波打つ。相沢もサイン。筆圧が強く、文字が裏へ透ける。
成瀬は丸い受領印を押した。朱が紙にじみ、角がやわらぐ。
「次の火曜、二時七分。境界でやりましょう。録音、録画、紙。三つそろえます」
「はい」
外に出る。高架の下は、昼より静かだ。柱の影がまっすぐ落ちる。
帰り際、桂一のスマホが震えた。画面に「非通知」。耳に当てると、機械的な女声が流れた。
「記録の更新にご協力ください。——二時七分——西側エリア——」
「どちら様ですか」
返事はなく、通話は切れた。通話履歴には番号が残っていない。
相沢と成瀬に共有する。成瀬は短くうなずき、メモ欄に一行足した。
「無人音声の着信。頻度は不明。録音できたら保全」
市役所からの帰宅途中、白鳥からメールが入る。
件名「ご説明の補足」。本文はきれいな敬語で、要点は「匿名化の類は運用にありません」。
最後の一文だけ、硬い。
「生活に支障は出ません。心配には及びません」
覚書(水野桂一)
——同じ。昼の説明と、同じ。
——書かれた文章の匂い。
——“心配には及びません”。誰の顔で言っている?
翌日。相沢は近隣で聞き取りを続け、B5メモを増やして戻ってきた。紙の端は少し丸まっている。四人分の簡易カルテ。
Aさん:保険証読み取り不可→翌日復旧。
Bさん:勤怠「存在しない」→手動で修正。
Cさん:決済エラー→店長裁量で現金処理。
Dさん:写真タグ消失→手動タグで暫定対応。
「全部、西側。時間帯は二時七分前後で合っています」
「ありがとうございます。**同意書(A4)**はこちらの控えで、複写式受付票が各一枚。保管はここです」
成瀬はクリアポケットへ差し込み、背見出しをそろえた。
桂一は四枚のL判写真プリントを受け取り、裏のチェーン店ロゴを見た。印画紙の薄いざらつき。タグは付かない。
「次は現場での再現です。危ないことはしない。怪我人を出さない。録音・録画・紙。これがルールです」
「了解」
夕暮れ。三人は境界の二本の電柱の前に立った。
桂一は懐中電灯を二本、クリップボード、A4チェックリストを取り出す。相沢はスマホ用ジンバルと予備バッテリー。成瀬は救急セットと連絡先一覧をカードサイズのラミネートにして胸ポケットへ。
「今日は予行です。二時七分は来週。本番の導線だけ確認します」
足元の黄色いラインにテープで立ち位置を貼る。
A=相沢(撮影)、K=桂一(被験者)、N=成瀬(記録)。マスキングテープに油性ペン。
SSIDのリストを開く。強度のグラフがゆっくり上下する。
成瀬が音声メモを取り、時刻を口に出して読む。紙のチェック欄に✔が増える。
そのとき、通りがかりの男性がこちらを見た。
怪訝そうだが、近づいてはこない。
成瀬が軽く会釈し、「検証中」「連絡先」と刷った名刺サイズの案内カードを差し出す準備をする。無用な誤解を避けるための、小さな紙だ。
「撤収しましょう。今は予行。長居は無用です」
道具を片づけ、最後にゴミ袋と養生テープの切れ端を回収する。紙の欠片も残さない。
覚書(水野桂一)
——役割分担:A(撮影)K(被験者)N(記録・通報)。
——必要紙類:A4チェックリスト/同意書/L判プリント/住民票写し/身分証コピー。
——クラフト封筒『提出用』、インデックス『境界02:07』。
——次は本番。体調を最優先。無理をしない。
NPOに戻ると、ポストに白い定形封筒が一通入っていた。差出人は「情報政策課」。
中にはA4一枚の文書。「ご説明の再確認」。昼の内容をなぞり、最後に太字の一文。
「生活に支障は出ません」
成瀬は黙って受領印を押し、台紙に貼った。
紙は残る。残り方には、温度が出る。
「——火曜、二時七分。計画どおり行きましょう」
「はい」
帰り道、相沢が言った。
「ねえ、“市影譚”って、昔からあるの?」
「呼び方は最近。中身は昔から。『夜にやってはいけないこと』って、形を変えて残る」
「じゃあ、これは?」
「『やってはいけない手順』のほうだな。誰かが決めた手順。俺たちは、紙で逆になぞる」
高架の向こう、空が暗くなる。
桂一はA6単票メモに一行足した。
二本の電柱。帯。02:07。
そして、紙で固定。
やることは決まった。
境界に立つ。
同じ時間に、同じ手順で。
穴の形を、紙と記録でなぞる。
それだけだ。