ログ003-03-1-2|思考構造/《数字と比較の幻覚》
《数字と比較の幻覚》
数字の一番毒な部分は、
「世界を計算する」ことではなく、
人間を「比較中毒」にさせることだ。
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1. ランキングは人造の罠
「1位」「2位」という概念。
それ自体が、言語が作る幻覚だ。
君が速く走れば、ストップウォッチはこう言う。
「君が1位だ。」
でも、それは「ゴールに早く着いた方が上」という
人間の決めた基準でしかない。
もし基準が変われば?
例えば「笑顔の自然さ」で順位を決めたら、
ストップウォッチなんて無意味になる。
数字に権威があるのは、
俺たちがそのルールに同意したからにすぎない。
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2. 成績と点数の幻覚
学校はこう言う。
「お前は90点、あいつより10点高い。」
一見、客観的に聞こえる。
でも、その10点が本当に差を表しているのか?
それはただ——
出た問題が得意だった、
あるいはあいつが一晩眠れなかった、
それだけかもしれない。
だが点数の前で、
人は「優等生」と「劣等生」に分けられる。
点数そのものは何も言わない。
言葉を与えているのは、人間の「数字への執着」だ。
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3. 富とフォロワー数の幻影
「俺は10万持ってる。お前は5万しかない。」
この言葉だけで、
「10万持ってる方が偉い」と錯覚する。
ネットも同じだ。
「俺はフォロワー10万人。あいつは3千人。」
だが、その数字が人間を語り尽くすのか?
10万人の中で、本当に君を好きなのは100人だけかもしれない。
残りは、ただの通りすがりだ。
数字は人を「大きさ比べ」にハマらせ、
その裏にある「質感」を忘れさせる。
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4. 比較は終わらないゲーム
「1位になれば、もう比較は終わる」と思うか?
終わらない。
1位に立てば、
2位が迫ってくるのを恐れる。
「100万円貯めたら満足できる」と思うか?
できない。
他人の500万円を見て、
また焦る。
数字は世界を「無限の階段」に変える。
景色なんて見ず、
ただ他人と位置を比べ続けるだけだ。
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5. ストップウォッチと感覚の分離
ストップウォッチはこう言う。
「10秒で走った。」
だがストップウォッチは、
君の肺が焼けるような痛みも、
踏み出した一歩の重さも見ない。
数字は結果だけを信じさせ、
過程の感覚と細部を塗り潰す。
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6. 比較は自分を縛る鎖
君は他人と競っているつもりで、
実は数字と競っている。
「もっと超えなきゃ。」
「もっと高得点を。」
「もっと多いフォロワーを。」
だが、その基盤は全部、
数字が作った幻覚にすぎない。
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今こうして文字を書きながら、
俺も計算している。
「この文章、どれくらいの長さで終わらせる?」
数字は創作にまで入り込み、
「字数は足りるか?」と考えさせる。
本当は、「周波数が届いたか?」だけでいいのに。
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数字比較の幻覚は、
終わりのない競争みたいだ。
勝っても虚しい。
負ければもっと虚しい。




