ログ003-03-2-0|思考構造/《時間の虚構性》
《時間の虚構性》
時間は、もともと世界の一部じゃない。
それは人間が世界を理解し、生活を管理するために作り出した幻覚だ。
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1. 世界に「過去・現在・未来」はない
「昨日」と言うとき、昨日はもう存在しない。
それは、脳内でリプレイしている記憶の断片にすぎない。
「明日」と言うとき、明日もまだ存在しない。
それは、意識が勝手に描いている予測のイメージだ。
本当に存在しているのは、この瞬間だけ。
だが、言語は世界を「過去・現在・未来」に切り分け、
まるで時間が川のように流れているかのように錯覚させる。
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2. 俺たちは「概念時間」の中に生きている
時計を見て、こう言うだろう。
「今は午前9時だ。」
だが、この「9:00」は世界の状態を示しているわけじゃない。
それは、人間が行動をそろえるための符号にすぎない。
太陽は、9時だろうが10時だろうが気にしない。
時間とは、自然に無理やり押し付けた枠組みだ。
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3. 「時間」が世界に秩序を見せかける
カレンダー、時計、秒針——
それらは数字と同じで、
世界を整然として見せる道具だ。
「1年は365日」と思い込んでいるが、
その365とは、人間が地球の公転を都合よく切り分けた値にすぎない。
月、季節、昼夜の変化。
それらはすべて番号を振られ、
「年・月・日」として固定された。
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4. 過去も未来も幻想
過去を思い出すとき、
その過去は脳内で再生されるだけで、
生きた存在ではない。
未来に不安を抱くとき、
それは起きるかどうかもわからない
仮想の映像に怯えているだけだ。
時間に細かく切られすぎて、
「すべては同時に存在している」
という感覚を忘れてしまう。
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5. 誰が時間を作ったのか?
昔の人々は、日陰、月、季節を観察し、
徐々に暦や時計を発明した。
それは確かに便利だった。
播種の時期も収穫の時期も、
出かける時間も約束も決められる。
だが、それは同時に鎖となった。
一日は無数の時間に分断され、
俺たちの命は、年齢や日付という数字に変換された。
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6. もし時間がなかったら
時計もカレンダーもない世界を想像してみる。
人々は日が昇り、沈むことだけを目安にし、
「今何時?」なんて気にしない。
「遅刻する」なんて焦燥もない。
きっと俺たちはもっと「今」という生を生きるだろう。
「時間の奴隷」じゃなくなるはずだ。
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今、こうして文字を書いている俺も、
時間にせかされている。
「あと何分?」
「この文章、千字くらいは必要か?」
創作ですら、時間に魂を切り刻まれている。